第53話 保護と別れ
夜明け前、静久は息苦しさで目を覚ました。
胸の奥が、ぎゅっと縮まっている。
あの縄が、また締まったのだと、すぐに分かった。
声を出そうとして、やめた。
呼吸を整えようとするほど、縄は存在を主張してくる。
宗継は、すでに起きていた。
静久の異変には、気づいている。
「……少し、苦しいです」
静久は、そう言ってから、微かに笑った。
宗継は、頷くだけで、すぐには言葉を返さなかった。
午前中、事務所に来客があった。
事前の連絡は無かった。
だが宗継は、不思議と驚かない。
スーツ姿の男女が二人。
名刺には、神社本庁とあった。
宗継は、名刺を見てから、視線を上げた。
「……どういったご用件でしょうか?」
男の方が、静久を一瞥し、軽く頭を下げた。
「神代様の件で」
苦しそうに椅子で休んでいた静久が、
少し戸惑ったように立ち上がる。
「私、でしょうか?」
「はい」
女の方が、穏やかな声で続けた。
「その縄についてです」
静久は、息を呑んだ。
宗継は、表情を変えなかった。
「……見えるんですか?」
「完全ではありませんが。一応、本庁の人間ですので」
女は、慎重に言葉を選ぶ。
「私たちは、縄を緩めることができます」
宗継の背中に、冷たいものが走った。
「ただし」
男が言葉を継ぐ。
「ここでは、できません」
沈黙。
「行き先は、お伝えできない決まりです」
「保護という形で、私共が責任を持って対応します」
静久は、宗継を見る。問いかける目だった。
静久は、椅子の背を強く握っている。
「……行った方が、いいんですよね?」
宗継は、少しだけ、間を置いた。
「……ええ。そう思います」
それしか、言えなかった。
「そちらのお犬様も、ご一緒に」
女の言葉に、宗継は顔を上げた。
「……お犬様?」
その瞬間、空気が、わずかに揺れた。
それなのに、男女は動じない。
——慣れている。
宗継は、何も言わない。
狐は、神社本庁の二人を見て、鼻を鳴らした。
「あの橋の、あるところ」
短い声だった。
狐は、宗継を見ない。
——伊勢だ。
狐は、宗継の方を一瞬見てから、視線を逸らした。
「……達者でな」
宗継にだけは、意味がわかる。
目元の温度が上がる。
「……ありがとうございました」
出発は、あっけなかった。
荷物は最小限。
静久が振り返った。
「すぐ……戻れますよね?」
宗継は笑おうとして、うまくできなかった。
「ええ」
約束ではないことを、二人とも知っていた。
扉が閉まる。足音が遠ざかる。
狐の気配も、消えた。
事務所は、静かだった。
棺も、糸も、そこにある。
宗継は、しばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと椅子に腰を下ろし、自分の手を見る。
素手では、触れない。
湯呑みが、余る。
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