表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
期待葬の司祭  作者: 八海クエ
第1章 司祭、巫女、狐
5/12

第5話 葬れない棺

 棺は、見えなかった。

 白い布も、輪郭も、糸もない。


 それでも宗継は、いつもとは違う違和感を覚えた。


 向かいに座るのは、五十代前半くらいの男性。

 背筋は自然に伸び、呼吸も安定している。

 どこにも、引きつったところがない。


——ない。


 期待を向けられている人間特有の、重さが。


「今日は、依頼ではありません」


 男性は、そう前置きしてから、丁寧に頭を下げた。


「3年ほど前に、期待を葬っていただきました」


 宗継は、何も言わなかった。


「覚えていらっしゃらないでしょう」


 男性は、穏やかに続ける。


「当然です。私にとっては人生の転換でしたが……」

「あなたにとっては、日々の仕事の一つだった」


 宗継の足元が、わずかに冷えた。


 彼の棺は、ない。

 だが——床の温度が、違う。


「今日は、どういったご用件で」


 宗継は、いつもの調子で問う。

 優しくもなく、突き放しもしない。


「お願い……です」


「何を」


 男性は、一拍置いてから言った。


「仕事は、順調です。家庭もあります」

「大きな不満や心配もありません」


 淡々とした報告。自慢でも、愚痴でもない。


「ですが……」


 男性は、言葉を選ぶように、一度息を吸った。


「もう一度、あなたに葬ってほしいのです」


 宗継の指が、膝の上でわずかに強張った。


「……あなたの棺は、見えませんが」


「ええ」


 男性は頷く。


「私に向けられた過度な期待は、もうありません」

「ですが——」


 少しだけ、言いにくそうに続けた。


「私の、あなたへの期待を葬ってほしいんです」


 部屋の空気が、止まった。


 宗継は、息を吸い、吐いた。

 燭台には、手を伸ばさない。


「それは、私の問題です」


「いいえ」


 男性は、はっきりと言った。


「あなたは、私を救いました」

「だから私は、あなたを“正しい人”だと思っています」


 その言葉で、棺ではなく床が軋んだ。


——ああ。


 宗継は、それを理解してしまった。


 期待は、苦しみの中だけで生まれるものではない。

 救われ、幸せな人間であっても期待をする。


「私は、あなたに救われました」

「あなたは、間違っていなかった」


 宗継の足元に、白い影が滲む。


 棺だ。

 自分の。


「それは……危険です」


 宗継は、ようやく言った。


「私は、神ではありません」


「分かっています」


 男性は、穏やかに頷いた。


「あなたが正しくあることを、私は期待しています」

「その期待を、葬って欲しいんです」


 宗継は、首を振れなかった。


 それを否定することは、

 この人の人生を否定することになる。


「……今日は、葬えません」


 男性は、驚かなかった。


「そうだと思いました」


 立ち上がり、深く頭を下げる。


「急ぎません。ただ……」

「私は待てます」


 扉が閉まる。


 足元の棺は、はっきりと形を持っている。

 白い布。重い存在感。


——誰かを救うたび、これは重くなるのだろう。


 アパートに戻る。


「おかえりなさい、宗継さん」


 静久が、キッチンから顔を出す。


「……ただいま」


 宗継は、靴を脱ぐのに少し時間がかかった。


「何か、ございましたか?」


 評価でも、心配でもない。事実確認。


「……期待されちゃいました」


 宗継は、少し冗談っぽく言った。


 静久は、鍋をかき混ぜながら、問い返す。


「それは……棺になりますか?」


 宗継は、答えられなかった。

 その沈黙に、一瞬だけ静久の手が止まる。


 司祭を続ける限り、この棺を葬ることはできない。


 葬れない棺を持つ巫女が、

 葬れない棺を持つ司祭と共に生きる。


 巫女と司祭。その役割を捨てたとき、何が残るのだろう。


 宗継は静久の背を見ながら、そんなことを考えた。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

とても嬉しいです。


一気に書くと、矛盾の発生率が高くなってしまいます。

投稿した後、かなり修正してます。お恥ずかしい……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ