第42話 書庫と迷い
宗継は、書庫の戸に手をかけたまま。
しばらく、その戸の前にいた。
中に何があるかは、知っている。
どこに、どの分野の本が並んでいるかも。
「……前は」
宗継は、独り言のように言った。
「ここに、答えがあると思っていました」
兄は、何も言わない。否定もしない。
宗継は、戸を開け、書庫に入った。
小さく会釈をして、静久も宗継に続いた。
紙の匂いがする。乾いた、落ち着いた匂い。
宗継が、棚を一望する。
配置は同じだ。冊数も、高さも。
だが宗継には、ここが前とは違って見えた。
宗継は、棚の前に立つ。一冊、取る。
頁をめくる速度は、以前より速い。
「……やはり」
宗継は、頁を閉じる。
「答えは、ありません」
兄が、短く息を吐いた。
「昔からな」
「そうですね」
宗継は、うなずく。
「でも、前は……」
「ここに、あると思っていました」
静久は、棚の間を歩く。
指で、背表紙をなぞっている。
誰かの癖。誰かの迷い。
誰かのためらい。
静久が、棚の端で立ち止まった。
背表紙に、どこか懐かしい文字を見つけた。
『迢迢』
静久は、声には出さない。
言葉の意味は、知っている。
はるかなる、隔たり。
静久がその本に手を伸ばす。
宗継が止めることは、なかった。
表紙は薄く、傷んでいる。開く。
文字が、まったく判別できない。
「……読めませんね」
静久が言う。
「ええ」
宗継は、ちらりと視線を向けただけだった。
「初めから、誰かに読ませる気のない本です」
「だから『迢迢』なんでしょうね」
静久は、頁をそっと閉じる。
「誰かが……”隔たり”を表現するためにだけ、残した本」
はるかなる、隔たり。迢迢。
それはきっと、物理的な距離の話ではない。
静久は、本を棚に戻した。
そこに答えがないことが、
なぜか、少しだけ安心だった。
宗継は、何も言わなかった。
だが、同じ言葉を、心のどこかで反芻している。
迢迢。遠い。けれど、
断たれてはいない。
静久は、思い出したように言う。
「神様が、お腹を空かせて待っています」
「宗継さん、そろそろ、お暇しましょう」
宗継は、本から目を離し、頷く。
「神様?」
兄が怪訝そうに問う。
「あ、うちで飼っている犬の名前です」
「失礼ですが……独創的なお名前ですね」
「そうですね」
静久は、そう言って笑った。
「静久さん……」
兄は、呼んでから少し考えて、言った。
「お仕事は、どうですか?」
「私は、大丈夫です」
「ちょっと、向いているかもしれません」
兄は、確認のような質問をする。
「棺は……見えませんよね?」
静久は、何も言わない。
「もしかして……」
「ご想像に、お任せします」
そう言って、静久はまた笑った。
お読みいただき、ありがとうございます。




