第34話 地下にある街
その男性は、地下の話をし始めた。
「都市の下には、もう一つ別の街があります」
宗継は、黙って聞いていた。
「世間は、その街を見ません。見たくもない」
男性は椅子に深く腰を下ろし、拳を太ももの上に置いた。
背もたれに背中を軽く当て、背筋をまっすぐに伸ばした。
「でも、地下の街が止まったら、誰も生活できない」
静久が、湯呑みを差し出す。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
一口飲んでから、男性は続けた。
「私は、下水道工事の技術者です」
男性は後ろを振り返って、棺を見る。
「……これが」
「はい」
宗継はそれ以上、説明をしなかった。
男性の棺は、木目が整い、歪みもない。
装飾もない。
男性は小さく息を吐いた。
「人々の暮らしを守り、支える仕事です」
男性は、少し間を置いてから続けた。
「2年ほど前、工事中にガスが発生しました」
「硫化水素です」
声の調子は変わらない。
だが、言葉の運びだけが、慎重になる。
「古い管路でした。記録も不十分で……」
「想定より、ガスが溜まっていたんです」
宗継は、黙って聞いている。
「私は機器を取りに、その時だけ、その場を離れていました」
「……その場に、長年仕事を共にした、後輩がいたんです」
間。
「検知器が鳴ったので、その場に戻ることもできませんでした」
「すぐ、消防と警察に連絡しましたが……」
男性は、それ以上を言わなかった。
静久は視線を落としたまま、両手で湯呑みを握っている。
「彼は、よく言っていました」
男性は、下を見ない。
「自分たちの仕事が止まれば、街は『詰まる』って」
短い笑い。
「誇りでした」
宗継の視界の端で、棺に絡む糸が見える。
細いが、絡まり方が複雑だ。
「事故は、とても小さく報道されました」
男性は、淡々と続ける。
「それだけです」
宗継は、棺を見る。
棺は、静かだ。
「線香をあげに行くたび、思います」
男性は、初めて感情を混ぜた。
「彼はもっと、世間から感謝されるべきだ」
「彼は立派だった。私の誇りだった」
糸が、きしむ。
「……忘れられるなんて、おかしい」
宗継は、静かに問う。
「それが、あなたの棺ですか?」
男性は、ゆっくりとうなずいた。
「正確には……」
少し考えてから、言葉を選ぶ。
「後輩の声です」
静久が、顔を上げた。
「声?」
「ええ」
男性は、振り返って棺を見る。
「彼の墓に線香をあげるたび、聞こえるんです」
「『先輩こそ、認められるべきだ』って」
棺が、軋んだ。
宗継は、わずかに眉を動かす。
「それは、あなた自身の願いでは?」
男性は、首を振る。
「違います。違う……はずです」
宗継が、静かに言った。
「葬るとしたら」
「それは、誰のためですか?」
男性は、答えない。
宗継は、続けて言った。
「私たちは、評価を扱いません」
「感謝も、称賛も」
「それをお求めなら、来るべきはここではありません」
男性は、黙っていた。
沈黙。
静久が、ゆっくりと口を開いた。
「私たちは、目の前の仕事をこなします」
「それだけです」
男性は、しっかりと二人を見た。
それから男性は、瞬きの回数を増やす。
「あの事故以来、現場に戻れていません」
それから男性は、息を吐いた。
「……葬ってください」
宗継は、うなずいた。
棺に、火が入る。
糸は、音もなくほどけていく。
「彼のためじゃない」
男性は、はっきりと言った。
「私自身が、現場に戻るためです」
火が落ち着くのを待って、宗継が言った。
「最後に、葬る棺に声をかけてやってください」
男性は、立ち上がった。
「そこから見たら、地上の街が下水道に見えるだろ?」
「いつか俺も、そこに行く」
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