第32話 戒め
私設私書箱から、事務所に封筒が転送されてきた。
差出人は、宗継の兄。
宗継は、封を切る前、一拍、置いた。
静久は、そんな僅かな”異常”に気づく。
しかし、何も聞かない。
封筒の中には、便箋は入っていなかった。
代わりに、古文書のコピーが一枚、折られている。
墨の線は荒い。
だが、筆致には迷いは感じられなかった。
『雖同其棺、莫同其解』
——同じ棺といえども、解釈することなかれ。
九條家の書庫にあった文献の一部だろう。
兄は、何も書いてこなかった。
理由も、解説もない。
ただ、この一文だけを、寄越した。
宗継は、しばらくその文字を見つめていた。
——追うな、ということだ。
同じ棺に見えても、同じものだと決めるな。
同じ意味を与えるな。解釈するな。
宗継は、紙を折り直した。
分からないことの方が、多い。
この世界は、最初からそうだ。
宗継は、これまで無意識にしていたことを、やめると決めた。
棺を見たとき、
過去に同じ形があったかどうか、思い出そうとすること。
記憶を辿り、照合し、意味を揃えようとする癖。
それを、手放す。
九條家の司祭だからこそ、戒めに従う。
宗継は、封筒を引き出しにしまった。
その日も、依頼があった。
小さな期待。
誰かが、誰かに向けた、ありふれた願い。
棺は、問題なく葬れた。
手順も、言葉も、火も、乱れない。
ただ。
仕事を見つめる目線だけが、ある。
宗継は、もう解釈をしない。
見られている、という感覚も
そのままにしておく。
静久も、気づいている。
あるとき、食器を洗いながら、静久が言った。
「……最近、背中が落ち着かないですよね」
「そうですね」
それ以上は、話さない。
二人とも、理由を探さなかった。
日々は、忙しい。
依頼は続く。洗濯物は溜まる。味噌汁の出汁は切れる。
目線は、消えない。
しかし少しずつ、生活の背景に溶けていった。
慣れ、というよりも、共存。
狐は、その様子を、黙って見ている。
最近の狐は、あまり走らない。
首輪の金具を、前脚で弄ぶことが増えた。
宗継が視線を向けると、狐は目を逸らす。
宗継は、聞かない。
狐は、答えを知っているかもしれない。
だが、狐は「知るべき時ではない」と、伝えているように思えた。
——同じ棺といえども、解釈することなかれ。
分からないことは、分からないままにする。
分からないまま、生きる。
目線は、今日もある。
宗継は、それを追わない。
火を扱う者として、燃やすべきものを、燃やす。
それでいい。
少なくとも、今は。
読んでいただき、ありがとうございます。
第3章も、終わりに近づいてきました。




