第31話「金、返せ」
「申し訳ございません」
「ご相談していること自体、知られるわけには……」
女性からの電話は、短かった。
名乗りと、用件と、住所。
それだけで切れた。
——高級住宅地。
日時の調整はしていない。
いつ来ても、良いということだろう。
次の日。ちょうど、他の予約はなかった。
「参りましょう」
静久が言った。
「はい」
狐は、連れていかない。
依頼人の家は、築年数の浅い、立派な一軒家だった。
門扉も、玄関も、整っている。
掃除も行き届いていた。
呼び鈴を押すと、すぐに応答がある。
「……はい」
「お電話でご連絡いただいた、九條です」
居間に通される。
「本日は、ありがとうございます」
電話の声の主、中年の女性だった。
気丈に振る舞うことに、慣れている。
応接のテーブルには、高級菓子が用意されていた。
静久が一瞬だけ、それに目線を向け、戻す。
宗継は、棺を探す。ここにはない。
しかしなぜか、宗継の胸の奥が、わずかに跳ねた。
「世間に、知られるわけにはいかなくて……」
「申し訳ございません」
女性が、言葉を選びながら話し始めた。
「主人の……期待のことで、ご相談があります」
「ええ」
「主人は、上場企業の取締役をしております」
「特に株主様から、過分の期待を集めます」
宗継は、黙って頷く。
「それで主人、ついに体調をこわしまして」
女性は、磨かれた床に視線を落とした。
「医者は、なんと?」
「身体には、なんの問題もないと……」
「精神科の先生から、九條先生のことを伺いました」
宗継はまた、棺を探す。
やはり、ない。
わかっているのに、探してしまう。
——なんだ?
少し間をおいて、宗継が問う。
「ご主人は、どちらに?」
「寝室におります」
「ご案内いただいても?」
宗継と静久は、依頼人の後をついて二階へ向かう。
室内の細部まで、手入れが行き届いている。
調度品の趣味もよい。数も多い。
——最上を、求めている。
寝室に着くと、五十代とみられる男性が寝ていた。
寝ているのに、大きく肩で息をしている。
彼の棺は、そのすぐそばにあった。
立派な装飾が施された、大きな棺。
白布に、収まりきっていない。
視線を棺から外すと、
壁に飾られた"絵"に、宗継の目線が囚われた。
「これは?」
「主人からは、"牛の神様"と聞いております」
「なんでも相談できる、親友のような神様なのだとか」
——なんだ、この感覚は?
この部屋には、別の期待もあるような気がする。
そのとき、静久が宗継に耳打ちをした。
「宗継さん、あの絵……重さを感じます」
絵の中の"痩せ老いた牛"が、男性から期待されている……
この絵は、男性の拠り所なのかもしれない。
宗継は、深く息を吸った。
「ご主人の棺を、葬ります」
女性の肩が、わずかに下がった。
「……お願いします」
「ご主人を、起こしていただけますか?」
男性は、なんとか上半身だけを起こした。
女性から小声で説明を受け、
頷いたり、首を振ったりしている。
「わかりました。なんでもやってください」
「俺はもう……限界です」
準備は、いつも通りだった。
棺。言葉。火。
宗継は、静久と目を合わせる。
静久は、何も言わない。ただ、頷く。
宗継は、棺に手を伸ばした。
その瞬間。
理由のない緊張が、宗継の首裏を走った。
——誰かに、見られている?
振り返っても、何もない。
それでも、確かな視線を感じる。
しかし宗継は、すでに手順に入っていた。
——ここで、止められない。
「旦那様。あなたを苦しめてきた言葉を」
「あなたの言葉で、教えてください」
男性は、見た目よりもずっと弱々しい声で始めた。
「『いくら投資したと思っているんだ』」
ガッ。大きく棺が鳴る。
「『いつ、株価は上がるんだ』」
ガガッ!
「『金、返せ』」
このまま、棺が、壊れそうだ。
宗継は、ここで火を入れた。
夫婦、それと静久には、棺は見えていない。
なので、棺に置かれた燭台は、宙に浮いて見えている。
夫婦が、思わず声を上げた。
「な、なんですか? そんな……」
「なんだ、これは!」
葬送は、無事に終わった。
「……胸が、本当に軽いです」
男性は、何度も頭を下げた。
「ありがとうございます」「なんとお礼を言えば良いか……」
仕事としては、成功だった。
帰り道。
「……宗継さん」
静久が、宗継を呼び戻す。
宗継は、はっとして振り返る。
アスファルト。街灯。行き交う車。
「……すみません。ボーッとして」
「いいえ」
静久は、それ以上、言葉を継がない。
仕事は、終わった。それなのに。
あの感覚だけが……
ぴったりと身体に張り付いていた。
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