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期待葬の司祭  作者: 八海クエ
第1章 司祭、巫女、狐
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第3話 祈れない巫女

 ちょうど1年ほど前のこと。


 その棺は、軽く感じられた。


 白い布に覆われているのに、輪郭が定まらない。

 中身が、まだ固まっていない棺だった。


——普通の手順では、葬れない気がする。


 見たことのない棺。

 けれど、見過ごせない棺だった。


 向かいに座っていたのは、十代後半の少女。

 身体の置き方が分からない。そんな"不安定さ"があった。


 宗継の足元にも"重たい気配"があることに、彼女は気づいていた。

 が、それについては、言葉にしない。


「……ここは」

「安心できる場所、ですか?」


 質問だったが、答えを求めてはいないようだった。


「安全ではあります。安心かは、あなた次第です」


 優しくもなく、突き放しもしない。


「ただし」

「必ずしも、楽になれる場所ではありません」


 彼女は、少しだけ笑った。


「……ですよね」


 棺から、糸が伸びている。絡まってはいない。

 しかし、かなり異様だった。


 一本一本は細いのに、無数と言えるほど、数が多い。

 胸へ、喉へ、額へ、腕へ、脚へ。

 まるで、期待で”織られて”いるようだった。


「あなたに向けられる期待は、誰からのものですか?」


 彼女は、少し考えてから答えた。


「分かりません。たくさん、としか……」


 棺が、微かに震えた。


「質問を変えます」

「どうして、この事務所に来たんですか?」


 また棺が震えた。


「……うまく、祈れなくなったからです」


 宗継の背中が少しだけ強張った。


「私は、巫女です」


 宗継は頷いた。


 神代(かみしろ)家。

 古くから、土地の鎮めを担ってきた家だ。


「祈ると……無数の大きな存在と、対話できていました」


 彼女の声は、平坦だった。


「でも、ある日から……何も返ってこなくなりました」


 宗継の身体がこわばる。


「対話の相手が……態度を変えたのでしょう」


「……どういうことですか?」


「対話の相手……無数の大いなる存在……とても厄介な存在が」

「あなたに、期待している」


 彼女は、息を止めた。その反応で確信する。


——この人は、期待を裏切れない人だ。


「あなたは祈ることで、誰かを安心させてきた」

「家を、土地を、人を。そして……神々をも」


 彼女の指先が、膝の上で強張る。


「普通は、人間が神々に期待を寄せます。祈りです」

「しかしあなたは……神々から期待されている」


 棺が、大きく軋んだ。

 輪郭のない棺は軽そうなのに、音は重い。


「……そんなこと」


 彼女は言いかけて、止めた。


「神代さん」


 宗継は、珍しくクライアントの名前を呼んだ。

 彼女は、少し驚いた顔をした。


「もう、祈らなくていい」

「むしろ、祈らないでください」


 彼女にとって、それは罰に等しかった。


「……そんな」


 声が、揺れた。


「それは、神々を裏切ることです」


「違います」


 ただ、否定した。


「それは、自分を守ることです」


 彼女の呼吸が、乱れた。


「私には、祈ることしか……」


「彼らの期待に、人間は応えられない」


 彼女の目に、涙が滲んだ。


「普通の方法では、とても葬れません」


 彼女は、驚かなかった。

 むしろ、少し安心した顔をした。


 宗継は、燭台をしまった。


「別の方法で、期待を切ります」

「裏切るのではなく、ただ切るのです」


「……どうやって」


「あなたに、祈らせない。対話させない」


 その日、宗継は、彼女を帰さなかった。

 泊めたわけではない。

 同じ部屋に、長く座っていただけ。


 火を灯さず。言葉もなく。


 彼女は、何度も祈ろうとした。

 手を組みかけては、止めた。

 そのたびに、彼女の身体が震えた。


「……怖いです」


 夜になって、彼女は言った。


「祈らないと、私、空っぽになります」


 宗継は答えた。


「それこそ、あなたという人間です」


 彼女は、破裂するように泣いた。


 宗継は、何もしなかった。

 抱きしめもしない。慰めもしない。

 ただ、そこにいた。


 朝になって、彼女は笑って言った。


「……祈らなかったのに、生きてます」


 宗継は、頷いた。


「よかったです」


 彼女の棺は、消えなかった。

 だが、彼女につながる糸の本数は減っていた。


 それから彼女は、宗継の事務所を訪れるようになった。

 そして、いつの間にか——神代(かみしろ)静久(しずく)は、宗継の暮らすアパートにいる。


 もし、あの日。彼女を救わなかったら。


——違う。


 救っていない。祈らせなかっただけだ。

 それだけで、彼女は生き残った。


 宗継はそれを、時々、怖いと思う。

 自分が、彼女の”祈らない理由”になってしまったことを。


 今、キッチンでは静久が味噌汁を温めている。


——この人がいなければ、僕は、引きずられる気がする。


 祈れない巫女が、司祭を地面に引き戻している。

 名を求めないこの関係だけが、宗継を人間にしていた。



読んでいただき、ありがとうございます。

嬉しいです。


よろしければ ☆ 評価をお願いします。大変、喜びます。

続き、頑張って書きます。

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