第24話 糸を織る巫女、葬る司祭
朝の事務所。
湯が沸く音は、いつも同じ。
宗継は湯呑みを二つ並べ、静久は茶葉を量る。
狐は首輪の金具を小さく鳴らし、隅で丸くなる。
宗継が、二つの棺を一瞬だけ確認した。
宗継の棺、静久の棺。狐の棺は……ない。
事務所の前を通り過ぎていく足音がある。
呼び鈴は鳴らない。扉を叩く音もない。
——依頼がないのも、悪くない。
静久が湯呑みを置く。
「今日は、来ませんね」
「……そうですね」
宗継が、躊躇いながら問う。
「静久さん」
「はい」
「ずっとご実家に帰っていませんよね。大丈夫ですか?」
「意外です。宗継さんが、私に興味を持つだなんて」
「そんなこと……いえ」
「もう、静久さんがいないと、仕事になりませんし」
ここ何件かの依頼で起きたこと。
それが、宗継の頭から離れない。
——葬るかどうか、判断できない期待は多い。
糸は切れなくても、緩んだ。
結び目が、解かれることもあった。
棺は消えていない。
そもそも、手順に入っていないのだから。
それでも、依頼人の負担は軽くなった。
考えていた静久が、答える。
「私の母は、ずっと前に亡くなっています」
「はい」
静久が、吹き出す。
「宗継さん、依頼人との対話みたいになってます」
「す、すみません。慣れてなくて」
静久は、少しだけ顎を上げた。
「4年前、父が再婚しました」
「私が祈れなくなって……義母ともうまくいかないし」
静久は、できるだけ感情が出ないよう努めた。
「ここにいた方が、いいんです」
宗継が、小さく咳をする。
「……静久さん」
「はい」
宗継は、また躊躇した。
それから、何かを覚悟する。
「ちょっと糸を、見せてください」
静久は少し驚いてから頷き、宗継の近くに寄る。
以前よりも、だいぶ、糸の本数が減っていた。
それに糸の中には、父親からのものはなさそうに感じられる。
宗継は、その中に一本だけ、異質な糸を見つけた。
全ての色を内に秘めた、完全な白色の糸。
「これ……は」
静久が答える。
「ああ。以前、神様に伺いました」
一拍あって、続ける。
「ずっと昔に、母から受けた期待みたいです」
宗継は混乱する。
ただ、それを顔に出さない。
「亡くなったお母様の……期待ですか?」
静久の視線が、空をなぞる。
「……違うそうです。もっと、ずっと古いものだとか」
静久は、何かを思い出して言う。
「神様、この糸だけは、絶対に切れないんですよね?」
狐は、この問いに答える素振りを見せない。
静久は、少し不機嫌な顔つきをする。
「散歩のとき。神様が、そうおっしゃってました」
宗継は、棺について、糸について、ほとんど何も知らない。
しかし狐は、何かを知っている。何かを。
宗継は、しばらく考えてから口を開いた。
「決して、切れない……静久さんの棺は、葬れない」
沈黙。
静久は言葉を探す。
「葬るだけじゃないですよね、仕事」
宗継の身体が、少し揺れる。
「葬れなくても、負担は減らせます」
「静久さん、あなたがいれば」
——でも。
「静久さん……あなたの棺だけは、決して葬れない」
静久の表情は、少しも揺れなかった。
——彼女は、それを理解している。
宗継は、ゆっくりと息を吐く。
「静久さん。あなたの負担は、誰が減らすんですか?」
狐が、尻尾を一度だけ揺らした。
静久は、少し冗談っぽく言う。
「宗継さんに、決まってるじゃないですか」
宗継には、悲しく響いた。
宗継は目を上げる。
「……静久さん」
「はい」
「あなたは、結び目を解き、糸の流れを変えることができる」
「そうみたいですね」
静久は、淡々としている。
宗継の言葉が、少しだけ熱を帯びる。
「絡んだ糸を、整理することができる」
「あなたはまるで、期待からの糸を”織って”いるようだ」
「織る?」
「はい」
静久は少し考えてから。
「結び目があると、期待は、それに引っ張られます」
「辛くなります」「動けなくなることもあります」
宗継はその言葉を、胸の奥で反芻した。
引っ張られる。
動けなくなる。
——期待に応えながら、自分の人生を進むこともできる。
宗継が、言葉を継いだ。
「期待と自分の距離を決めているのは……糸」
「はい」
「静久さんは、その距離を調整できる」
狐が、鼻を鳴らす。
「そろそろ、わしの順番ではないかな?」
狐が、首輪の金具を鳴らした。
——順番?
「散歩だ」
静久が笑う。
宗継は頷き、リードを手に取った。
「今日の仕事は、おしまいとしましょう」
事務所の鍵を閉める。
外に出た狐は、少し歩いて立ち止まった。
それから、空を一度だけ見上げる。
尾を大きく振り、
星のことなど忘れた顔で、また歩き始めた。
第2章、完結です。
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第3章に続きます。




