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期待葬の司祭  作者: 八海クエ
第2章 結びをゆるめ、流す
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第22話 理不尽の最前線

 宗継が、自分の棺の位置を確かめていたとき、

 事務所の前で、きっちりとした足音が止まった。


 迷いのない立ち方だった。

 呼び鈴は一度。


「どうぞ」


 事務所の扉が開く。

 入ってきたのは、四十代前半の女性だった。


 紺のジャケットに、癖のない白いブラウス。

 靴も鞄も、使い込まれているが手入れが行き届いている。


——責任ある立場の人だろう。


 年齢以上に落ち着いた印象がある。

 姿勢は、少しも崩れていない。


「……失礼します」


 声もはっきり通る。

 しかし、その奥には慎重さがあった。


 女性は席につくなり、事務所を見回した。

 彼女の棺、そこから伸びる糸に視線が行き、

 ほんの一瞬だけ、瞬きをする。


 動揺しているはずなのに、それを見せない。


「……噂どおりですね」


「はい」


 宗継は、それ以上を足さない。


 女性は小さく息を吐いた。


「正直、ここに来る自分を、想像してませんでした」


 苦笑でも、照れでもない。

 事実を述べている声だった。


「今日は、どのようなご用件で」


 宗継が問う。


 女性は、背筋を正した。 


「……私は、今いる会社で、役員をしています」


 言葉に、揺れはない。

 棺も、沈黙している。


「出してきた実績からも、妥当な昇進です」


 確認するような言い方。


「能力が足りないとは、思っていません」


 静久の視線が、糸に向く。

 棺から伸びる糸は、異様だった。


 細い糸が、何本もある。

 胸、喉、背中、腕に。

 それぞれ違う方向から、絡みついている。


 どれも、強くはない。

 だが、おかしな角度で棺とつながっていた。

 結び目も多い。すれ違いだらけのキャリア。

 

「後輩の女性社員たちが」


 女性は続けた。


「私を、『希望の星』だと言ってくれます」


 棺が、ガタッと軋んだ。

 その音に、この女性は反応しない。

 

「『先輩みたいになりたい』『先輩に続きたい』と」


 また、棺が軋む。

 それからしばらく、棺は小さく震えていた。


「相談も、期待も、たくさん寄せられます」


 糸が、張る。


「……嬉しい、と思っていました」


 一拍。


「でも今は、別の感情も持っています」


 宗継は黙っている。


 女性の視線が、少しだけ下がる。


「嫌な期待も、たくさんあるんです」


 それは、口にしにくい期待。


「男性幹部から、陰で、馬鹿にされています」

「『どうせ、失敗する』『うまくいくはずがない』って」


 棺が、震えながらまた音を立てた。

 糸も、きしむ。


「『女性の活躍推進で得をした、お飾りの役員』」

「『数合わせ』だとも」


 悔しさは見せない。事実を述べている。


「先を越されたことに嫉妬している幹部からは」

「嫌がらせに近いことも、受けています」


 宗継も、表情を変えない。

 

 静久の指先が、わずかに動く。


 会議資料が、直前まで回ってこない。

 意思決定に必要な情報が、共有されない。

 急に、準備が必要な判断を迫られる。


 そんな彼女の日常が、静久に流れ込んできた。


 糸が、喉に強く巻き付く。


「ちょっとでも失敗すれば」


 女性は、淡々と言った。


「『やっぱり女性だから』と言われます」


 今日の棺は、忙しい。

 震えて、音を出す。


 だが、彼女の声は震えない。

 揺さぶっても震えない、実績という重さ。


「……頑張ってきました」


 糸は、張りつめたままだ。


「ここで折れたら、意味がなくなると」


 善意の糸。憧れの糸。

 そして、嫉妬の糸。

 

「最近」


 女性は、ふっと息を吐いた。


「ヘッドハンターから、よく連絡が来ます」


 これも、事実の共有だった。


「条件も、悪くないです」


 棺は、沈黙している。


「でも……」


 言葉が、止まる。


「この期待を、どうすればいいのか」


 静久は、糸を見る。


 これは、自分に向けた期待ではない。

 個人への評価を超えて、

 役割そのものに貼り付けられた期待。


——理不尽の最前線だ。

 

「……それは」


 静久が、静かに言った。


「もしあなたが壊れそうなら、葬るべき期待です」

「ただ、他の場所でも、きっと似たように期待される」

 

 女性は、目を閉じた。


 宗継が、続ける。


「仕事への集中を邪魔する期待、でしょうか」


 糸が、強く張る。


「……それでも」


 女性は、低い声で言った。


「私が去ったら、後輩たちは……」


 その言葉に、糸が震える。


「壊れてしまった姿を見せることが」

「ロールモデルになるとは、思えません」


 静久が、はっきりと言った。


 沈黙。


 女性は、深く息を吸った。


「……お願いします。これを、葬ってください」


 それは、覚悟だった。


 宗継は、棺の前に立つ。


「葬ります」


 宣告は、静かだった。


 棺に燭台を乗せ、火を灯す。

 炎が、一瞬だけ大きく煌めく。

 まるで、自分の正当性を主張するかのように。


 炎は、絡みついた糸を、確実に断っていく。

 細い糸が、一本ずつ、音もなく落ちる。


「最後に、あと一つだけ」


 宗継は言った。


「あなたの言葉で、送ってあげてください」


 女性に、躊躇いはなかった。

 呼吸も、まっすぐだ。


「みんな、ごめん。私、仕事がしたい」 


 棺は、砂のように崩れ、見えなくなった。


「……軽い、というより」


 女性は、全身の感触を確かめている。


「……静かです」


 宗継は、頷いた。


「集中できます。頑張ってください」


 女性は、すぐには答えない。


「……また」


 小さく、首を振る。

 

「もう、こちらに依頼することのないよう、頑張ります」


 宗継は、言う。


「お気をつけて」


 事務所の扉が閉まる。


 今の彼女は、とても自由だ。



お読みいただき、ありがとうございます。

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