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期待葬の司祭  作者: 八海クエ
第2章 結びをゆるめ、流す
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第17話 静久、依頼者

 午前中の光は、薄く、白かった。


 宗継は机に向かい、書類を整えている。

 いつも通りの手つき。いつも通りの集中。


 だが、どこか引っかかっている。

 紙の端を、無意識に何度も揃えている。


「……宗継さん」


 静久が声をかける。


「はい」


 即答。その速さが、張りつめた感じを伝えてしまう。


——らしく、ないな。


 これまでなら、宗継の"迷い"は、外からは見えなかった。

 宗継本人も、そんな自分の変化に気づき、驚いている。


「……今日は、私のところに依頼人が来ます」


「聞いています」


 宗継は頷いた。


「静久さんに、“お願い”をしに来る方ですね」


 その言い方に、静久は一瞬だけ目を伏せた。


「お願い、というより……お祈り、でしょうか」


 宗継は何も言わなかった。

 否定もしない。


 狐は事務所の隅で丸くなり、二人の会話を聞いている。

 目は閉じているが、眠ってはいない。


「わしは、この場にいても良いのか?」


 唐突に、狐が言った。


「もちろんです」


 静久が答える。


「……そうか」


 狐はそれ以上、何も言わなかった。


 昼前、チャイムが鳴る。

 宗継が立ち上がるより早く、静久が扉に向かう。


「はい」


 扉の向こうには、初老の男性が立っていた。

 背筋が伸び、服装も整っている。


 目の奥に、切実さが滲んでいた。


「突然、申し訳ありません」


「いえ。どうぞ」


 事務所の椅子に座ると、男性は一度、深く息を吐いた。


「……人に勧められて、あなたのことを知りました」


 静久には、その言葉の続きが、わかっていた。


「どうか……話だけでも、聞いていただけませんか」


 静久は、静かに頷く。


「お話ください」


 男性は語る。

 病のこと。家族のこと。

 もう時間が残されていないこと。


 言葉は丁寧で、理性的で、切実だった。


——期待は、正しい形をしている。


「……あなたなら」


 男性は、視線を静久に向ける。


「あなたなら、何かを……」


 その瞬間。

 宗継の指が、机の端を掴んだ。


 “働く者”の癖だ。

 状況を、"手順"に落とそうとする。


 静久は、目で宗継を制し、前に出た。


「申し訳ありません」


 少しだけ、震えた声だった。


「そのご期待には、応えられません」


 空気が、止まる。


 男性は、すぐには理解できなかった。


「……ですが、まだ、何も」


「分かっています」


 静久は、ゆっくりと話した。

 無理に、落ち着きを装っている。


「分かった上で、お断りしています」

「私は、巫女をやめております」


 沈黙。


 宗継は、喉の奥が熱くなるのを感じた。


 これは正しい。

 だが、正しいことは、いつも痛い。


「……なぜですか?」

「せめて、祈っていただくだけでも……」


 男性は、縋るように問う。


 静久は、少しだけ考えた。


「祈らないのは、あなたのためではありません」


 そして、はっきりと言う。


「私のためです」


 男性は、言葉を失った。


 拒絶ではない。

 敵意でもない。


 ただ、線が引かれた。


 宗継は、その線の重さを理解している。

 “働く者”は、線が引かれた後を処理するのだから。


「……分かりました」


 男性は、ゆっくりと立ち上がる。


「ご無理を言って、申し訳ありませんでした」


 深く頭を下げる。

 その姿が、ひどく丁寧で、ひどく哀しい。


 扉が閉まる。

 しばらく、誰も動かなかった。


「……いいのですか?」


 宗継が、ようやく口を開く。


「ええ」


 静久は答える。


「これは、葬るべき期待でした」


 狐が、静かに目を開けた。

 そして、諭すように話し始める。


「巫女を、やめる」


「はい」


「それでも、良い。だが……」


 狐は言葉を切る。


「”織らぬ”と決めた者ほど、糸は絡む」


 宗継と静久には、この言葉の意味が理解できない。

 だが、二人の胸の奥が、嫌に冷えた。


「宗継さん」


 静久が振り返る。


「ありがとうございます」


「……何が、ですか?」


「ここにいてくださって」


 宗継は、小さく笑った。


「それが、私の仕事ですから」


 狐は、二人を見比べる。

 何も言わない。


 ただ、


——また一つ、大きすぎる期待が消えていく。


 狐は、そんなことを考えている。



読んでいただき、ありがとうございます。

とっても、嬉しいです。

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