第15話 期待されなかった人
依頼人は、少し遅れて現れた。
呼び鈴が鳴る前。
事務所の外で一度、足音が止まった。
それから控えめに、呼び鈴は二度押された。
「どうぞ」
三十代前半の男性。
背は高いが、どこか頼りない。
——小さい棺だ。
視線が定まらず、事務所に入っても、立ち位置を探している。
男性は、自分の棺をチラリと見て、目を逸らした。
「……九條先生、ですよね」
「はい」
男性は、事務所の椅子に”浅く”腰を下ろした。
ここに長居していいのか、迷っているようだった。
宗継が、茶を出しながら
「今日は、どのようなご用件で?」
男性は、すぐには答えなかった。
湯気の立つ茶を見つめ、ようやく口を開く。
「……捨てたい期待は、ありません」
「そうですか」
「ただ」
言葉が、そこで途切れる。
「苦しんでいるのは?」
「……たぶん、僕です」
彼の棺は、土産物の箱くらいの大きさ。
作りも簡素で、何も刻まれていない。
「……やっぱり、小さいですか?」
宗継はそれを制して言う。
「あまり長く見つめると、危険です」
「おやめください」
それに加えて、言う。
「大丈夫です。この事務所でしか見えません」
「事務所の外では"自分の棺"を見ることはありません」
男性は、苦笑しながら言葉を選んだ。
「僕……誰かに、期待されたことなんてなくて」
宗継は、男性の感情が整うのを待ってから問う。
「叱られたことも?」
「ほとんど、ありません」
男性は、少し肩をすくめた。
「親には『あなたの好きにしていいよ』って……」
「いつも、そう言われてました……」
「進路についても、部活も、成績も……」
「特に、何か言われたことがありません」
静久は、茶葉の残量を確認している。
狐は、寝たふりをしていた。
「自由ですね」
宗継が言う。
「はい」
男性は、すぐに答えた。
「自由、でした。だから……」
「全部、自分で決めてきました」
宗継は、チラリと棺を見て
「この期待は?」
男性は、しばらく黙り込んだあと、
「……中学2年のとき、担任の先生からのものです」
「僕が先生の息子さんに、よく似てたみたいで」
沈黙。
「親は、子に期待するものでしょう?」
「自分の子に似ていれば、他人の子でも期待する」
男性は、目を伏せる。
言葉が、少し震える。
「親に、口出ししてほしかった」
「期待されたかった」
宗継が口を開く。
「この棺は、とても小さい」
「ですが、確かに存在しています」
男性が、顔を上げる。
「ちょっとくらいの期待では、棺はできません」
「担任の先生は、なんとおっしゃっていましたか?」
男性は、目を潤ませて
「『お前は、自分の頭で考えられる人間だ』って」
小さな棺が、カタッと音を立てる。
「あの先生だけでした。僕に期待してくれたのは……」
宗継が、問う。
「この棺を、どうしたいですか?」
男性は、即答する。
「大切にします」
男性は、それから小さく息を吸って
「ここだと、僕にもこの棺が見えます」
「はい」
「挫けそうになったら、また、ここに来ます」
宗継は、静かに頷く。
「この棺を、確認しに」
そう言って、男性は涙を拭った。
静久が、茶のおかわりを置く。
少し、タイミングが悪い。
男性は、言葉をもう一度だけ言った。
「『お前は、自分の頭で考えられる人間だ』」
小さな棺が、小さな音を立てる。
その音を、男性は、とても満足そうに聞いた。
それから男性は、急いで茶を飲み、事務所を出ていった。
事務所の扉が閉まる。
静久が、ぽつりと言った。
「良い棺でしたね」
「小さい期待は、気づかれにくい」
「けれど、持ち主のことを、長く温めます」
これで第15話です。お読みいただき、ありがとうございます。
とっても、とっても嬉しいです。




