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期待葬の司祭  作者: 八海クエ
第1章 司祭、巫女、狐
12/25

第12話「らしくない」

 事務所の扉が開く音が、少しためらっていた。


 宗継が視線を上げると、若い女性が立っていた。

 年齢は静久と同年代、二十歳前後。


 背筋は伸びているが、両手は固く組まれている。


「……失礼します」


 声は小さい。


「どうぞ」


 宗継は、椅子を示す。


 女性は一礼してから座った。

 彼女の視線は宗継から静久、狐へと流れ、事務所の隅で止まる。


──彼女の棺。


 白布をかけられた、期待の棺がそこにある。

 女性は、すぐに棺から目を逸らした。


「……見ない方が、いいんですよね」


「ええ」


 沈黙。


「なぜ……ですか?」


 稀に、聞かれることのある質問。


「本当のところは、わかりません」

「ただ、引きずり込まれてしまいます……」


「なんだか……分かります」


 女性は、小さく息を吐いた。


 宗継は、場を先に進める。


「お話、伺います」


 女性は、少し考えてから言った。


「……留学しようか、迷っています」


「迷う」


「イルカの研究がしたくて。海外の大学です」

「厳密には、イルカの社会性についてです」


 宗継は眉一つ動かさずに


「今は、何を勉強されているのですか?」


「薬学部にいます」


 女性は、そこで少しだけ笑った。


「変、ですよね……」


 その問いには答えずに、宗継は問う。


「迷っている、とは?」


 女性は、視線を落とす。


「薬学部にいるのは、親の影響が大きいです」

「実家が、小さな薬局を経営しているので」


 沈黙。


「私が薬剤師になることが……」

「周囲の期待と思ってました」


 棺は、何の反応もしない。


「それが事実なら、薬剤師の資格を取得してから──」

「その後、留学すればいいだけでした」


 棺は、静なまま。


「でも……みんなに、言われたんです」


「何を?」


 彼女は、少し、ためらった。

 それから、口を開く。


「『君らしくない』って」


 その言葉が出た瞬間、棺が、大きく軋んだ。


 女性はその音に少し怯えながらも、続けた。


「友だちにも、家族にも……彼氏にも言われたんです」


 宗継は、ただ頷いた。


「……私、ずっと大人しかったんです」


 女性は、ゆっくり話す。


「親にも、先生の言うことにも、ほとんど逆らわなくて」

「自分を主張するってことが、ないというか……」


「それが、“らしい”」


「はい」


 女性は、膝の上で指を組み直す。


「だから……急に留学とか、イルカの研究とか言うと」

「みんな、困るんだと思います」


「困らせている、と」


「……はい」


 宗継は、棺を一瞥し、目線を逸らす。


「あなたも、困っていますよね?」


 女性は、すぐに答えられなかった。

 しばらくして、ぽつりと言う。


「はい」


 沈黙。


「イルカの研究、あきらめたくなくて……」

「でも、留学にはお金もかかるし……」


 宗継は、表情を曇らせて


「あなたに、変わらないでいてほしい」

「それが、周囲の期待でしょうか」


 半拍遅れて、宗継から溢れる。


「そんな……」


 静久がビクッと身体を固める。

 狐も、首を上げた。


 女性の肩が、わずかに揺れる。

 女性は、宗継の言葉の先を読み取って


「勝手……ですよね……」


 声が、震えている。


 宗継は、不自然に会話を止めた。


──まさか。まさか、これが。


 女性が尋ねる。


「この言葉を、葬った方がいいんでしょうか?」


 宗継は、考えている。


 しばらくして。


「今日は、葬りません」


 女性は、目を見開いた。


「え……?」


「その言葉が、あなたを縛っているとしても」


「……はい」


「それでも、あなたは留学を考えている」


 女性は、黙っている。

 けれど、否定はしない。


「あなたは」


 宗継は、静かに告げる。


「期待に従うかどうかを、自分で決めようとしています」


 棺は、そこにある。

 消えてはいない。


 けれど女性の視線は、

 棺に引き寄せられてはいない。


「……私」


 女性は、深く息を吸う。


「怖いです」


「はい」


「嫌われるかもしれないし、心配されるし……」

「がっかりも、されると思います」


「そうでしょうね」


 宗継は否定しない。


 女性は、しばらく黙ってから言った。


「……それでも」


 声が、少しだけ強くなる。


「行きたいんです」


 宗継は頷いた。

 それ以上、言葉は足さない。


 女性は、立ち上がった。

 来たときよりも、背筋がずっと伸びている。


「……ありがとうございました」


 宗継は答えない。


 扉の前で、女性が振り返る。


「また……『君らしくない』って言われると思います」


 棺が軋む。


「ええ」


 それから女性は、

 この事務所に来て初めて、笑顔を見せた。


「私、嫌われてもいいです」


 そのとき。


 彼女と棺を繋いでいた糸が、切れた。


 扉が閉まる。

 事務所に、静けさが戻る。


 この事務所を出て行ったのは、


──自分らしさを、自分で決める人間。


 葬らなくても、越えられる期待がある。


 宗継は、湯呑みを片づける。


 静久が、その背にそっと手を伸ばした。



これで第1章の完結です。

お読みいただき、ありがとうございました。


よかったらリアクション、ご感想、☆評価など、お願いします。


第2章に、続きます。

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