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期待葬の司祭  作者: 八海クエ
第1章 司祭、巫女、狐
11/15

第11話 本当の依頼人

 扉が開く音は、少し乾いていた。


 宗継は、読んでいた本を閉じ、

 視線だけで来訪者を迎える。


 男性は、三十代前半。

 以前(第2話)と同じ時間帯。夜勤明けの顔。


「……お久しぶりです」


 声に、無理はなかった。

 ただ、前回よりも疲れているように見える。


 視線が、宗継の背後をかすめる。


──棺。


 白布をかけられたそれは、そこにある。


 この部屋では、一般人でも、棺が見える。

 ただ、棺を凝視すると、期待に取り込まれることがある。


「棺は、できるだけ見ないでください」


 そう言いながら、宗継は湯呑みを二つ、机に並べた。


「どうぞ」


「……ありがとうございます。いただきます」


 男性は腰を下ろす。

 膝の上で、両手を重ねる。

 前に来たときと、同じ姿勢だった。


「宿題のほうは、如何ですか?」


 男性は、小さく息を吸った。


「……弟の代わりじゃない時間を、五分」


「ええ」


「やりました」


 宗継は、すぐには何も言わない。


「毎日、やれましたか?」


「……今週は、三日だけです」


「その5分、何をしましたか?」


「夜勤が終わって……病院を出たあと」

「コンビニでコーヒーを買って、外で飲んだりしました」


 一拍、置く。


「弟の代わりではない……たったの五分」


 宗継は、確認する。


「その五分の間、あなたは“兄”でしたか」


 男性の喉が、小さく鳴った。


「……違います」


 前より、迷いが少ない。


 宗継は言う。


「違う、と言えた」


 男性は、はっきりとは頷かない。


「弟さんが亡くなって、もう十年です」


「……はい」


「それでも"代わり"は終わっていない」


 男性の指先が、わずかにずれた。


「……母は」

「僕に、生きていてほしいだけです」


「“生きていてほしい”は、願いです」


 宗継は、淡々と告げる。


「でも、“弟の代わりに”という言葉がどこかに残っていると」

「その願いは、期待になります」


 男性は、ゆっくり息を吐いた。


「……前に来たとき、先生はおっしゃいました」


 宗継を見る。


「“弟を殺したい”って、罪悪感なしに言えるかと」


 宗継は頷く。


 男性は視線を伏せる。


「まだ、とても言えません」


 男性の肩が、

 前よりも、少しだけ下がった。


「確認します」


 宗継の声は変わらない。


「あなたが“殺したい”と思っているのは、誰ですか」


 沈黙。


「あなた自身ですか? 弟さんですか? お母様ですか?」

「それとも……代わりでい続けている自分ですか?」


 男性の手が、崩れた。


「もう……わかりません」


 前と同じ答え。

 でも、逃げではない。


「わからないままでいいです」


 宗継は言う。


「ただ、主語を探してください」


「主語……」


「“殺したい”と言っているのは、あなたですか?」


 男性は、何も言えなかった。


 その沈黙を、誰も壊さない。

 壊してはいけない。


 狐の尻尾が、床を一度だけ打つ。

 宗継は、湯呑みを置く。


「コトッ」


 その音が、きっかけだった。


「……もしかして」


 男性の頬を大粒の涙が伝う。


「弟を殺したいのは……」


 男性は、涙を拭わずに続ける。


「僕の中にいる弟を殺したいのは……」


 確信した。


「弟……なんですね」


 棺が、小さく軋む。


 鮮明な記憶がよみがえる。


 白い病室の天井。

 酸素の匂い、消毒液。機械信号の音。

 ベッドに横たわる弟。頬が薄く、目だけが大きい。

 兄の手を掴む力は弱いのに、離さない。


 弟は、消え入りそうな声で

『兄ちゃん、幸せになってね』と言った。


 確かに、そう言ったのだ。


 空気が、変わった。

 宗継は、手順に入る。


「あなたを、苦しめてきた言葉を」


 静久は、部屋の隅で狐を抱きしめた。


「『あの子の分まで、しっかりしなさい』」


 棺が、軋む。

 その音が徐々に大きくなる中、宗継が言う。


「誰も、悪くありませんでした」


 宗継は、棺の上に、小さな燭台を置く。

 火を灯すと、期待は一度だけ強い輝きを見せた。


「最後に、あと一つだけ」


 宗継は言った。


「あなたの言葉で、送ってあげてください」


 男性は涙を拭いて、立派に屹立した。


「……ありがとう、ございました!」



読んでいただき、ありがとうございます。


書いていて、泣いてしまいました。

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