第11話 本当の依頼人
扉が開く音は、少し乾いていた。
宗継は、読んでいた本を閉じ、
視線だけで来訪者を迎える。
男性は、三十代前半。
以前(第2話)と同じ時間帯。夜勤明けの顔。
「……お久しぶりです」
声に、無理はなかった。
ただ、前回よりも疲れているように見える。
視線が、宗継の背後をかすめる。
──棺。
白布をかけられたそれは、そこにある。
この部屋では、一般人でも、棺が見える。
ただ、棺を凝視すると、期待に取り込まれることがある。
「棺は、できるだけ見ないでください」
そう言いながら、宗継は湯呑みを二つ、机に並べた。
「どうぞ」
「……ありがとうございます。いただきます」
男性は腰を下ろす。
膝の上で、両手を重ねる。
前に来たときと、同じ姿勢だった。
「宿題のほうは、如何ですか?」
男性は、小さく息を吸った。
「……弟の代わりじゃない時間を、五分」
「ええ」
「やりました」
宗継は、すぐには何も言わない。
「毎日、やれましたか?」
「……今週は、三日だけです」
「その5分、何をしましたか?」
「夜勤が終わって……病院を出たあと」
「コンビニでコーヒーを買って、外で飲んだりしました」
一拍、置く。
「弟の代わりではない……たったの五分」
宗継は、確認する。
「その五分の間、あなたは“兄”でしたか」
男性の喉が、小さく鳴った。
「……違います」
前より、迷いが少ない。
宗継は言う。
「違う、と言えた」
男性は、はっきりとは頷かない。
「弟さんが亡くなって、もう十年です」
「……はい」
「それでも"代わり"は終わっていない」
男性の指先が、わずかにずれた。
「……母は」
「僕に、生きていてほしいだけです」
「“生きていてほしい”は、願いです」
宗継は、淡々と告げる。
「でも、“弟の代わりに”という言葉がどこかに残っていると」
「その願いは、期待になります」
男性は、ゆっくり息を吐いた。
「……前に来たとき、先生はおっしゃいました」
宗継を見る。
「“弟を殺したい”って、罪悪感なしに言えるかと」
宗継は頷く。
男性は視線を伏せる。
「まだ、とても言えません」
男性の肩が、
前よりも、少しだけ下がった。
「確認します」
宗継の声は変わらない。
「あなたが“殺したい”と思っているのは、誰ですか」
沈黙。
「あなた自身ですか? 弟さんですか? お母様ですか?」
「それとも……代わりでい続けている自分ですか?」
男性の手が、崩れた。
「もう……わかりません」
前と同じ答え。
でも、逃げではない。
「わからないままでいいです」
宗継は言う。
「ただ、主語を探してください」
「主語……」
「“殺したい”と言っているのは、あなたですか?」
男性は、何も言えなかった。
その沈黙を、誰も壊さない。
壊してはいけない。
狐の尻尾が、床を一度だけ打つ。
宗継は、湯呑みを置く。
「コトッ」
その音が、きっかけだった。
「……もしかして」
男性の頬を大粒の涙が伝う。
「弟を殺したいのは……」
男性は、涙を拭わずに続ける。
「僕の中にいる弟を殺したいのは……」
確信した。
「弟……なんですね」
棺が、小さく軋む。
鮮明な記憶がよみがえる。
白い病室の天井。
酸素の匂い、消毒液。機械信号の音。
ベッドに横たわる弟。頬が薄く、目だけが大きい。
兄の手を掴む力は弱いのに、離さない。
弟は、消え入りそうな声で
『兄ちゃん、幸せになってね』と言った。
確かに、そう言ったのだ。
空気が、変わった。
宗継は、手順に入る。
「あなたを、苦しめてきた言葉を」
静久は、部屋の隅で狐を抱きしめた。
「『あの子の分まで、しっかりしなさい』」
棺が、軋む。
その音が徐々に大きくなる中、宗継が言う。
「誰も、悪くありませんでした」
宗継は、棺の上に、小さな燭台を置く。
火を灯すと、期待は一度だけ強い輝きを見せた。
「最後に、あと一つだけ」
宗継は言った。
「あなたの言葉で、送ってあげてください」
男性は涙を拭いて、立派に屹立した。
「……ありがとう、ございました!」
読んでいただき、ありがとうございます。
書いていて、泣いてしまいました。




