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期待葬の司祭  作者: 八海クエ
第1章 司祭、巫女、狐
10/17

第10話「先生だけが頼りです」

 扉が開いたとき、

 宗継は、少しだけ遅れて顔を上げた。


——来てしまった。


 そう感じた。


 依頼人は、女性。三十代半ば。

 服装は整っているが、どこかラフな感じもある。


 部屋に足を踏み入れた瞬間、彼女は立ち止まった。

 視線が、宗継から外れる。


 隅で丸くなっている狐。壁際の椅子に腰掛ける静久。

 しかし彼女は、視界に入っているはずの棺は見なかった。


「……すみません」


 それから女性は、そう言った。

 何に対しての謝罪かは、分からない。


「期待葬、ここで合ってますか?」


「はい。お話を伺います」


 女性は、少しだけ息を整えてから、座った。


 女性は、しばらく黙っていた。

 そして、自分の膝に置いた手を見つめた。


「私……小児外科医です」


 宗継は、顔を上げない。

 

「がんのお子さんを、たくさん診てきました」


 言葉が、淡々と続く。


「技術的な意味で、手術は成功させることができます」

「でも……手術は成功しても、助からないことも多く……」


 静久が、茶を差し出す。

 女性は「ペコリ」と小さく礼をする。


「“お願いします”って。“この子だけは”って」

「”先生だけが頼りです”って——」


 棺が音を立てずに、震える。


「やっぱりそれ、私に向けられた期待なんですね」


 少し小さな声になって、


「手術室に入る前、ご両親に手を握られます」


 彼女は、ぎゅっと指を折り曲げる。


「離してもらえないこともあります」


 狐の尾が、床を打つ音がした。


「医師なんですから。期待されるのは当然です」


 声は、震えていない。


「助からなかったとき……」


 一拍。


「“人殺し”って、言われたりもします」


 宗継は、何も言わない。


「訴えられることも、あります」


 棺の存在が、部屋の空気を圧す。

 だが、誰もそれを見ない。


「それでも、次の手術があります」


 女性は、笑って見せる。


「他の子が、手術を待ってます」

「本当は、とても怖いはずなのに」


 静久が、一歩踏み出しかけて止まる。


「私に向けられている期待は、正しいものです」


——正しい期待。


「でも」


 女性は、顔を上げる。


「もう、疲れてしまいました」

「葬ってください」


 宗継は、静かに問う。


「今回だけ……ではない?」


 女性は、首を振る。


「定期的に、お願いしたいです」

「手術に集中したいので」


 そう言って、彼女は湯呑みを置いた。


——これは、正しくて逃げ場のない期待だ。


「……確認させてください」


 宗継は、慎重に言葉を選ぶ。


「あなたは、期待を“なくしたい”のではない」


「期待するのは、当然です」


「減らしたいわけでも、軽くしたいわけでもない」


「医師に期待するのは」

「患者やそのご家族にとって当たり前のことです」


 沈黙。


「医師を続けるために、葬りたいと」


 女性の目が、初めて揺れた。


 そして宗継は、はっきりと


「今日は、葬りません」


 女性は、驚かない。

 それでも、問う。


「なぜ、ですか?」


 宗継は、姿勢を正す。


「先生は、もう、おわかりなのだと思います」


 一呼吸して


「医師は、常に期待とともにあります」


——祈られるのは、神と同じだ。


「しかし、その期待を葬るのは……」


——神をやめた、狐のようなもの。


 宗継は、慎重に言葉を選ぶ。


「あなたは医師である前に、人間です」

「人間が壊れてしまうようなら、葬ります」


 彼女は少し考えてから、はっきりと


「私が、自分の意思で選んだ仕事です」


 立ち上がる前。


 彼女は一度だけ、棺のある方向を見て——

 すぐに視線を逸らした。


「壊れそうになったら、また来ます」


 扉が閉まる。


——正しくて逃げ場のない、永遠に続く期待。


 宗継は、湯呑みに手を伸ばし、茶をすすった。



第10話まで来ました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

とっても嬉しいです。

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