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「どうかしたのかい?」
アリスの態度が不自然だったのか、ハーヴェイが不思議そうな顔をして問いかけてきた。
「あの……殿下が知略に優れた方であるということは、とてもよくわかりました。ですが、どうして私の家の事情を、ご存じなのですか?」
四年前、事件直後に礼を言われたけれど、彼との関係はそれきりだ。
アリスとエイルマーが婚約者同士である事実を覚えているのは当然だけれど、伯爵家でのアリスの立場や、家族との不仲を知っていないとこんな助言はできない気がした。
それに、先ほどからアリスを子爵家の養子にする話を気軽にしているけれど、それも妙だった。
アリスとホールデン子爵家の者の仲のよさを知っていなければ、こんな提案はできないはずだ。
するとハーヴェイはきょとんと首を傾げた。
「……いやだな。君のいとこのランドルは白鹿騎士団の副団長じゃないか? 私の直属の部下だよ……」
「あっ! そうでしたね。がさつなランドル兄様が王家の皆様をお守りしているなんて、想像できなくて失念しておりました」
ホールデン子爵家の跡取り息子であるランドルは、アリスにとって兄に等しい存在だ。
そういえば彼は、白鹿騎士団に所属していたのである。
エイルマーが所属する朱鷲騎士団が都の民を守っているのに対し、白鹿騎士団は宮廷と王族を守る組織となっている。
守るものが限定されている白鹿騎士団は規模こそ小さいものの、家柄と実力を兼ね備えた者たちが集う。
ホールデン子爵家は、貴族としての地位はそこまで高くはないけれど、騎士の名家として代々王族を守る役割に就いているのだ。
「ランドルは、いつも君のことを気にかけているよ」
アリスは、ランドルの姿を思い浮かべる。
目と髪はアリスとほぼ同じ色をしていて、背が高く、ハーヴェイよりも肩幅が広いかなり筋肉質な青年だ。
白い歯を見せて笑うと軽薄な遊び人のように見えるけれど、じつは真面目で、かなりがさつだった。
しゃべらなければ格好いい人……と、アリスの友人たちは口を揃えて評する。
普段アリスを心配する言葉はくれないのだが、じつは気にしてくれているらしい。
「直接、そういう素振りは見せてくださらないのですが……なんだか、兄様らしいです」
「四年前の事情を知っている数少ない人間の私には、いろいろと相談してくれるんだ。……さて、屋敷についたようだ。健闘を祈るよ、ヴァーミリオン嬢」
「はい、ハーヴェイ殿下。今日は本当にありがとうございました」
そこから先は、面白いほどすべてがハーヴェイの作戦どおりに運ぶ。
アリスは、まもなくエイルマーから婚約の解消を求められることを父に告げた。
もちろん、エイルマーが剣姫にたどり着く予定でいることは、父には伝えない。
最初は、エイルマーが保険としてアリスを利用しているだけだった事実を話しても、父は「繋ぎ止めろ」の一点張りだった。
(やっぱり……。でも、私にはハーヴェイ殿下が授けてくださった策があるもの)
効果はてきめんだった。
今になってエイルマーに真実を告げたら、父だけが彼の不興を買い、不利益を被るだろう。たったそれだけの主張で、父はあっさりと、アリスを手放す決意をした。
「話はわかった……。侯爵家から申し出があれば婚約の解消に応じる。十八歳で婚約者に捨てられたなどという醜聞があるのなら、どうせ格下の相手にしか嫁げない。おまえは……子爵家でも修道院でも、好きなところに行けばいい」
そして翌日には、エイルマーからの申し出があり、あっさりと婚約の解消が成された。
さらに、アリスのほうからはなにも動いていないのに、子爵家の養子となる手続きも、恐ろしいほどの早さで進んでいった。
約束どおり、ハーヴェイが動いてくれたのだ。
舞踏会から五日。アリスは簡単な荷造りをして、子爵邸へ移り住むことになった。
元々アリスは、侯爵家からの縁談が来るまで子爵家で暮らしていたので、部屋も残っている。ありがたいことに、子爵家のほうで受け入れる体制はばっちりのようだ。
「姉様!」
「あら、ノエル。どうしたの?」
トランクを持って屋敷を出ようとしたところで、慌てた様子のノエルが近づいてきた。
「……どうしたって……? 本当に出ていくなんて……」
「金髪はヴァーミリオンじゃないんでしょう? ちょうどいいじゃない」
アリスは、弟のことは嫌いではなかった。
義母はまったくの他人だし、一度子爵家に預けられたときから父とも真の家族ではなくなったと思っている。
アリスがこっそり剣術を続けていることにすら気づかない父と比較して、ノエルはいろいろと察している。
彼が反抗期で姉に悪態をついているだけだとわかっているのに、それでもアリスはあえて弟を突き放した。
「あっそう……」
「薄情な姉のことなんて気にしないで、あなたはあなたで……精一杯やりたいことをしなさい。立派な伯爵になってね?」
「わかった……。姉様も、本気でヴァーミリオン伯爵家のことなんて忘れていいよ。じゃあね……」
ノエルはアリスに背を向けて、屋敷の中へ戻っていった。
今日に限って、悪態をつかずにあっさりとしていた。
ノエルは一体、どこまでわかっているのだろうか。
忘れていいとは言われたものの、家族の中で唯一、弟のことだけは気にかけながら、アリスは生家を去ることになった。




