7-1 中庭にて(第一部最終話)
正騎士のアリスは、今日も職務に勤しむ。
王族のためにある中庭で、お茶を飲むパトリシアとハーヴェイ。
アリスは同じ部隊のブラッドリーと一緒に、王族二人の護衛をしていた。
正直、自分たちよりずっと強いハーヴェイの護衛をするというのは変な気分だが、彼だって油断するかもしれないし、死角もあるだろう。
だから護衛を務めるうえでは、この人が最強の剣士である事実は忘れることにしておく。
「見てください、アリス……。皇太子殿下から、アルヴェリア語でお手紙をいただいたの。とってもお上手よね」
「本当に、お上手です。ええっと『私が最初に書いたアルヴェリア語は〝パトリシア〟という名で、次に綴った言葉は〝大好きだよ〟というあなたへの想い。もう百回は繰り返している。この先さらに一万回は繰り返すのだろう』ですか……。これは……なんだか……」
少年らしくない、とんでもない糖度の恋文だった。
なんとなく、ヨルクの顔が思い浮かぶ。
(アルヴェリア語の指導は、きっとあの方なんだわ……)
お国柄か、師の影響か、それとも両方なのだろうか。
ヴァルシュタインの皇太子は、末恐ろしい愛の伝道師だった。
パトリシアは手紙を誇らしげに見せたあと、封筒の中に仕舞おうとしたのだが……。
「あ……っ!」
突然突風が吹き、便せんが宙に舞う。
アリスは必死に手を伸ばし、一枚を掴むことに成功する。
けれどもう一枚はそばにあった木の枝に引っかかってしまった。
手を伸ばしても届かない、高い位置だ。
「わたくしの手紙が……」
「ここは身軽な私にお任せください」
アリスは手にしていた便せんをパトリシアに返してから、気合いを入れるために腕まくりをした。
「いいや、私にやらせてくれ」
ハーヴェイがすくっと立ち上がり、アリスの行動を阻む。
「ですが、ハーヴェイ殿下!!」
「木登りは護衛の任務ではないよ。むしろ、兄の仕事だ」
「危ないです。その木、少し細くて……男性が枝に掴まったら折れてしまうかもしれません」
アリスはそれでも食い下がる。
ランドルほどではないにしても、ハーヴェイは身体を鍛えている。細身に見えるけれど、長身だからかなり重いはずだ。
一般的な女性の倍程度だと推測できるから、枝が折れる確率も倍になりそうだ。
「それこそ、君が落ちたら大変だ。アリス殿には木登りの経験があるのだろうか?」
「……ありませんが、身体を鍛えているので、できるはずです!」
木登りは騎士の任務ではないと言うけれど、王族に危険を冒させないようにするのは、立派な任務である。
「ホールデン。ここは殿下に任せなよ。どうせ引かないし、僕も木登りなんてできない」
「そうそう、ブラッドリーの言うとおりだ」
面倒くさそうにしているブラッドリーに諭されて、笑顔のハーヴェイに押し切られる。
アリスは仕方なく、ハーヴェイの木登りを見守ることにした。
手際よく登っていくハーヴェイ。どうやら本当に、木登りの経験があるらしい。
「よし! 落とすから受け取ってくれ」
細い枝の先に引っかかる便せんは、しっかり握るよりも、落としたほうが手っ取り早いのだろう。
ハーヴェイが枝を揺すると便せんがはらりと舞い、駆け寄ったアリスの手の中に落ちてきた。
「ハーヴェイお兄様、下りるまでが木登りですわよ。油断なさらないで」
パトリシアから忠告があったのとほぼ同時に、ボキッと嫌な音が響く。
ハーヴェイが掴んでいた枝を放し、地面に尻もちをつく。
折れた枝がしなり、真下にいたアリスの頬をかすめてしまう。
ピリッとした痛みが走った。
「ハーヴェイ殿下。お怪我はございませんか?」
やはり身軽なアリスが木に登るべきだったのだ。
後悔しながら、ハーヴェイの様子を観察する。
彼はスッと立ち上がり、次の瞬間、目を見開いた。
「ア、ア……アリス……! 血が出ているじゃないか!? か、顔に……傷……」
珍しく呼び捨てにして、ハーヴェイが慌てはじめる。
「止血……消毒……あぁ……どうすれば」
傷を凝視し、青ざめた顔でつぶやきながら、ハーヴェイが迫ってくる。
そして……。
「……へ?」
彼が顔を近づけた次の瞬間、頬に柔らかいものが当たった。
すぐそばで吐息を感じたのと同時に、アリスの思考は停止する。
おそらく、ハーヴェイも同じだろう。
「ハーヴェイお兄様……変態さんです!」
「職権乱用ですよ。それに傷口を舐めるなんて行為は、むしろ雑菌が入るので医学的に推奨できません。消毒薬を使ってください」
パトリシアとブラッドリーの声が響くが、アリスの身体は硬直したまま動かない。
頬に当たっているのがハーヴェイの唇であることだけはなんとなくわかった。
「す、すまない! 血が……それで、拭おうと……」
ハーヴェイが一歩下がる。
動揺し、顔が真っ赤になっていた。
アリスもなにか声を出したほうがいいはずだが、喉がキュッと締まって言葉にならない。
「消毒薬……消毒しなければ……万死に、値する……っ!」
ハーヴェイが勢いよくアリスに背を向けて走り出し――そして木の幹に頭から体当たりをした。
ドンッという鈍い音に続いて、彼が仰向けに倒れる。
「ハーヴェイ殿下!?」
そこでようやくアリスの金縛りが解ける。
慌てて駆け寄ると、ハーヴェイが完全に気絶しているのがわかった。
ぶつけた衝撃で額が赤くなっていて、痛々しい。
パトリシアとブラッドリーも近くに来てくれた。
「これ……王族が負傷したということで、僕たちが報告書を書くべきなのだろうか? だったらものすごく迷惑なんだけど」
ブラッドリーは不満そうな顔をしながら、呼吸や心音の確認を手際よく進めていく。
アリスも本来なら倒れている人物を介抱するべきだが、どうしても彼に触れる気になれない。
不用意に触れられたけれど嫌な感覚はなかった。
動悸がして、とにかく顔が熱い。
もし、任務中でなければ、ブラッドリーにこの場を任せて逃げていただろう。
「それにしても、ホールデンはすごいな。負け知らずの騎士団長を二回も気絶させるなんて……白鹿騎士団内で君こそが最強なんじゃないか……?」
「こんなときにからかわないで!」
どこからその話が漏れたのかわからないけれど、ブラッドリーはハーヴェイの気絶がこれで二度目であることを知っているらしい。
「ハーヴェイ殿下。起きてください……。これでは私、怒れないじゃありませんか? ずるいですよ……」
呼びかけに返事はない。
念のため頭を動かさないほうがいいから、今はそっとしておくしかなかった。
ハーヴェイは、アリスが文句を言う前に、謝罪し、図らずも盛大に罰を受けてしまった。
それはかなり卑怯だ。
アリスは、目をつぶったままのハーヴェイを見つめながら、目覚めたらどんな不満をぶつけてやろうか、真剣に考えていた。
けれどきっと、なに一つ文句なんて言えないのだろう。
そういう自分の気持ちに、もう気づいていた。
【第一部・完】
次話より第2部の予定ですが、ここでお休みをいただきます。
書き溜めをして放出さていただく予定です。
第2部は……
・ハーヴェイに本気出させる!脱信奉者
・エイルマーと対決
・その頃、生家でも騒動が?
という内容で進めていく予定です。
最後になりますが、ブックマークや★★★★★評価で応援していただけると、とっても嬉しいです!
第2部開始までお待ちくださいませ~。




