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6-4

 舞踏会から二日後の晩――。

 日付が変わった深夜に、第一王女パトリシアの私室前でかすかな物音がした。

 やがて、ゆっくりと扉が開かれる。

 小さなオイルランプが一つだけ灯されている室内に、足を踏み入れた者がいる。

 その者は、王女のベッドに近づき、鈍く光るなにかを振り上げ、そしてパトリシアの身体目がけて振り下ろした。


 ポスン、という妙な音が室内に響く。


「そこまでです!」


 室内に潜んでいたアリスは、犯行を確認したところで大声で叫んだ。


「……!」


 フード付きのマントを羽織った侵入者の動揺が、手に取るようにわかる。

 毛布の上からであっても、ナイフが深く身体に突き刺さったら、すぐに大量の血が流れ出すものだ。

 そして、引き抜いたナイフも真っ赤に染まっていなければおかしい。


 武器の扱いに慣れている者ならば、刺したものが人ではなかった事実に気づくだろう。

 続き部屋の扉が開き、ハーヴェイが静かに入室してくる。


「パトリシアは安全な場所で眠っているよ……」


 侵入者がナイフを突き立てたのは、黒髪のかつらを被せた、綿が詰まった人形だ。

 アリスたちは襲撃の可能性を考え、舞踏会の日から毎晩ここで寝ずの番をしていたのだ。


「……くっ!」


 侵入者は自分の不利を悟り、廊下へと繋がる扉に向かう。

 けれどそちら側にはジュリエットがいて、剣を構えている。


「……!?」


「私のこと、気絶させたはずなのにって思っています? 演技ですよ、演技。……じつは、事件が起こるとしたら、寝室前の警備担当が私のときが怪しいと思っていました。白鹿騎士団員の中で、私が一番弱いから……」


 いつもどおりの軽い口調のようでいて、ジュリエットの声は震えている。

 裏切りにショックを受けているのだ。


「フロックハート隊長、大人しく捕まってください」


 アリスは侵入者に呼びかけた。


「……いつ、気がついたのかしら……?」


 フードを取り払ったあと、マルヴィナが凍てついたまなざしをアリスに向けてくる。

 アリスは剣を構え、彼女と対峙した。


「フロックハート隊長が、ヴァルシュタイン帝国の軍人の方と一緒にいらっしゃるのを目撃してしまったんです。……あなたの目は、恋をする人のそれではなかったと思います」


 もう別れを告げた想いだけれど、アリスは人を好きになったことがある。

 その人を喜ばせたい、その人が笑ってくれたら幸せになる――そんな気持ちをかつては抱いていた。

 だから、マルヴィナに違和感を覚えたのだ。


「恋? ……そんなことで……そんなことで……私の計画が……?」


 本当はそれ以外にも、たくさんヒントがあったのだ。


 卵を投げつけたあの少年について、ジュリエットはかなり悪い印象を持っていた。

 それは、少年が騎士への嫌がらせ目的で、処分済みの手紙を捜索させた嘘つきだから――という理由だ。

 けれど、少年と直接言葉を交わしたアリスには、少年が騎士に悪意を持っていたとは思えなかった。


 仮に、少年が真実を語っているとすると、誰かが手紙を処分した可能性が出てくる。

 普通に考えれば、騎士の到着前に犯人が家に侵入し、証拠隠滅を図ったとするのが自然だ。


 けれど、なぜかジュリエットはその可能性よりも、少年の嫌がらせという可能性のほうへ強く誘導されていた。

 だからアリスは「手紙を処分するように指示があった」という説を最初に口にした人物が誰だったのかが気になった。


(そう……捜索した騎士にも、手紙を回収する機会はあった……)


 おかしな点はそれだけではない。

 犯人が、少年に王家の馬車が通過する情報を流した目的だ。


 暗殺目的ならば、明らかな人選ミスだった。


(あの少年……おそらくは、読み書きがあまり得意ではなかったんだわ……)


 文面が不穏だから、少年は当然、同居の親戚に手紙を読んでほしいとは頼めなかった。

 だから、手紙に書かれていた内容をきちんと把握できなかったのだ。

 時間や日付など、日々の暮らしでもよく使う言葉は正確に、そのほかの指示があいまいに伝わった結果、卵を投げつけるという事件に発展し、手紙の処分も行われなかった。


 少年の供述から、手紙が処分されていない可能性を知った犯人――マルヴィナは、進んで家の捜索を指揮し、証拠隠滅を図った。


 あくまで、彼女なら可能だったという説にすぎない。


「フロックハート隊長は、パトリシア王女殿下襲撃犯がヴァルシュタイン帝国の者であるという物証を得る……いいえ捏造するために、護衛の方と親しくなったんですね?」


「そこまでわかっていたの?」


 庭園からマルヴィナの逢瀬を覗き見たあと、アリスはすぐさまハーヴェイに、この件を相談した。

 ハーヴェイは、マルヴィナが親しくしていた護衛と接触し、事情を聞いた。

 そして、護衛の軍服のボタンが一つ、取れていることが判明したのだ。


 そこから二人の副団長や、第一部隊の隊員が秘かに集まり、帝国の者の所有物をマルヴィナが持っていると仮定した場合に起こる事態を、検討していった。


 帝国との不和に直結する最も確実な方法は、パトリシアの暗殺である。


 もし、パトリシアが襲撃されて、その現場に帝国人が犯人であるという証拠が落ちていたら間違いなく、二国間の和平に亀裂が入る。


 パトリシアを傷つける悪人は、帝国人である必要があったのだ。

 それも、アルヴェリアとの和平を望まない、帝国内の強硬派ではだめだ。親アルヴェリアであるはずの大使の随行者――そこに、意味がある。


 もちろんほかにもいろいろな可能性が検討され、王族にはそれぞれ普段より多く護衛をつけるなどの対応を行うことになった。


 パトリシアの避難は、ハーヴェイの指示で行われた。

 これは、念のための措置で、実際にマルヴィナが凶行に及ぶことを信じていたわけではない。

 アリスもジュリエットも、そしてハーヴェイも起こらなければいいと願っていた。


 マルヴィナがナイフを捨て、剣を抜く。

 目に涙をためて、計画を邪魔したアリスをにらみつけてきた。


 この部屋には、ハーヴェイとジュリエットがいる。

 マルヴィナに勝ち目などないのだが、だからこそ彼女の憎しみは真相を見抜いたアリス一人に向けられた。


「ハァァァッ!」


「フロックハート隊長!!」


 アリスは応戦するしかなかった。

 鋭く、重い一撃を剣で受け止めると手が痺れる。

 ひっきりなしに繰り出される攻撃をかわすことだけで精一杯になってしまう。

 マルヴィナの立ち回りは素早く、だからこそ、ハーヴェイたちは下手に手出しができない。


(しっかりしなきゃ! 私は騎士なんだから……)


 ハーヴェイに助けられてばかりの存在ではダメだった。

 向かってくる者は、アリスが自分で排除するべきだ。


 目の前にいるのは、準騎士になってからの三ヶ月、アリスを導いてくれた優しい先輩ではなく、ただの敵――今だけは、そう思わなければならない。


 マルヴィナの突きがアリスの頬をかすめ、ピリッとした痛みが走った。

 彼女は、かつて一緒に訓練を行い、休日に買い物に行った仲間を、本気で傷つけようとしている。


 元々実力はマルヴィナが上だった。

 油断したら殺されるという極限状態が、アリスからためらう心を奪っていく。


 この人より速く、強く――。

 頭の中がそれだけになる。


 薄暗い室内で、目は普段より役に立たない。

 それ以外の感覚が研ぎ澄まされていく。

 すると不思議なほど、相手の隙が見えるようになった。


 マルヴィナがまた切っ先を向けて距離を詰めてくる。

 アリスはそれを避け、そして彼女の剣を勢いよく弾いた。


「あ……っ!」


 カランと音を立てて、剣が床に転がる。

 今なら、マルヴィナに勝てるはずだった……。


「アリス!」


 ハーヴェイに名を呼ばれ、アリスはハッとなる。

 そして、剣を拾い上げようとしているマルヴィナの腹部目がけて、全力で蹴りを繰り出した。


「うぅ……っ!」


 騎士のアリスがするべきではない、卑怯な技だった。

 マルヴィナがうずくまったところで、アリスはのしかかるかたちで、彼女を拘束する。


 なおも、近くに転がる剣に手を伸ばそうとするマルヴィナ……。

 すると、飛び出してきたジュリエットが落ちている剣を拾った。

 アリスたちの勝利だった。


(さっき……ハーヴェイ殿下が声をかけてくださらなかったら、私は……)


 戦いの高揚感に流されて、なんの躊躇もなく命を奪いかねない一撃を放つところだった。

 必要なら、たとえ知り合いであっても、そうしなければならないこともあるのかもしれない。

 けれど、今回の場合は、相手が剣を落としたときに勝負はついていたのだ。

 マルヴィナに裏切られたという怒りが、そうさせたのかもしれない。


「……フロックハート隊長……どうして……こんな……」


 アリスは、問わずにはいられなかった。

 理由は想像できるけれど、どうしても勝手な憶測で決めつけることが憚られたのだ。


「お祖父様の最後の言葉だからよ。……帝国の者を許すなって……」


「先代伯爵は、条約締結を望んでいたはずだ」


 これまで戦いを見守っていたハーヴェイが指摘する。


「ええ、そうです……。事件の前まで、祖父の望みは二国間の和平でした。でも、帝国の過激派に襲われ……瀕死の重傷で苦しんでいるときに、後悔していたわ。こんなにも互いの憎しみが消えないのなら……壊れてしまえばいいって。それがお祖父様の真の遺言でしたから」


「……それで!? パトリシア王女殿下が亡くなっても、なんとも思わないの? ……私が、賊の侵入を許した罰を受けても……なんとも思わないんだっ!」


 ジュリエットが叫ぶ。

 彼女は誰よりもマルヴィナを慕い、そして部下としてこの数ヶ月ずっと一緒にいたのだ。

 だからこそ、誰よりも感情を爆発させた。


 マルヴィナのくわだてが成功していたら、パトリシアは死亡していたかもしれないし、部屋の前を守っていたジュリエットは重い罰を受けていた。


「近しい人を失ってもいないあなたに……あなたたちに……なにがわかるというの?」


「……主人と仲間を裏切るあんたの気持ちなんて、わかるわけがない!! なんで……どうして?……うぅ、うぅっ」


 ジュリエットが泣き出すと、それを察したほかの騎士が集まってきた。

 マルヴィナが騎士たちに拘束され連れていかれる様子を、アリスはじっと見つめていた。


 主人を守れたのだし、騎士として手柄を立てたことになるけれど、アリスの胸には達成感も喜びもなく、ただ虚しさだけが残った。


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