6-3
「制服姿の金糸雀……ではなく、アリス殿をこの目に焼き付けることができて……私は……幸せです!」
「あの……バルヒェット伯爵様。かなりお酒を飲まれているようですが、ご体調は?」
アリスは慌てて問いかけた。
「心配してくださるのですね!? 勧められたら断らないのが帝国の流儀ですから、これくらい、日常茶飯事です」
彼はまっすぐに立っていられず、左右に揺れながら白い歯を見せて笑う。
まったく大丈夫ではない気がして、アリスは焦る。
けれどそんなことはおかまいなしに、ヨルクはエイルマーのほうへ視線を向けた。
「あぁ、そうだ。まだ名乗っていませんでした。私は……ヴァルシュタイン帝国の使者、ヨルク・フォン・バルヒェット。以後お見知りおきを……」
この場に集まる者たちは、よほどうっかりしていなければ大使代表の名前と顔を把握しているはずだ。
アリスは彼を「伯爵」と呼んだけれど、エイルマーは会話に割って入ったのが隣国の公爵家の者であり、国王が迎えた客人であることを察している。
だから顔を引きつらせていた。
「申し遅れました。私は侯爵位を賜っております、エイルマー・モーンフィールドと申します」
「モーンフィールド侯爵。……アリス殿が困っておいでだ。詳しい事情は知らないが……彼女を解放してあげたらどうだろうか?」
「申し訳ございませんが、これは私とアリスの問題です。事情を知らないというのなら、口出しは不要ですよ」
「ほう……。そうか、では……その問題とやらを、私が……詳しく、聞こうではないか! 侯爵とアリス殿はどういった関係なんだい? まずは、そこからだ!!」
ヨルクは自らの胸をドンッと叩き、目を輝かせる。
仲裁役を買って出た体でいるけれど、ただ込み入った事情を聞きたいだけの人にも見える。
(昼間はわりと常識人だったのに……)
このままでは、アリスの婚約解消に関するあれやこれやが他国にまで広まってしまう。
(もう、騎士の権限を使うしかないわ!)
宮廷内で働く騎士は、任務を遂行するために必要なら、自分より身分の高い者を従わせることができる。
たとえ大貴族であっても、騎士の任務遂行を邪魔したら、下手をすれば罪に問われるのだ。
ただし、権利を有していたとしても、配慮なしに行使はできない。
あとで恥をかかされたとして、大貴族から抗議されたら、問題となる場合がある。
おそらく酔っぱらいのヨルクは、強めに諫めても文句は言ってこないだろう。
プライドの高いエイルマーには警戒が必要だが、もう限界だった。
「お二人とも、私は今、この会場の警備の任にあたっているのです! ですから……」
そう言いかけたところで、慌てた様子のブラッドリーが近づいてくるのが見えた。
ついでにランドルも一緒だった。
「ヨルク殿……なにをなさっているのですか?」
「おお! 我が妹の義弟殿ではないか」
「ちょっと、こちらへ……」
ブラッドリーは容赦がなかった。
背後からヨルクを拘束し、そのまま引きずっていく。
「あぁ……待って……アリス殿……っ」
「義姉上に、報告しますよ?」
「うぅ……それだけは……っ」
すれ違い様に、ブラッドリーからは哀れみの視線が投げかけられた。
ランドルのほうは、スッとアリスとエイルマーのあいだに割って入る。
「うちの妹になにか? 婚約を解消した相手は、赤の他人より遠い存在だと……おわかりいただけませんか?」
「だが……アリスはあれだけ私のことを……」
「百年の恋も冷める発言を、侯爵がしたのでは? 今後は剣姫一筋でお願いします」
静かだが、低く迫力のある声だった。
エイルマーは昔から、ランドルを苦手にしているから効果はてきめんだ。
「し……失礼する……」
エイルマーがそそくさと立ち去っていく。
ランドルが来ただけで、あっという間に解決してしまった。
エイルマーの姿が見えなくなったところで、ランドルが大きなため息をついた。
「アリス、おまえは悪くない。本当に悪くないと、ニイサマは心から信じている」
「は……はい……」
「だが、なんで立っているだけで変なものばっかり引き寄せるんだ……?」
「知りません。私も困っているんです」
以前ジュリエットが「魔性の女」と言っていたが、そんなはずはない。
アリスはそれなりに整った容姿をしているが絶世の美女ではないし、すばらしい話術を持っているわけでもないのだ。
平凡な子爵令嬢で、魔性と認定される要素がどこにもなかった。
「正直、三人の中では……自分がヤバい人間であることを自覚し、常識的に振る舞うつもりがあるハーヴェイ殿下が一番まともだぞ」
「どの三人ですか!? ランドル兄様……不敬ですよ……」
ハーヴェイ以外の名前は出さなかったが、残りの二人もランドルよりずっと身分の高い人間だ。下手に聞かれたら、不敬罪に問われかねない。
「まあ、なんだ……。とりあえず、舞踏室の警備からはずれて庭園へ行ってくれ」
「……はい」
問題を起こすから、はずされたのだ。
なにもしていないのだから堂々とありたいけれど、正論よりも会場の治安維持が優先されるのは当たり前だった。
「……知ってのとおり、後半になると酔っぱらいが増える。念のためノックスと合流して二人一組で警戒任務にあたれ」
今の指示は、ランドルの優しさが含まれている気がした。
後付けかもしれないけれど、ジュリエットの応援という理由でアリスを傷つけないようにしてくれたのだ。
しかも立場上、ジュリエットは「エイルマー除け」になる。
「はい、了解いたしました!」
ランドルの意図を理解したアリスは、敬礼をしてから舞踏室を出た。
こういった催し物の最中、夜の庭園の一部は参加者に開放されている。
等間隔に明かりが灯り、幻想的な光景が広がっていて、とても綺麗だ。
雰囲気に呑まれ、恋人同士が羽目をはずすことがある。それを警戒し、騎士が巡回しているのだった。
アリスはさっそくジュリエットと合流し、今度は真面目に庭園内の巡回を始めた。
ここは、エイルマーの裏切りを知ったまさにその現場であり、奥のほうへ進むと四年前にハーヴェイ暗殺未遂事件が発生した場所でもある。
けれど、エイルマーとのことはアリスの中ではすでに過去になっているみたいで、感傷的にはならずにいられた。
「……アリス……あ、あれ……」
隣にいるジュリエットの声が震えている。
アリスは彼女が指差す方向に視線をやった。
そこは、舞踏室から少し離れた休憩部屋のバルコニーだ。
男女が仲睦まじそうに寄り添っている。
「ジュリエットさんったら、公序良俗を乱す者以外は見て見ぬ振りをしなきゃダメよ」
寄り添ったり、口づけをしたり……その程度までなら、騎士は口出しをしない。
「そそそ、そうではなくて……」
アリスはジュリエットのただ事ではない様子が気になり、バルコニーに向けて目をこらす。視力はかなりよいほうだ。
(フロックハート隊長、と……おぉぉ、男の人!?)
服装からして、マルヴィナと一緒にいるのはヨルクの護衛――ヴァルシュタイン帝国の軍人だ。
ジュリエットがアリスを引きずり、木陰に隠れるように促してくる。
二人はそのまま、気配を押し殺し、バルコニーを観察した。
手摺りがあるためによく見えないけれど、軍人の手がマルヴィナの腰に回されている。
「近い、近すぎるぅぅ! あいつ……絶対に許さない……っ」
「でもフロックハート隊長の恋人かもしれないですし。恋人なら権利があるのでは?」
「そうだけど……」
ジュリエットは文句を言うけれど、声は小さい。
もしかしたら、マルヴィナの邪魔をしないようにしているのかもしれない。
覗き見をやめるタイミングが掴めない。
するとマルヴィナと軍人が見つめ合い、顔を寄せ――。
「よい子は見ちゃダメ!」
ジュリエットによって目が塞がれた。
(……べつによい子ではないですし、ジュリエットさんとは一歳しか変わらないんですが!)
不満だけれど、他人の逢瀬を覗き見るのは悪いことで、後悔しそうな予感がする。
だから抵抗はせずに、ジュリエットが解放してくれるのを待った。
長い沈黙のあと、パッと視界が開ける。
すでにキスは終わり、軍人が手を振りバルコニーを去るところだった。
一人になったマルヴィナは、手摺りに寄りかかりながら、星空を見上げている。
(恋人とキスをしたあとって……こんなかんじなのかしら?)
マルヴィナはキスの直後とは思えないほど落ち着いた様子だった。
彼女は現在二十一歳で、アリスよりも三歳上だ。たったそれだけの差で、こんなにも大人になれるのだろうか……。
やがてマルヴィナも建物の中に入っていく。
「うぅ……ショック……だわ。隊長の恋人がヴァルシュタイン帝国の人だったなんて」
「ジュリエットさんは反対ですか?」
「だって、いつか帝国に行ってしまうかもしれないでしょう? それに……フロックハート伯爵家は先代の頃から両国の和平に貢献してきたとはいえ、そのお祖父様は……」
ジュリエットはそこで言葉を濁す。
先代伯爵は、条約締結反対派の帝国人に殺された。
にもかかわらず、現伯爵も、マルヴィナも、帝国との和平のためにそれぞれの役割をまっとうし続けている。
「だって悪いのは帝国の過激派だけですよね? だからフロックハート隊長は、偏見を持たずに帝国の方を好きになったのでは……?」
言いながら、アリスは違和感を覚えた。
そんなふうに割り切れるのは、どれほどの人格者だろう。
アリスの頭の中に、卵を投げつけてきた少年の顔が浮かんだ。
あの少年は、戦で父を失い、その後も苦しい生活を強いられたようだ。
アリスは、帝国に恨みを持つ者の考えをわかってあげられない。
義父のテレンスが帝国との戦で怪我をして現役引退を余儀なくされたけれど、日常生活には支障がない程度の後遺症で済んでいる。
アリスは近しい者を、帝国との戦で失っていないのだ。
そこまで考えたところで、急に胸のあたりがもやもやとしてきた。
「アリス?」
「ジュリエットさん。……王家の馬車に卵が投げつけられたあの事件で、犯人の家を捜索したのはどなたですか?」
「私たち第三部隊よ。アリスも知っているでしょう? 今更なにを言って……」
これはただの懸念にすぎない。
しかも、当たらなければいい類のものだ。
それでもパトリシアの予定を把握できる者の中に、帝国との和平を望まない者は確実に潜んでいる。
だから、確認しなければならないのだ。
「少年の部屋に最初に入ったのは誰ですか? それから、手紙を燃やす指示があったはずという仮説を最初に言ったのは……誰ですか?」
ジュリエットの顔が一気に青ざめていった。




