6-2
その日の晩、アリスは準騎士の制服に袖を通し、煌びやかな会場を警備していた。
三ヶ月と少し前、この場所でアリスの運命は大きく変わった。
(あの日まで、自分が騎士になれるなんて……考えもしなかったわ……)
思い返すと、感慨深いものがある。
今夜のアリスの任務は、壁際の所定の位置に立ち、参加者たちのあいだでトラブルが起きていないか、そして大使たちを狙う者がいないかを監視することだ。
色鮮やかなドレスに身を包んだ貴婦人と、黒の正装の紳士――皆が笑顔だった。
アリスとしては、この中に二つの国の友好を妨げる者がいるとは思いたくない。
けれど、情報漏洩の件もあり、油断は禁物だ。
身を引き締めて警戒にあたっていると、入口付近で歓声が上がる。
アリスの視線も当然、そちらへ向かう。
(わぁ! フロックハート隊長……。なんて綺麗なの……?)
入場してきたのは、フロックハート伯爵と思われる紳士にエスコートされる、紺色のドレスのマルヴィナだった。
アリスはうっかり、マルヴィナの美しさに目を奪われてしまう。
そうなったのはアリスだけではない。
マルヴィナが歩き、ドレスの裾が揺れるだけで、性別を問わず誰もが見惚れていた。
剣術が得意で、けれど令嬢としての立ち居振る舞いも完璧なマルヴィナは、この国で最高のレディだ。
(ジュリエットさんがいたら、大変だったかもしれないわ……)
きっと任務そっちのけで、絶叫していただろう。
ちなみにジュリエットは、会場の外の庭園付近の警備を担当している。
これはハーヴェイや隊長たちの采配だ。もしかしたら、彼らもアリスと同じ懸念を抱いていたのかもしれない。
やがて、演奏が始まり最初のダンスの時間となった。
マルヴィナの相手は、ヨルクだ。
きっと今夜は外務大臣フロックハート伯爵の娘として、大使たちをもてなす役割を担うのだろう。
二曲目、三曲目もマルヴィナはヴァルシュタイン帝国の関係者と踊った。
「……普段は滅多にダンスをなさらないのに! どうして!?」
不満そうにつぶやいたのは、アリスの近くにいた令嬢だった。
「わたくしたちのマルヴィナ様が……帝国人なんかに……」
一緒にいた令嬢は、より不穏な発言をしてしまう。
アリスは警戒し、彼女たちの言葉を懸命に拾った。
「いくら悔しいからって、歓迎の舞踏会でそのような発言はダメよ。マルヴィナ様のお仕事を邪魔するのは、規約違反だわ」
「うぅ……わかったわ。ごめんなさい」
三人目の令嬢が、二人をたしなめる。
どうやら三人とも、ファンクラブのメンバーのようだ。
いただけない発言はあったものの、会員同士で過ぎた言動を注意し合えるのなら、大丈夫だろう。
アリスはそう考えて、視線をダンスの輪のほうへ戻す。
その後は、途中で熱気にあてられて具合が悪くなった女性を介抱したり、しつこく令嬢に絡んでいた男を制止したり――騎士の任務を淡々とこなしていった。
(後半になってくると、お酒も入って……問題を起こす人が増えるのね……)
また定位置に戻った直後、見知った人物が近づいてくることに気づく。
正装に身を包み、いつもより髪をしっかりと整えているエイルマーだ。
「……やあ、アリス……」
「こんばんは、モーンフィールド侯爵様」
ぎこちない笑みを浮かべ、彼はアリスの隣に立つ。
アリスは警備の任務中であるため、挨拶だけしてから会場のほうへ視線を戻した。
「その制服、アリスにとても似合っているよ」
「ありがとうございます」
「いつもと雰囲気が違うから驚いた」
「一応、騎士ですからね」
そっけなくしても、エイルマーは立ち去ってはくれない。
「伝えていなかったけれど、あのあとソーンウィック伯爵からお手紙をいただいて、事業の件はどうにかなりそうだ。……ありがとう」
「それは、よかったです」
ソーンウィック伯爵は、エイルマーが事業の話をしたがっていた相手だ。
アリスはべつに、エイルマーの破滅を望んでいるわけではないから、素直に喜べる。
ただ、以前のように彼に対して親身になる心はなくなってしまった。
「……でも最近、騎士の職務と侯爵としてやらなければならない仕事の両立が難しいと感じるときがある。たぶん、君がいないせいだ」
エイルマーは深いため息をついた。
彼が忙しくなった理由はわかるつもりだった。
ヴァーミリオン家の義母と不仲だったアリスは、エイルマーの母から様々なことを習っていた。それは、理想的な侯爵夫人になるための花嫁修業だったのだろう。
その一環で侯爵家の雑務を手助けすることがあった。
手紙を仕分けたり、使用人たちの困り事を聞いてあげたり、ソーンウィック伯爵にしたみたいに約束を取り付けたり――そういう、些細なことだ。
まだ家に入ったわけではないから、決定権はエイルマーにあるけれど、それでも一応彼の負担軽減には繋がっていたのだろう。
「先代侯爵夫人がいらっしゃるではありませんか?」
「母は機嫌を損ねたままだ。君との破談は、私が勝手に決めたことだからと言っている。次の婚約者を定めればいいとか、いっそ朱鷲騎士団を辞めればいいとか……最近はそんな話ばかりだよ」
(なるほど……)
先代侯爵夫人も、これまでエイルマーの仕事をかなり肩代わりしていたはずだけれど、今は消極的になっているのだろう。
先代侯爵夫人の基準で「理想的ではない花嫁」を家に入れる手助けをするつもりはないという意思表示だ。
「ねぇ、アリス。じつは後悔しているんだ」
「……補佐役がいなくなったのなら、後悔するのは当然でしょう。ですが、べつに仕事の手伝いは婚約者でなくてもできます。専属の使用人を雇ってみてはいかがですか?」
「いや、そういうことではなく……。心の問題だ。私は、君を手放すべきではなかったのかもしれないと思って……」
彼は以前、アリスのことを「保険」だと言った友人の言葉を否定しなかった。そして……。
『後妻を優先する父親のおかげで、アリスなら、勝手な都合で破談にしても、大ごとにはならない予想がつく』
そう言ったのだ。
あの言葉をアリスが聞いていたことを知りながら、まだそんな発言ができる。
アリスはさすがに憤りを覚えた。
どうして彼は、婚約を過去のものにしてくれないのだろうか。
「保険を手放したら、不安になるのは当然でしょう。ですが私は、本命の方がなんらかの事情でダメだったときの備えとして、自分を犠牲にする気はありません。……これ以上は職務に差し支えますので、おひかえくださいませんか?」
アリスははっきりと、エイルマーへ拒絶の意思を示した。
「そんな冷たい言い方はないだろう? ……アリス……。私がホールデン子爵家に手紙を送って、会いたいと言ったら、応じてくれるのか?」
用件次第だが、おそらく応じないだろう。
けれどアリスは思う。
会いたいときに会える関係が特別だったのだ。
そして、特別ではなくなることを選んだのは、エイルマー自身である。
それなのに彼は、まだ自分の願いならば叶うのが当然だと信じているのだ。
任務中であることを理由にしても引き下がってもらえないアリスは、本気で困り果ててしまった。
「君、アリス殿を困らせてはいけないよ!!」
そのとき、正面からヨルクが現れた。
右足を左前方へ、左足を右前方へ出すという、転ばずにいられることが不思議な歩き方をして、アリスたちへと近づいてくる。
顔も赤いし、身振り手振りが普段よりさらに大げさになっている。
(バルヒェット伯爵様……。もしかして、酔っ払って……?)
助けが来たはずなのに、なぜか余計に不安になるのだった。




