6-1 美しい、嘘の物語
宮廷内のサロンには、ハーヴェイとパトリシア、そしてヨルクがいて、三人で円形のテーブルを囲んでいる。
アリスは侍女として、三人の前に置かれたティーカップに紅茶を注いでから、壁際で待機していた。
滞在二日目の午後。パトリシアがお茶の席にヨルクを招くというかたちで交流の機会が設けられた。未成年のパトリシアが一人で対応するのは不安だから、ハーヴェイも同席しているのだ。
ヨルクは綺麗な所作でカップを口元まで運び、ゆっくりと紅茶を飲む。
「……ヴァルシュタインで飲む紅茶の百倍おいしいですよ。アリス殿がいれてくれたからかもしれないな」
今日も、彼はご機嫌だった。
ただし、王族そっちのけで口説いたり、無理矢理同席を勧めたりはせずにいてくれるので、アリスはほっとしていた。
社交界デビュー前から婚約者が決まっていたアリスは、自由な恋愛をした経験がない。
だから、男性とどう接していいのかよくわからないのだ。
「わたくしの侍女を褒めてくださって、光栄ですわ!!」
アリスに代わってパトリシアが対応してくれたのだが、その声色にはあからさまな棘が含まれている。
「ヨルク殿。……それよりも皇太子殿下のご様子をうかがいたい。パトリシアは、あなたから話を聞く機会を楽しみにしていたのだから」
ハーヴェイがさらりと話題を変えてくれる。
「そうですね……。皇太子殿下は以前よりも真面目に勉学に取り組まれるようになりました。とくにアルヴェリア語を熱心に学ばれて、アルヴェリアの文化にもご興味がおありのようです」
「わたくしが帝国に嫁ぐのですから、皇太子殿下がこちらの言葉を学ばれる必要はないというのに?」
「半年前の婚約時に、パトリシア王女殿下が流暢な帝国語を話されていたのを目の当たりにして、感化されたのでしょう」
「そうなのですか? ……嬉しいですわ」
パトリシアの頬がポッと色づく。
「それから、最近……乗馬を本格的に習われていることはご存じですよね? 馬のお世話も自らされていて、そのおかげで人参嫌いを克服されました!」
もし本人がこの場にいたら、ヨルクの暴露に腹を立てたかもしれない。
けれど、十歳の少年らしい話に、その場の雰囲気が和やかになる。
一方で、パトリシアの顔色は悪くなっていった。
「うぅ……っ、それは本当ですか?」
「ええ、身長も半年でだいぶ伸びましたし、好き嫌いがなくなって、また一歩素敵な紳士に近づきましたよ」
侍女として、彼女に仕えているアリスは、パトリシアが意外にも食べ物の好き嫌いをすることを知っていた。
二歳の差があるけれど、皇太子が人参嫌いを克服したことに、焦りを感じているのだろう。
「パトリシアも、負けていられないな……」
ハーヴェイがからかうと、パトリシアがムッとしてしまう。
そんな様子もまた、とても可愛らしい。
「わたくし、次に皇太子殿下にお目にかかる機会までに、きのこと緑色の野菜嫌いを克服してみせますわ! だから、ヨルク様、好き嫌いが多いことは秘密にしてくださいませ」
「もちろんです。私は男性の秘密はバラしても、レディの秘密はお守りしますよ。……紳士ですからね?」
ヨルクが片目をつぶってみせる。
少し気障な態度が妙に似合っていた。
彼は掴み所がないけれど、おそらくいい人なのだとアリスは思う。
「ヨルク様。もっとわたくしに王太子殿下のことを教えてくださいませ」
昨日の出来事が尾を引いて、威嚇する黒猫みたいだったパトリシアが、だんだんと態度を軟化させていく。
「もちろんですとも」
帝国の皇太子とパトリシアは頻繁に手紙のやり取りをしている。
それを知っているヨルクは、「人参嫌いの克服」のような、本人が手紙には書かないようなちょっとした話題を中心に、いろいろと聞かせてくれた。
そこから伝わってくるのは、皇太子が努力家であること、そしてヨルクが彼を弟のように可愛がっていること、さらにヨルクが本気でアルヴェリアとの和平継続を願っていることだった。
(そうよね……バルヒェット伯爵様にとって、両国の関係悪化は妹君の身の危険に繋がるのだから、他人事ではないはず……)
まだ先のことだが、きっと彼のような人が将来パトリシアの助けになってくれるのだろう。そう考えると、パトリシアとヨルクが打ち解ける機会は貴重に思えた。
一時間と少しのティータイムはあっという間に終わる。
まだ日暮れ前だけれど、そろそろヨルクには退室してもらわなければならない。
舞踏会に向けて身支度を整える必要があるからだ。
「ところでパトリシア王女殿下。少しだけアリス殿とお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
最後にヨルクから、そんな申し出があった。
「……ちょっとだけですよ」
パトリシアは、要望をたくさん叶えてもらった手前、断れなくなったみたいだった。
アリスは昨日のような態度で来られると困る――と思いながら、覚悟を決める。
ヨルクはわざわざ立ち上がり、アリスの近くまでやってくると、仰々しく片膝をついた。
(えぇ!?)
「アリス殿。……夜の舞踏会で、あなたにダンスの申し込みをしてもよろしいでしょうか?」
まるで、物語に出てくる王子様みたいな人だ。
アリスはそんな行動をする青年を、お芝居以外で初めて目撃した。
そして、硬直してしまう。
「あ……あぁ……あの……っ」
「ご迷惑でしょうか?」
まるで捨て犬みたいに悲しそうな瞳を向けてくる。
けれど今夜は、応じられない理由があった。
「い……いいえ、迷惑だなんてとんでもないことでございます。ですが……申し訳ございません、バルヒェット伯爵様。今夜は騎士として宮廷の警備の任にあたりますので、舞踏会には参加しないのです」
「そ……そんな……っ!」
ヨルクが大げさによろめいた。
(どうしましょう……。日程後半の舞踏会は、私も参加するって……今、言うべきなのかしら?)
初対面のときは苦手なタイプだと感じたけれど、パトリシアとの語らいの様子を観察していると、常識と思いやりを持っている人にも思えた。
アリスは正騎士を目指す立場だから、結婚も帝国への移住も今の時点では考えられない。
ダンスに応じるくらいはべつにかまわないが、再び結婚や婚約を持ちかけられるとやっかいだ。
そのため彼には申し訳ないけれど、できるだけ個人的な交流をひかえたいというのがアリスの本音だった。
やがて、ゆっくりとヨルクが立ち上がる。
「いいや、こんなことで落ち込むなんて失礼ですね。……白鹿騎士団の制服に身を包んだアリス殿のお姿を拝見できるのでしたら、それだけで満足です。また夜にお会いしましょう」
そう言って彼は、アリスのそばから離れた。
アリスはどうやら、ヨルクからの誘いをかわせたみたいだ。
ヨルクはその後、パトリシアたちにも挨拶をして、退室していった。
ふと視線をやると、テーブルに肘をついて、どんよりした表情を浮かべているハーヴェイの姿がある。
こんなにも覇気がないハーヴェイを、アリスは初めて目撃した。
「ハーヴェイお兄様……ここはお兄様が、なにか……なんでもいいので抗議するべきだったのでは?」
「ダンスだけならば、私には止める権利はない。……いいか? 私には……止める権利はないんだ」
「なぜ、二回おっしゃったの?」
「だから……止める権利がないからだ」
ハーヴェイはそれを繰り返すばかりだった。
昨日から引き続き、彼はこの件に介入する気がないらしい。
(どうしましょう……私、また胸が……もやもやしているみたい……)
おそらく、アリスが助けを求めれば、ハーヴェイはいつものようにどうにかしてくれるはずだ。
なにも言わずに察してほしいなんて願うのはわがままだ。
けれど、助力を請うのも同じくらいわがままで、身動きが取れない。
「もういいですわ! アリス……ダンスのお誘いはともかく、結婚の話になったら断っていいですよ。王家がどうにかいたしますから」
「……は……はい。ありがとうございます。パトリシア王女殿下」
アリスはそれ以降しばらく、ハーヴェイの顔がまともに見られなくなってしまった。




