4-6
パトリシアの私室は、可愛らしい白の家具で統一された、小さな王女にふさわしい部屋だ。
王女の護衛として入室したことは当然あるけれど、招かれる立場だと、新鮮な気持ちになる。
入室してからすぐ、アリスはマントを部屋付きの女官に預けた。
髪はもう乾いているし、王女との茶会の席にマントを着込んだままというのはあり得ない。
(柔らかそうなソファ……可愛い家具……。本当に素敵だわ)
パトリシアがアリスの手をグイグイと引っ張って、ソファに座らせた。
「あぁ、そうでした。お兄様はこちらでお願いします」
アリスとパトリシアが隣同士で、ハーヴェイにはその向かい側が指定された。
「……パトリシア、けっこう図々しいな」
「あら、そこまでおっしゃるのなら……ハーヴェイお兄様がアリスの隣でもいいですよ」
どうせできないくせに――と、兄をからかう意図が見え隠れしている。
ハーヴェイは結局、パトリシアが指定した一人掛けのソファに座った。
すぐに色とりどりのお菓子と紅茶が運ばれてくる。
側仕えの女官たちは茶会の支度が終わると退室していく。護衛の騎士たちも、ハーヴェイやアリスがいるならば問題がないということで、今は扉の外だ。
「どうぞ召し上がって!」
「はい……いただきます」
パトリシアの圧に押されて、まずはクッキーを手に取り、口元へ運ぶ。
同席の二人はなぜかお菓子を手に取らないまま、アリスを観察している。
(……とても、食べづらいのですが……)
けれど王族二人に「見るな」とは言えず、アリスはできるだけ美しい所作を心がけながらクッキーをいただき、紅茶を飲んだ。
それからようやく、二人もお菓子に手をつけはじめる。
「……あの……パトリシア王女殿下も、四年前の事件をご存じなのですか?」
よい機会だから、アリスは思い切ってたずねてみた。
なぜかパトリシアに懐かれている理由が、ほかに思いつかなかったのだ。
「もちろんですわ。……だって、ハーヴェイお兄様ったら大怪我をして縫合の処置を受けている最中に……『アリスと呼ばれていた子の家名を調べてくれないと、死んでも死にきれない』と叫んで、宮廷医を困らせていたんだもの。あの頃四歳だったわたくしだって忘れないわ」
「そんなふうに言われたら『縫合が終わるまで教えられない』って答えたくなりますね」
家名を教えた結果、満足してハーヴェイが死んでしまったら大変だ。
「実際、宮廷医から似たようなことを言われた気がする」
ハーヴェイがばつの悪い顔をして、当時を振り返っていた。
どうやらパトリシアの話は誇張ではないようだ。
「そういうわけで、わたくし……ずっとお兄様からアリスの武勇伝を聞かされて、憧れていたの。四年前の出来事を隠しているということも知っているから、あまり言わないようにしていたのよ」
「ご配慮ありがとうございます」
改めて考えてみると、最近になって関わりを持つようになった多くの人々が、あの事件を知っている。
白鹿騎士団に所属する先輩騎士たちも、四年以上務めている者なら、事件の当事者だ。
態度からなんとなくだが、ブラッドリーもいろいろと察しているような気がする。
入団試験のときに、ハーヴェイがアリスの推薦人となった事実だけで、勘のよい者は気づくだろう。
先輩騎士たちは、アリスがホールデン子爵家の養子になった経緯も把握しているから、あえてその話題に触れずにいてくれるのだ。
「アリスはもっと称賛されるべきですわ。隠す理由なんて、ないのでしょう?」
「おっしゃるとおりです。……ヴァーミリオン伯爵家とモーンフィールド侯爵家が面倒ですが、どうせ五ヶ月も経たずに表に出てきてしまうでしょうし」
そのときのことを考えると、少し憂鬱だ。
プライドの高いエイルマーが、再びアリスとの婚約を望む可能性は低い。仮にそうなったとしても、テレンスやランドルが突っぱねてくれるだろう。
だからアリスは自分自身についてはあまり心配していない。
一番の懸念は、憤ったエイルマーが、ヴァーミリオン伯爵家になんらかの制裁を加える可能性だ。
アリスも聖人ではないから、実父や義母に関してはむしろ痛い目を見てよいと思っている。けれど、ノエルの将来への影響を考えると、二家の関係悪化は避けたい。
ただ、家を出てしまったアリスにはなんの権限もないのだが……。
「……それなら心配ないよ」
「……え?」
突然、ハーヴェイがキラキラとした笑顔を向けてきた。
(なにかをたくらんでいるお顔……。い、いいえ……なにか策をお持ちでいらっしゃるときのお顔をなさっている……ような……?)
その表情に既視感がある。きっと宮廷舞踏会の夜も同じような顔をしていたのだ。
頼もしく感じるのと同時に、妙な悪寒が走る。
「事件記録は保管されるべきものだけれど、それによって、望まぬ個人名が晒される事態は避けるべきだと私は思う。だから、本人の申請があれば閲覧用の書類のみ個人名を黒塗りにする法を……作った」
「つ、作った!?」
「騎士団長として私が意見を具申し、兄上……王太子殿下が動いてくださったんだ。国王陛下と議会の承認もまもなくだと思うよ」
これは間違いなく、エイルマーへの対策だった。
(大丈夫なの? いいえ、まったく大丈夫ではないわ! 公私の区別をつけている人間……というあの言葉はなんだったのかしら?)
個人的な都合で法律まで変えてしまう行為は、果たして正しいのだろうか。
ハーヴェイがアリスに恩を感じて、手を貸してくれていることには感謝しているが、さすがにやり過ぎだ。
「そんな目で見ないでくれ。きっかけはアリス殿だったけれど、閲覧制度を私的に使おうとする者がいる以上、対処するべきだ。それに調べてみてわかったんだが……事件の被害者または関係者が名を知られることで、不利益を被る事案はほかにもあった」
それからハーヴェイは、具体的な事案について語った。
例えば窃盗事件の詳細から、その家の資産が判明してしまう例がある。
もちろん閲覧権限のある者が、得た情報を悪用しないのならば、問題はない。
実際には、清廉潔白であるはずの騎士の中にも、金に困って悪人に情報を売り渡す者がいるのだ。
これは一例だ。想像力を働かせれば、ほかにも悪事を働いていないけれど名前を隠したい事例はアリスにも思いついた。
組織の一部に間違った使い方をする人間がいるとしても、閲覧制度そのものを廃止するわけにはいかない。
だから制限をかける法が必要なのだ。
(きっかけが私という部分が、なんだか……少し不安ですけれど、ハーヴェイ殿下はやはり、すばらしい王族でいらっしゃる……はず……よね?)
やや腑に落ちないが、そう自分に言い聞かせる。
「でもよかったです。……これで私は、再び元婚約者や生家のことでわずらわされることはなく、騎士の任務に全力を注げます」
「騎士の任務ね……。ねぇ……アリス……。アリスはわたくしを守ってくれる?」
「もちろんです」
「アリスは、アルヴェリアとヴァルシュタイン帝国の和平をどう思っているの?」
パトリシアが急に真剣な顔をした。
もしかしたら彼女がアリスを招いて話したかったことが、それなのかもしれない。




