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一行は、無事に宮廷まで戻った。
アリスはとりあえず、身を清めることになった。
自覚はあったが、腐った卵の破壊力は強烈だ。
ブラッドリーはそばにいるだけで鼻をつまんでいたし、ヒュームからも哀れみの視線を向けられた。
そのため入浴の時間をもらえることになったのだ。
手早く身体と髪を洗い、予備の制服への着替えを済ます。
髪はまだ濡れているが、こればかりはどうにもならない。とりあえずタオルでできるだけ水分を取っておく。
女性団員のための浴場を出ると、廊下に二人の男性が立っているのが見えた。
(ランドル兄様と、ハーヴェイ殿下……?)
とくに指示はなかったけれど、身を清めたあとは、騎士団長への報告の必要があるという認識でいた。
これから彼らのところへ行く予定だったのに、なぜか逆に迎えが来てしまった。
「ほら、べつに問題なかったでしょう? 殿下」
ハーヴェイが一瞬よろめき、まるで汚物を見るような瞳で、ランドルをにらんだ。
「あぁ……ランドル……っ! すべての男が君と同じく大雑把かつ美的センスが皆無で、目が節穴だったら……どれだけ私の苦労が減るだろうか?」
「はぁ!? いやいや、逆だろう? 殿下がその細かすぎる性格を直せば、俺だけじゃなくて白鹿騎士団員全員の苦労が減るはずだ!」
職務中は上官に対して敬語を使うランドルの言葉が乱れている。
アリスはわけがわからなくて、喧嘩を始めそうな勢いの二人を観察しているしかなかった。
(いったい、なんなの……?)
「実際に以前から一緒に暮らしていたせいで、君の感覚はおかしくなっているんだろう。……なんという罪深い男……」
「そんな馬鹿な! ……いや、最近忘れそうになっていたが……実際、馬鹿か……」
しばらくするとハーヴェイがハッとなって、アリスの目の前までやってきた。
「失礼する」
手に持っていた黒っぽい布を、パサリとアリスに被せる。
それは、先ほどまでアリスが着用していた制服を隠すフード付きのマントだった。
もちろん腐った卵が付着したものではなく、きちんと洗濯がされている新しいマントだ。
「……アリス殿。すまないが、このマントを着て、深くフードをかぶっていなさい。これは団長命令だ……」
「は、はい」
理由が気になったアリスだったが、ハーヴェイが目を合わせてくれないので、聞きづらい。
(私……人前に出られないくらい変なのかしら? 制服はちゃんと着ているのに……)
困惑している最中、ハーヴェイがアリスから距離を取った。
なんとなく避けられている気さえする。
「まもなく会議が始まるから、こちらへ……」
「了解です」
少し落ち込みつつも、アリスはハーヴェイのあとを追うことにした。
するとランドルが隣に来て、小声でささやく。
「深く考えるな。殿下がへんた……ではなく、気にしすぎなだけだ」
「気にしすぎ、とは?」
「……殿下いわく……入浴を終えたばかりであることがわかる色づいた頬と、濡れた髪……それから、せっけんの香りをまとう令嬢を、男の前に出すわけにはいかない……らしい」
(なるほど。ハーヴェイ殿下は、騎士の中の騎士……アルヴェリア一の紳士でいらっしゃるから)
なにせランドルと区別する目的ですら、アリスの名を敬称なしで呼びたがらないほどの徹底した紳士なのだ。
確かに濡れた髪のままで人前に出るのは少し抵抗があったため、ハーヴェイの気遣いには納得だ。
今も避けたのではなく、アリスに近づかないようにしてくれているのだろう。
少しだけ髪が濡れた状態と、室内でフード付きのマントを着込む場違いな服装を比較すると、若干前者のほうがマシな気がするが、紳士的な気遣いを無下にはできない。
また一つ、ハーヴェイを尊敬する理由が増えた気がした。
そのままハーヴェイの先導で、会議室までたどり着く。
そこにはヒュームを代表とした第一部隊の隊員が集まっていた。
アリスが後方の席に着くと、さっそく隣のブラッドリーが怪訝そうな顔をする。
「なぜ、そんなに着込んでいるんだ?」
「団長命令です」
「あぁ……なんとなくわかった。……本当に、面倒くさい人だな……」
今ので理解したのなら、ブラッドリーはかなり察しがいい。
さすがハーヴェイのいとこだ。けれど、上官への無礼はいただけない。
「面倒くさいなんて失礼よ。……殿下ほどの紳士はいらっしゃらないんだから」
「……そ、そう……」
以降、アリスの服装については誰からも指摘されず、やがて会議が始まった。
まずはヒュームからの詳細報告があった。
現在犯人の少年は、騎士団本部の鍵のかかる部屋で保護している。
地下には鉄格子の牢獄もあるけれど、子供への配慮でそうなったらしい。
「少年は素直に取り調べに応じております。……彼は現場の近隣に住む者で、日頃から王家に対する不満を口にしていたため、近所ではやや遠巻きにされていたようです」
さらにヒュームの報告は続く。
少年の供述によれば、昨日の夜、少年の部屋にある窓の隙間から手紙が差し込まれたという。
その手紙には、王妃と王女が乗った馬車が明日通過予定であることが記されていた。
少年は弱腰の王家に民の声を届けようと考え、行動を起こしたのだという。
まだ三十分ほどの取り調べがされただけだから、裏取りはこれからだが、少年はその手紙を読んで犯行に及んだそうだ。
「……現在、手紙の回収に第三部隊を向かわせております。私からの報告は以上です」
「ご苦労だった。今回の襲撃事件は、残念だが帝国との融和路線に反発した者による犯行だ。犯人が少年だったこと、家庭環境が悪いこと……おそらく、抗議の意志を示すだけの目的だったことを考慮して、出家を勧めるつもりだ。もちろん、取り調べがすべて終わってからになるが……」
ハーヴェイはどうやら、少年を神に仕える身にすることで、罪を見逃す方針のようだ。
(ただ罪を許すだけだと……少年は酷い目に遭うかもしれない。ハーヴェイ殿下はそういう可能性も考えていらっしゃるのだわ)
騎士に捕まったことが親族にバレたら、きっと少年は捨てられる。
すでに両親はおらず、親族から見放されたら、ろくな生き方ができないはずだ。
罪を見逃すのなら、以降の衣食住について考慮しなければならない。
ハーヴェイの話は続く。
「そして、ここからが本題だ。宮廷の、それもパトリシアの近くに裏切り者がいる。その者の特定が我らの急務となるだろう」
裏切り者という言葉で、緊迫感が漂いはじめる。
「殿下、訪問予定だった孤児院関係者の可能性はないのですか?」
騎士の一人から質問があった。
「それはない。じつは孤児院関係者にはあえてパトリシアの訪問を告げていなかったんだ。だが、ホールデン準騎士からの報告によれば、少年ははっきりと『王女』と言っていたそうだ」
王妃の慰問予定があり、随行者としてパトリシアもいたが、知っていたのはパトリシアに近い者だけ――だとすると、裏切り者はすぐ近くにいるのだ。




