3-4
ブラッドリー・ラドクリフ――。十九歳の端整な顔立ちの青年について、アリスは多くを知らない。
剣術が得意だという噂を聞いたことはなかった。
いかにも貴族らしい細身の体型で、日頃から鍛えている人には見えないのだが……。
(左利き? それに片手で構えるなんて……)
彼は、利き手と思われる左手だけで剣を構えている。
おそらくは、盾を持つことを前提にしている片手剣の使い手だ。
ホールデンの流派でも、突きを行う時など、利き手のみを使う技はあるけれど、最初から片手だけというのは初めてだ。
直感が、この人は強いと告げていた。
そもそも白鹿騎士団は、試験を受ける基準が高いとのことだから、弱いはずもないのだ。
「……考えてみると君が一番不利だよね? それぞれの相手の戦い方を一度も見ないままなのだから。一戦目が僕とあの子だったら……君は少なくともあの子には勝てただろうに」
ブラッドリーは一戦目で、これから対戦する二人の剣技を目にしている。
そしてジュリエットもこの戦いを見学することにより、ブラッドリーの実力を推し量れるのだろう。
「それが、ハーヴェイ殿下のご意思ならば、私はその期待に応えてみせます!」
ハーヴェイが推薦人であるという理由で、そのような順になったのだとしたら、むしろ喜ばしい。
それだけ期待されているのだと思える。
「わりと熱血なんだ? ……でも、僕も……ラドクリフ公爵家の者として、負けるわけにはいかないんだ。手加減はしないから、そのつもりで」
「望むところです」
引き続き審判役を務めるのは、ティンダルだ。
彼が大きく手を上げて、振り下ろした。
「それでは、始め!」
すぐに打ち合いが始まる。
(間合いが……っ! ぜんぜん違う)
一般的に、身長や持っている武器の長さを計算して、相手との間合いを取るものだ。
アリスの感覚で適切な距離に逃れたと思った次の瞬間、ブラッドリーの剣が予想以上に伸びてくる。
片手剣のほうが間合いが広いという知識はあったけれど、対応が難しい。
しかもブラッドリーのほうは、右利きの相手と戦い慣れているのに対し、アリスには左利きの者と対戦した経験がほぼない。
すぐに苦戦を強いられ、防戦一方になってしまう。
彼は片手だというのに、その剣は重かった。
受け止めるたびに、負傷した左手首が鈍く痛んだ。
(私は、どうしたらいい? ……なにか、方法は……!?)
焦れば焦るほど、勝ち筋が見えなくなってしまう。
「へぇ……粘るね?」
ブラッドリーには余裕がある。
その様子が、アリスに絶望感を与えていく。
心が揺らいだ瞬間を、ブラッドリーは見逃してはくれなかった。
右側面から、鋭い一撃が飛んでくる。アリスは、咄嗟に転がることで、すんでのところで攻撃を避けた。
すぐに立ち上がり、剣を構え直す。
(気持ちで負けるな! ……今、癖を覚えて……慣れるしかない……!! 慣れるまで、粘るのよ……)
左手首を負傷している状態で取る選択肢として、正しくないことなど重々承知だった。
それでも、彼の癖や弱点を把握できるようになるまで、とにかく負けないことだけを考える。
消極的な戦いをしていると思われても、今は仕方がない。
当然息は上がるが、相手もそれは同じだった。
(あれ……?)
ブラッドリーの剣を受け止め続けると、徐々に違和感を覚えていった。
最初のほうに感じた鋭さが削がれている気がしたのだ。
(もしかして、体力はないのかしら……? それとも集中力?)
体力か集中力か――どちらかが欠けていて、長期戦が苦手なのかもしれない。
彼も弱点を把握しているのか、だんだんと苛立ち、荒々しくなっていった。
もちろん体力が続かないのは、アリスも一緒だ。
左手首の痛みはどんどんと増している状態だから、あとがない。
それでもアリスは、身軽さを活かしてわざと逃げまわり、ブラッドリーを疲れさせる作戦に出た。
隙を見て懐に飛び込むくらいしか、勝つ方法がなかった。
(きっとチャンスは一回だけ……。今だ!)
アリスは一気に間合いを詰め、姿勢を低くして地面を蹴る。
そのままブラッドリーの剣を避け、突進した。
「届け……!」
アリスの剣は、ブラッドリーの胴に届いた。
ドンッ、という防具に木剣が当たる衝撃が伝わって、手が痺れる。
(あちらが、先か……)
アリスの攻撃がブラッドリーに届く直前、肩に硬いものが触れた感覚があった。
集中していないとどちらが先だったかわからないくらいの僅差だ。
それでも、負けは負けだった。
「そこまで! 勝者、ブラッドリー・ラドクリフ」
試合の終了を告げる声が響いた。
互いに息を切らしながら、姿勢を正し、一礼をする。
「あの……ありがとうございました」
「……あぁ」
見守っていた騎士たちからの拍手が巻き起こる。
白熱した、いい試合だったという称賛だ。
(でも、私だけ……勝てなかった)
これで、候補者三人の中で、アリスだけが全敗となることが確定したのだ。
もう一試合残っているブラッドリーは、その場に留まる。
アリスはふがいなさに打ちひしがれたまま、肩を落とし、ブラッドリーを横切るかたちで歩きだした。
「僕の剣のほうが、浅かった。……かすっただけで、勝ちだとは思っていない……」
すれ違い様に、ブラッドリーがそうつぶやいた。
確かに、打撃が深く入ったのは、アリスのほうだ。
けれど、ブラッドリーの剣も十分に、有効打として判定できるものだった。
彼の言葉は、慰めにはならない。
騎士たちが集まる場所までたどり着くと、ハーヴェイと目が合った。
「いい試合だったよ」
「……ありがとうございます、殿下」
そうは言うけれど、目が笑っていない。
アリスの前では、よく笑顔を見せてくれる人だからこそ、結果に満足していないことが伝わってくる。
そのとき、隣にいたパトリシアが、兄の制服の袖を軽く引っ張った。
「ハーヴェイお兄様、なぜイライラしていらっしゃるの? ちょっと怖いです」
「そんなことはないよ、パトリシア。気のせいだ」
「そうかしら?」
妹のパトリシアから見ても、ハーヴェイは不機嫌らしい。
(あぁ……きっと、私のせいだわ……)
推薦した者が二敗したら、団長の威厳が損なわれる。
勝敗と合否は関係ないと言われているけれど、これでは不合格となってしまうかもしれない。
アリスは泣きたい気持ちをグッとこらえ、次の試合を見学した。
ブラッドリー対ジュリエットの試合は、一瞬で勝敗が決した。
勝ったのはブラッドリーだ。
おそらく弱点が露見したブラッドリーは、ジュリエットが仕掛ける前に全力を出すことにしたのだろう。
ジュリエットには策を考える隙さえ与えられなかった。
これで三試合全てが終了となった。
ブラッドリーたちがこちらに向かって歩きはじめた瞬間に、異変が起こる。
(今、なにか……光らなかった?)
アリスは植え込みの木のあたりで一瞬なにかが光るのを察知した。
「まさか……っ! 矢!?」
鈍い音を立てて、先ほどまでブラッドリーたちがいた訓練場の中央付近に棒状のなにかが刺さった。




