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その日の午後、エイルマーとの面会も許された。
父とロバータが話していたとおり、宮廷に侵入した賊を倒した令嬢の名は伏せられることが決まった。
ただし、エイルマーは事件発生時に一緒にいたのだから、秘密にできるはずもない。
父からは「婚約破棄されないように、うまくやれ」というありがたい助言をいただいてしまった。
宮廷女官に付き添われ、アリスはエイルマーが滞在している部屋にやってきた。
部屋には侯爵夫妻もいるらしく、話し声がしている。
「……敵が目の前に迫ったとき、咄嗟にアリスを庇ったんです。……だから私が最初に斬られてしまって、そこから記憶は曖昧なんですが……」
「恐ろしかったでしょうに、立派だったわね? エイルマー」
「か弱い婚約者を守ったのだから、名誉の負傷だ」
なんだか今の会話は、事実とは違っている気がした。
扉を隔てていたから、聞き違いがあったかもしれない。両親が揃っている場で、エイルマーに庇われた事実はない――なんていう主張をするのも違う気がした。
だからアリスは、今の会話を聞かなかったことにして、扉をノックする。
エイルマーの許可を得て室内へと入る。
侯爵夫妻は挨拶のあと「ゆっくりしていってね?」と言い残し、部屋を出ていった。
付き添いの女官も扉の前までの案内だったため、二人きりとなる。
エイルマーは、たくさんのクッションを背もたれにしてベッドに座っていた。
アリスはベッドのそばに置かれた簡素な椅子に腰を下ろす。
「なんだか、たった四日しか経っていないというのに、久しぶりに会った気がするよ」
「エイルマー……」
怪我の影響であまり食事が取れていないのか、数日で少し痩せてしまったみたいだ。肌や唇の色も普段より悪い気がする。
力なく、けれどほほえみかけてくれる姿を見て、アリスは胸が締めつけられた。
命が助かってよかったという思いと、怪我を心配する気持ちで、感情がぐちゃぐちゃになる。気がつけば涙がこぼれてしまった。
「あぁ……アリス、泣かないで……」
「ごめんなさい……心配して……っ、私……」
エイルマーは手を伸ばそうとしたけれど、一瞬だけ顔をしかめ引っ込めた。
大きめのシャツを着ているので見えないが、傷が痛んだのだろう。
「大丈夫? 痛いの?」
「少し、痛むけど……大丈夫だよ。斬られた場所がよかったみたいで、傷が塞がれば後遺症も残らないそうだから。……君も怪我をしたっていうから、ずっと心配していたんだ。……本当に無事でよかった」
「エイルマーも、きっとすぐによくなるわ」
「そうだね。せっかくあの子が私たちを守ってくれたんだから。早く回復して元気な姿を見せたいな……」
そのとき、エイルマーがとびきり優しいまなざしで――どこか遠くを見ている気がした。
「……あの子って?」
「アリス、命の恩人のことを覚えていないのかい? 私が斬られ、絶体絶命になったとき……ピンク色のドレスを着た茶色の髪の女の子が現れて、助けてくれたんじゃないか?」
「ピンク色のドレス? 違うわ、あなたを助けたのは私よ!?」
あの場には、アリスとエイルマー、そしてハーヴェイしかいなかった。
賊から剣を奪い二人を守ったのは、アリスだ。
「か弱いアリスが、暗殺者を倒せるわけがないじゃないか。……なにを言っているんだい?」
エイルマーが顔をしかめる。
到底、冗談を言っているようには見えない。
「私、剣術を習っていたって……あなたに話したわよね? エイルマー……」
「そんな話は聞いていないけれど?」
「……っ!」
事件発生時に混乱していたという理由で、事実を誤認しているのならまだいい。
一度だけ彼に剣術の話をしていたのに、それすら否定されて、アリスはわけがわからなくなっていた。
「あの子は『大丈夫、あなたのことは、私が守るから』って、言っていた。きっと私たちを不安にさせないように笑っていたんだと思う。でも残念なことに、顔が見えなかったんだ。……それでも綺麗な髪と翻るピンクのドレスが目に焼き付いている。……ねぇ、アリス。あの子は何者だったんだろう?」
「だから、それは……私でしょう……?」
アリスは焦り、思わず語気を強める。
夕暮れの時刻なら、髪やドレスの色を間違えてしまうかもしれない。
けれど、あのとき彼はアリスの名を呼んでいたのだ。
それなのにエイルマーは、あからさまに不快感を顔に出すようになった。
「いくらなんでも、功績を自分のもののように騙るのは格好が悪いよ。もしかして、嫉妬しているのかい?」
「そんなことは……」
結局、回復にはほど遠い状態のエイルマーと、言い争いなどできるはずもない。
アリスは、そのうちに記憶の混乱は収まるものだと信じ、その日の面会を終わらせた。
エイルマーが昏睡状態のときに、彼の両親は事件の詳細を聞いている。
けれど、目覚めたエイルマーが別の証言をしたため、どちらが本当かわからなくなったみたいだ。
アリスの母が剣術をたしなんでいたとしても、アリスのような子供が暗殺者に立ち向かったなんて話には、元々半信半疑だったらしい。
これ幸いにと、アリスの父は「事件の混乱で、騎士が認識違いをしたのだろう」という説明をして、賊を撃退した少女の正体を隠してしまった。
それからエイルマーは、ピンクのドレスの少女を『剣姫』と名付けた。
アリスの前でもはばからずに、あのとき感じた胸の高鳴りが初恋だったと口にする。
婚約者ではない令嬢を誉め称えるエイルマーのことを、侯爵夫人はたしなめてくれた。
けれど、剣姫には名乗るつもりがなく、エイルマーが持つ恋心も命の危機を救われたことによる一時的な激情だから気にしないように――という意見だった。
「十代の令嬢だった……という話は本当らしいけれど、大人を倒せるくらいの強者なのでしょう? 名前を伏せるのは当然ね。モーンフィールド侯爵家にふさわしい方とは思えないわ。わたくしは、アリスさんのような健康的で可愛らしい子に来てもらいたいの」
おそらく侯爵夫人は、男性顔負けの筋力を持つ、屈強な令嬢を想像してしまったのだろう。野蛮で血なまぐさい令嬢なんて、お断りみたいだ。
貴族の夫人としては当然の価値観なのかもしれない。父の懸念は的を射ていたのだ。
それでもアリスは、何度かエイルマーに真実を告げようと試みたことがある。
ある日、彼の前で剣の型を披露したら「剣姫の真似をしなくていい」と一蹴されて、冷たい視線を向けられてしまった。
事件以前、アリスは一度だってエイルマーから負の感情を向けられたことがない。
自分が剣姫だという主張をしたら、また冷たい目で睨まれるかもしれない。
それがどうしても耐えられなかった。
父も、義母も、侯爵夫人も――アリスが野蛮な人間でいることを望んでいない。
それに、アリスが剣姫であるという主張をすれば、エイルマーが襲撃時に年下の婚約者を庇って負傷した――という彼の言葉を、否定することになる。
それは彼のプライドを傷つけてしまう行為だ。
だからこそ、アリスのほうから剣姫の話題を持ち出すきっかけがなかった。
宮廷医は、恐ろしい体験を忘れることは防衛本能だと言っていた。事実を諭して無理矢理わからせても、彼の心にはいい影響をもたらさない気がした。
エイルマーはその後も初恋を語り続けたけれど、アリスには変わらず優しかった。
誰にとっても、剣姫は正体不明の特別な力を持つ令嬢――としておくのがいい。
アリスはそう結論づけるしかなかったのだ。
王族やハーヴェイからは感謝されたものの、最も守りたかった人との関係がわずかに変わってしまった。
アリスにとってこの事件は、苦い思い出になったのだ。
大人たちに否定されたからこその反発もあったのだろう。
事件のあと、アリスは再び剣術の鍛錬を始めた。
礼儀正しく、理想的な令嬢になる努力をしながらも、あのとき大切な人と自分自身を守った剣術が、どうしても捨てられない。
別人ということにされてしまったけれど、エイルマーが称賛する、誰かを守る力を持った剣姫のままでいたかったのだ。
次話から三章「新しい家族と入団試験」が始まります。
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