閑話 白鹿騎士団副隊長ランドル・ホールデン
※少し時間が戻って、舞踏会翌日です。
白鹿騎士団副団長ランドル・ホールデン二十二歳は、宮廷内にある騎士団本部にて、前日に行われた宮廷舞踏会における警備報告書の作成に勤しんでいた。
幸いにして酔った者同士の口論などのトラブルはあったものの、大きな騒動にはならず、宮廷内はおおむね平和だった。
(王族として参加していたはずの団長が途中で無断外出したことを除けば、至って平和だったな……)
報告書を書き終え、書類の束をまとめていたところで、バンッという大きな音が響いた。
「ランドル! ランドル! 聞いてくれ!!」
扉を開けて、ランドルの席まで軽快なステップを刻みながらやってくるのは、白鹿騎士団――ハーヴェイ・イライアス・アルヴェリアだ。
(なんだ? すっげー嫌な予感がする)
彼の機嫌がいいときは、必ずと言っていいくらいにろくでもないことが起きてしまう。
四年の付き合いで、ランドルは十分すぎるほどによくわかっている。
「どうなさいましたか? 殿下」
「ハハハッ! いやだな、私とランドルの仲じゃないか。そんなにかしこまった言葉遣いをされると、寂しいな……」
ハーヴェイの剣術の師匠は、ホールデン子爵テレンス――つまり、ランドルの父親である。
先に父から剣術を習っていたのはランドルのほうだから、一応ランドルが兄弟子ということになる。
そのため稽古中や私的な付き合いでは互いに砕けた態度で接している。
けれどランドルは、時と場所をわきまえている男だから、任務中や公の場では王族にして上官であるハーヴェイにはきちんと敬語を使っていた。
それを承知しているはずのハーヴェイが、寂しがるということは……。
(……これは絶対『黄昏の女神』関連だ!)
聞くまでもなくわかってしまう。
ハーヴェイは、黙っていれば強く賢く、少しだけ腹黒な理想の王子だが、ある人物が関わると性格が一変してしまうのだ。
するとハーヴェイが突然、ランドルの手をギュッと握ってきた。
親しい友人――悪友のような関係だからこそ、ぞわりと鳥肌が立つ。
「唐突にすまないが、黄昏の女神を養子に迎えてくれ! もちろん快諾してくれるものだと信じている」
「はぁ!? なに言ってんだ……」
ハーヴェイの言う「黄昏の女神」とは、ランドルにとっては妹同然のいとこであるアリス・ヴァーミリオンのことだ。
ハーヴェイは、アリスに命を救われて以来、アリスを信奉している。
それはもはや宗教だった。彼は教祖にしてただ一人の信者になってしまったのだ。
四年前――細身で、剣なんてほぼ握ったことがなかった王子は、アリスを崇める心だけでホールデン子爵家に弟子入りした。
王家からの要請には応えなければならない。
ランドルも、父テレンスも、剣の鍛錬の過酷さを教えれば、ひ弱な王子はすぐに投げ出すと思っていたのだが……。
(しごきまくった結果、たった四年で国内最強の剣士を誕生させてしまったんだよな)
ランドルたちの嫌がらせなどどこ吹く風と言わんばかりに、ハーヴェイは凄まじい速度で剣技を身につけてしまったのだ。
しかも「黄昏の女神のように、誰かを守れる立派な人間に……」と言って、真面目に騎士団長の任務をこなしている。
行動を起こす動機が常軌を逸していることを除けば、完璧な人間なのである。
「なぜホールデン子爵家がアリスを養子に?」
子爵家の皆は大歓迎だが、ヴァーミリオン伯爵家が許すはずはなかった。
ランドルが訝しげな視線を送ると、ハーヴェイは妙に胸を張っていた。
「黄昏の女神と侯爵との婚約が解消されたんだ」
「はぁ!?」
それからハーヴェイは、アリスとエイルマーの婚約が解消されるに至った出来事を、ランドルに語った。
正直ランドルは、エイルマーというあの青年が気に食わなかった。
けれど初恋の相手と婚約しているのに、それを知らずにいる部分には同情していたのだ。
そして、アリス本人がエイルマーとの結婚を心待ちにしているのに、兄貴分のランドルが「その男はやめておけ」なんて言えるはずもない。
アリスの目が覚めたのなら、ランドルとしてはそれでいいと思うし、ハーヴェイの協力があるのなら子爵家に迎え入れることは簡単だった。
「……というか、なんで勝手に会ってるんだよ。接触禁止だろう?」
それは、ハーヴェイに剣術を教える条件として、ホールデン子爵家が提示したものだった。
ハーヴェイに対する剣術指導を宮廷で行い、子爵家への出入りを禁止しておけば、彼とアリスが顔を合わせる機会はほぼない。
ハーヴェイも納得していて、今日のような宮廷内での催し物の最中でも、アリスに近づくことはなかったはずだが……。
「接触禁止の理由は黄昏の女神に婚約者がいたからだろう? すべての人間が平等となったこの瞬間、私だけに制約が課されるのはおかしい」
「いやいや、さっきの話からすると殿下がアリスと接触して、婚約を解消させたんだろうが! しれっと嘘をつくな!」
完全に順序が逆だった。
ランドルとしてはいろいろと突っ込みたくなってしまう。
「宮廷は私の住まいだ。遠くから見守るくらい許される。……そして、たまたま女神が困っていたのだから、助力するしかない。しかも私は、侯爵に真実を告げる手助けをするという提案もしている。……私ほど、誠実な信奉者はいない」
「だが結果的に殿下の策で婚約解消になったんだろう? まさか……アリスを狙っているのか?」
「狙う……? ランドルは馬鹿なのか?」
(あんたに言われたくねぇわ)
正直、アリスに絡んだ話をハーヴェイとはしたくないと思ってしまうランドルだ。
これでもかというほど上機嫌のハーヴェイは、ランドルの不満には気づかず、神々しい笑みを向けてくる。
「只人の分際で、神と結婚できるわけないだろう?」
真顔で、だからこそ怖かった。いっそ普通に狙ってくれたほうがマシだ。
(だが、いちいち只人とか女神とか……そういう言葉を使わなければ正論なんだよな……)
ランドルも騎士だからわかるが、助けた相手に毎度惚れられていたら、面倒で仕方がない。
惚れる惚れないは本人の自由だから制限などできないけれど、少なくとも結婚を望まれると面倒だ。
とくに身分の高い者は、権力を使って恩人の意思など無視できるのだ。
そう考えると、ハーヴェイはかなりわきまえた男――のような気がしてくるから不思議だ。
「そういうことだから、こちらで書類を用意しよう。……ランドルは、子爵に事情を説明して許可を取ってくれ」
「仰せのままに」
ランドルはもうなにも言うまいと思って、とりあえず従う。
けれど、鼻歌を歌いながら団長の椅子に腰を下ろし、執務を始めるハーヴェイの姿を見ていると、どうしてもため息がこぼれてしまう。
(アリスよ……大丈夫か? おまえが頼った男は、とんでもない狂信者なんだが……)
ランドルは、アリスの今後を本気で心配するのだった。
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作中時間で半年以内に「黄昏の女神」VS「剣姫」どっちがダサいか対決が行われるかもしれません。




