第3話 森の朝
夢の中で、レオンは赤い霧の中に立っていた。
霧だけが充満した何もない空間。
見えるのはただ、遠くでこちらを見つめる赤黒い影。
『いつまで寝ている。……目を覚ませ。』
その声と同時に、右目が熱を帯びる。
次の瞬間、まぶしい光に包まれ、レオンは目を開いた。
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目を開くと視界に広がるのは、昨日も見た木造りの部屋。
窓から差す柔らかな朝日、風の音。
誰かの足音がしたと思うとすぐに扉が開き、長が女のエルフとともに入ってくる。
「起きたか」
エルフの女の手には木皿が二つ。
湯気を立てるスープと干した果実の練り込まれたパンのようだ。
長はレオンの枕元に腰を下ろす。
「体調はどうだ」
「だいぶ……昨日よりは楽です」
「マナの馴染みが早い。珍しいことだ。」
長の言葉に、そばのエルフの女性も小さく頷く。
「腹が減っているだろう。食べなさい。」
「……はい。ありがとうございます。」
長は小さく頷き、横にいた女性に目配せをした。
女性が食事の乗ったお盆を手渡してくるので、ありがたく受けとった。
「神に感謝を...いただきます。」
スープをひと口すする。
香草の香りとやわらかな甘みが胃に落ちると、ようやく自分がどれだけ空腹だったかを思い出した。
黙って食べるレオンを、長はしばらく観察するように眺めていた。
その視線に気づき、レオンは居心地悪そうに背筋を伸ばす。
「本当にマナの回復が早い。
既に体にマナが馴染みつつあるようだな。」
「不思議な感覚ですが、体は重いのに、心は軽いようなそんな気がします。
……その、昨日は助けていただいてありがとうございました。」
「礼など要らぬ。昨日も言ったが、これはただの観察目的。…まぁ、あとは昔馴染みのついでだ。」
「昔馴染み……?」
レオンが首を傾げようとした瞬間、長が問いを重ねた。
「お前、名は?」
「レオン。レオン・アルディスと申します。 自分は、神聖教国の勇者で——」
言いかけた瞬間、長の目がわずかに細くなった。
「……勇者、だと?」
部屋の空気が張りつめる。
女性のエルフも一瞬、手を止めた。
「全く...あいつも厄介な置き土産をしていきよって...」
ボソリと長が何かを呟いたが、レオンにはよく聞こえなかった。
「勇者とは――この森にとって“災い”の象徴だ。」
「え……?」
レオンは固まった。
「この数千年の間、お前たち神聖教会の勇者が現れるたびに、マナの循環は乱れ、森の命が徐々に枯れていっておる。
勇者の称号は、ユグドの森では“死の前触れ”として恐れられている。」
理解が追いつかない。
「ま、待ってくれ。俺は……世界を救うために魔王と戦って……」
すると、長は淡く鼻で笑った。
「“世界”ではないだろう。
――『神聖教国の世界』だ。」
レオンは言葉を失った。
胸の奥がざらつくような感覚が広がる。
昨日から何度も何度も胸を引っかく、この違和感。
長はさらに続けた。
「だが、かつての災いであろうと、お前は今この森の中にいる。
そして……“魔素のない身体”で森の外に出れば、お前は確実に死ぬ。」
「……なっ!?」
「昨日も言ったはずだ。
今のお前は、魔素もマナも、どちらも流れが安定していない。
ユグドラ様の影響下にあるおかげでマナを取り込めているが、自力でマナを取り込むことのできぬ今のままでは、
村の外へ一歩出た瞬間、魔素の少ないこの地域では生命維持ができなくなる。」
レオンは思わず立ち上がろうとして、膝が笑った。
「……そんな……。
でも、俺は教国に戻らなければ……。聖女も、仲間たちも待っているはずだ。
それに、森の命が枯れているのだって何かの誤解だ!教皇様に説明してもらえば貴方達の誤解もきっとーー」
長はレオンの強い否定を、まるで風の揺れでも眺めるような静けさで受け止めた。
「誤解、か。……便利な言葉だな。」
「なっ、!」
「我らは“信仰”で語っているのではない。
ただ、見えている現象をそのまま言っているだけだ。」
長は片手を持ち上げ、部屋の天井を指した。
「森の外――お前たちの領域では、マナの風がほとんど流れておらぬ。
だが勇者が現れるたび、その流れはさらに細くなる。
草木は弱り、精霊は眠り、土は呼吸を失う。
作物は育たなくなり、動物達は魔獣化し凶暴になり、
ユグドラ様により産み出される我々エルフも、近年はめっきり産まれなくなった。」
「そんなもの……見たことがない……!それに、魔獣が増えて作物が育たなくなるのは魔王の影響だ!」
長は首を横に振った。その動きは怒りではなく、深い諦念の滲むものだった。
「確かに魔王は“災厄”だ。周囲の魔素を濃くし、魔獣を呼び寄せ、土地を荒らす。
だが――それはあくまで“魔王を中心に広がる局地的な汚染”に過ぎぬ。」
「局地的……?」
「そうだ。魔王が封印される度土地の汚染は一時的に収まる上に、範囲はかなり限定的だ。
だが勇者が来た時に起きる現象は……あれは違う。」
長の目がレオンの胸の奥を見通すように細められる。
「お前たちが現れると、森全体のマナの風が乱れ、流れが歪む。
“大陸全域に影響が出る”のだ。魔王よりも、ずっと広く、深く。」
エルフの女性も静かに言葉を添えた。
「魔王が作物を枯らすのではありません。
その時代の勇者が現れる度に、ユグドラ様が、土地そのものが“息苦しさ”を訴えるのです。
魔素の乱れは魔王より勇者の方が強い……近代の勇者は特に。」
「……そんな……俺が……?」
レオンは言葉を失い、肩がわずかに震えた。
「魔王と勇者が相打ちになったのに、ユグドラ様がなかなか回復されぬと思ってはおったが、お主がまだ生きていようとはな...」
そう言ってレオンの目を強く見つめ、死を願うような長の言葉に心がきしむ。
長は静かに言う。
「まあ、戻りたくば戻れ。ただし――“死体”としてならな」
喉がひゅ、と閉まる音がした。
「……じゃあ……どうすれば……」
「マナの流れを安定させるしかない。
そのためには“適性検査”を行う。お前が本当にマナを扱えるのかどうかをな」
長は立ち上がった。
「ついてこい。
結果次第で、お前が生きて森を出られるかどうかが決まるだろう。」




