第2話 目覚めの森
――まぶしい。
瞼を開けると目を焼くような白い光が、右目の奥を突き刺した。
恐る恐る両目を開くと、視界には一面の緑が広がっている。
背中に感じるしっとりとした地面の感覚。
陽の光が木々の隙間から差し込み、頬を撫でる。 風は草の香りを含んでいた。
小鳥のさえずり、遠くで水が流れる音。
聞こえる音はどれも穏やかなのに、胸の奥が無性にざわつく。
「……こ、こは……どこだ?」
声を出して初めて、喉が焼けるように乾いていることに気付く。
体が途方もなく重い。肺が何かに押し潰されているように呼吸が苦しい。
とっさに治癒魔法をかけようと胸元に手を当ててみたが、
魔法を補助してくれるプリズムのついたネックレスが見当たらない。
しかたなく自力で魔法を行使しようとしたが、空気の中には“魔素”の気配がほとんどなかった。
魔素は神聖魔法を使う際のエネルギーのみならず、体を癒し動かす動力そのもの。
魔素の少ないここは、まるで、世界の色が薄まってしまっているかのようだった。
――いや、待て、...俺は、魔王との一騎討ちで死んだんじゃなかったのか?
そうだ、あの時俺のプリズムも神から授かった宝物の刀も砕けてしまって、
そのあと相打ち覚悟で全力の魔法を拳で叩き込んだ...
なら、ここは、天国……なのか?
いや、痛みも息苦しさも感覚もある。
神は使徒に死後の苦しみを与えない。
…俺は神に生かされたのか?
そう考えた瞬間、右目がずきりと疼く。
焼けつくような右目の熱を感じながら、ゆっくりと上体を起こしたそのとき――。
バシュッ!
乾いた音とともに、耳元を矢がかすめた。
次の瞬間、木々の影から十数人の影が姿を現す。
尖った耳、透き通るような淡い金色の髪。弓を構えるその美しい姿は、明らかに人間ではなかった。
一度だけ、森から出て旅をしているという珍しい彼らの同胞に出会ったことがある。
「……エルフ……?」
彼らは俺の言葉に驚いたように目を見開き、矢をさらに番えた。
「ーーー!!!」
一人が低く唸るように言葉を吐く。 聞き取れないが、険しい声音から敵意が伝わる。
そもそも、エルフと人類の間では不干渉条約が結ばれているはずだ。なのに、何故——
「待て、俺は――」
言葉を発した瞬間、右目が勝手に熱を帯びた。
そして頭の奥で声が響く。
『動くな。奴らは我に気づいている』
低く、静かな声。 聞き覚えのないはずのその声に、レオンは息を呑んだ。
「……誰だ……?」
『黙っていろ。…はぁ。お前にはエルフ語がわからんのか。なら、…変われ。』
次の瞬間、右目の視界がほんの一瞬赤く光った。
…身体が動かない。
いや、正確には制御が効かなくなったと言うべきか。
エルフたちがざわめいた。
「見たか、こいつの右目……! 魔素の残滓がある!」
「だが、他の部位は……ほとんど枯れている……」
「マナも使用していないようだ…」
「貴様、何故生きている…まさか魔物に取り憑かれたアンデットか?…いや、それにしては…」
「いい。こいつが何者にせよ、…排除するのみ!!」
矢が一斉に構えられた。
レオンは反射的に後退しようとしたが、体が動かない。
ギュンと音を立ててエルフ達の弓が引かれていく。
次の矢が放たれたその瞬間――
口が勝手に、呪文を紡いだ。
『〈断絶の霧〉』
空気が一瞬だけ震え、周囲の矢が宙で弾かれる。
淡い紫の霧が広がり、エルフたちは驚きの声を上げて後退した。
「何だこの力は!?」
「マナ...?いや、そんなはずは...」
その光景を見ながら、レオンは理解した。 この力は、明らかに自分のものではない。
『ふん。長くは保たんな。…奴がさっさと来てくれればいいが。』
体の中から聞こえる声。こいつがこの魔法を行使したのは間違いない。
…一体、何者だ……?
『魔王――だと、言えば信じるか?勇者よ。』
言葉を、失った。 だが、問いを重ねる暇もなく視界がぐにゃりと歪む。
今の魔法の行使で体から最後の力が抜け体が支えられず、崩れ落ちる。
トドメをさそうと弓を構えるエルフたち。しかし視界の端に、長い杖を持つ白髪のエルフが現れた。
「止めよ。」
「しかし、!」
「ワシが止めよと言っている。」
「かっ、かしこまりました、長。」
他の者たちが一斉に頭を垂れ道を開ける。
地面に着きそうなほど 長い髪を束ねたその男は、「その者を村へ運べ」 と短く告げた。
長と呼ばれたそのエルフは、どう見ても30歳にも見えぬほどの若い美貌なのに、まとうオーラが彼の生きた歴史を物語る。
「チッ、なんでこんなやつを」
そう言って乱雑に俺を運ぶエルフ達は心底嫌そうに俺を横目に睨んできた。
…そういえば、先程からエルフの言葉の意味が分かる。
そうだ、頭の中の声が交代を宣言してからだ。
杖の男がレオンを見下ろした。
「この者には、“マナ”の素質がある」
エルフたちは戸惑いの声を上げた。
「神聖教国の人間が!?ありえない」
「そうです!愚かにも世界からの恵みであるマナを捨て、汚らわしい魔素にまみれた分際で!!」
内容はよく分からないが、言っていることは理解できる。
耳で聞いているはずなのに、頭の奥から音が聞こえる気がして不思議だ。
『ふん。ワシが翻訳してやった。礼は要らぬ』
右目の奥から、魔王とやらの声が囁く。 なるほど、だから会話が理解できるのか。
混乱の渦の中、レオンはそのまま意識を失った。
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再び目を覚ますと、柔らかで暖かな光が目に映る。 木で編まれた天井、苔の匂い。
壁に掛けられたランプのようなものから出た淡いオレンジの光が室内を優しく照らす。
ゆっくりと体を起こして周りを見渡すと、自分の体に絡む蔦のようなものが、淡い緑の光を放っていた。
蔦の先を探すと、そこではエルフの女性が蔦を持ち、3人で何かの祈りを捧げていた。
「これは……?」
「我らの母なる木、ユグドラ様から与えられたマナの癒しです。
あなたの体には、魔素がほとんど残っておらず、マナへの適合もまだだった為、もうすぐ死ぬところでした。」
蔦から暖かいなにかが体に流れるのを感じる。 神聖魔法を使う際に魔素を取り込む時はキンとした冷たさが脳に流れ込み、視界も思考も研ぎ澄まされるが、マナとは血管に流れる暖かな血潮のようで、まるで命の流れそのものだった。
(……これが、マナ……?)
微睡むような不思議な気持ちになっていると、女性たちが頭を垂れた。
「ふむ。やはりマナが馴染むのが早いな。」
声の聞こえた方に首を向けると、後ろにあった部屋の入口から長と呼ばれていた例の杖の男が入ってきていた。 蔦で出来た布団の横に、女達が持ってきたクッションのようなものを置いて座る長。
「…体調はどうだ。どこか痛むか?」
組んだ足に杖を置きじっとこちらを見つめる長。
白だと思っていたが、よく見ると光を帯びた長い銀髪が、さらりと肩から落ちる。
「全体的に。でもさっきほどじゃない。彼女達のマナでの治療のおかげかと思う。例を言う。ありがとう。」
そう言って彼女達に頭を下げると、なんとも言えないふわりとした笑みを返された。
少なくとも、敵意があるようではなくて良かった。
「それで、……貴方は俺を助けてくれたのか?」
「助けたわけではない。今もワシはお前を観察しているだけだ。」
淡々とした口調。その瞳には慈悲も敵意もなく、ただ事実を見極めるような冷ややかさが宿っていた。
長が手に持った杖の先で床を軽く叩くと、蔦がするすると引き、レオンの身体を包む光が消えていく。
「……ここは、どこなんだ?」
そう言って辺りをキョロキョロと見渡す。
「此処は“ユグドの森”。
我らが母なる木、ユグドラ様に守護されし、この世界でマナの循環が最も豊かな地だ。
だが今や、それも細りつつある。」
「マナ……魔素とは違うんですね。」
レオンの呟きに、長はゆっくりと目を細めた。
「お前たち神聖教国の人間には、馴染みのない言葉か。
マナとは、大地と生命を巡る“循環”そのもの。
木も獣も、我らエルフも、その流れの中に在る。
それが世界を“生かす力”だ。」
レオンは息を呑む。
マナ。そんなものの存在を教会で教わった覚えは無い。そんな力を使うものの存在も。
…いや、エルフや東方の島国では魔素とは違う妙な力を使うと聞いたことがあったような...
「では、魔素は……?」
「魔素は――貴様らの言う“神”とやらが造り出した代用品だ。」
長の声音が、わずかに低くなる。
その言葉に宿る重みが、レオンの胸を刺した。
「神が、作った……代用品……?」
「そうだ。この数千年の間、神聖教会が勢力を伸ばすにつれ、世界のマナは減り続けた。
代わりに魔素が溢れ、人も魔もそれを使うようになった。
そしてユグドラ様の循環の輪に戻るマナが減り、……大地は、少しずつ死に始めている。」
「……そんな!...そんな話、信じられない。何かの間違いだ!」
「信じなくともよいが、ワシらから見れば貴様ら人間は現実から目を背けているだけだな。」
長は肩をすくめた。
「お前たち人間は、自らの価値観でしか世界を見られぬ。
だが――その価値観が、世界を蝕んでいるのだとしたら?」
レオンは答えられなかった。
信じたい神と、神聖教と、目の前の長の言葉。
心の奥が、何かに爪を立てられたようにざらつく。
「……すまない。…俺には、まだ何もわからない。」
「…まあ、今はそれでいい。理解は急ぐものではない。」
長は立ち上がり、背を向ける。
暖かな光の中でまた銀髪がきらめいた。
「お前の中には、既に“二つの流れ”がある。
それが何をもたらすのか……見極めるとしよう。
今は休め。」
そう言い残し、長は静かに部屋を後にした。
残されたのは、かすかな木の香りと、胸に残る鈍い痛み。
レオンは天井を見上げ、体を布団に投げ出すと息を吐いた。
(……神は、俺を生かしたのか。それとも――)
右目の奥が、微かに脈打つ。
その奥から、誰かの笑う気配がした。




