第8話 侯爵家の賑やかな出迎え
東京駅に着いたらときは、もうすっかり日暮れでした。
車は都心の大通りを抜け、静かな邸宅街へ。遠ざかる街の灯りを見ながら、私は今日の出来事を反芻します。
松島家での騒動、夫の裏切り、そして私の決断。まだ数時間前なのに、すべてがもう過去のよう。
お土産に銘茶を巡り、あやうく汽車に乗り遅れそうになったのも今は昔。
「明日は、美味しいお茶を入れて差し上げたいわね」
自然と笑みがこぼれる。和菓子の老舗で栗羊羹も買えました。
やがて、侯爵家の重厚な石壁が見えてきます。
私の心は、故郷へ帰る鳥のように安堵と期待に満たされる。
門番が頭を下げ、鉄扉が開かれる。車が敷地内へ入り、玄関前で止まった。運転手が素早くドアを開ける。
「ただいま戻りました」
玄関を入ると、すぐに奥から瑠璃子お嬢様が出迎えてくださいました。
「おかえりなさい、香里奈」
優雅な姿で私を出迎えてくださった。
瞳は心配と安堵が入り混じり、私の帰りを待ち望んでくださっていたのが分かる。
「お暇をいただきました、瑠璃子様」
私が深く頭を下げると、瑠璃子様はふわりと微笑む。
「ちゃんと帰って来てくれたなら、それでいいわ」
詮索は一切されません。
「お夕飯は?お腹は空いていない?」
「汽車の中でいただきましたから」
その時、屋敷の奥から、けたたましい足音が響く。
「香里奈が帰ってきたって?」
瑠璃子様の夫、正人様でした。
寝巻き姿に乱れた髪。普段の威厳はどこへやら、安堵と興奮で顔をくしゃくしゃにしている。
「あーー、よかった、帰ってきてくれて!」
正人様が私に駆け寄ろうとするが、瑠璃子様が彼の前にすっと立ち塞がった。
「正人様、ご心配おかけして申し訳ありませんでした」
「香里奈が帰って来ないかもしれないって、めそめそ泣いたんだよ。こんなしおらしい瑠璃子は初めて見たよ」
「旦那様!お黙りくださいな」
瑠璃子様の穏やかな、しかし、ピシャリとした声。
「そもそも、この度の元凶は誰にあると思っているのです?」
正人様は途端にシュンとなり、ばつが悪そうに目を泳がせた。まるで母親に叱られた子どものようだ。
「いえ、正人様のおかげで、スッキリしましたわ」
嘘ではありません。
「そうだ、それよりも土産はないのか?」
「旦那様!」
今度は、瑠璃子の一喝です。
「う、ごめん」
「正人様もお好きな栗羊羹、買ってきましたよ」
「やった!」
「でも、食べるのは明日にしましょう。美味しいお茶を淹れますからね」
正人様はホッとした顔で、奥へと消えていった。
私の帰宅を喜んでいたのは事実でしょう。だが、その表現方法があまりにも不器用ですね。
「正人様のおかげで、わたくし、松島家での澱んだ気持ちが、すっかり晴れましたわ」
私の言葉に、瑠璃子様はクスクスと、鈴を転がすような笑い声を上げた。私もまた、自然と笑みがこぼれる。
そう、この騒がしい出迎えのおかげで、私の心は本当に軽くなったのだ。
この温かい侯爵家こそが、私の真の居場所なのです。
「さぁ、お風呂に入って、今夜はゆっくり休んでね」
瑠璃子様の優しい声が、そっと私の心を包み込む。この言葉こそが、何よりも私を癒し、明日への活力を与えてくれるのだ。
「はい、瑠璃子様。おやすみなさいませ」
私は深々と頭を下げ、その場を辞した。
今夜は、きっと良い夢が見られるだろう。
――次回、第9話へ続きます。




