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妾に子供が授かりました。冷徹と呼ばれる私の判断を、どうか笑ってくださらない?  作者: はなたろう


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第7話 私の帰るところ

車は滑らかに、しかし力強く進んでいく。



窓外の景色は、田園風景の中、ひときわ大きな邸宅が見えました。


ふと、侯爵家へ初めて足を踏み入れた日のことが、脳裏に甦りました。



まだ10代半ばの、小娘だった私。



実家は確かに士族の端くれではあったが、父は明治維新の波を読み、いち早く実業家へと転身しました。



「香里奈。これからの時代、女も男に劣らず、手に職をつけ、自立する術を学ぶべきだ」



父はいつもそう言っていた。変わり行く日本の未来を、見通していたのでしょう。


幼い頃から、私は武家ならではの、厳しい教育を受けてきました。


薙刀、茶道、華道、書道はもちろん、家計の管理、病人の看護まで。


そして何より、いかなる時も感情を表に出さぬこと――。



「女は冷静沈着であれ」



刀の代わりに算盤を持つ父に教えられたのだ。


その鍛えられた心身が、侯爵家という未知の世界で生き抜く糧となったのでしょう。



初めて侯爵家の門をくぐった時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。


広大な敷地、絢爛豪華な屋敷、そして厳格な規律。


不安と緊張で胸が張り裂けそうだったあの日、一人の少女が私の前に現れた。



「香里奈さん?」



幼い瑠璃子様だった。


まだ五歳か六歳だっただろうか。絹のような黒髪を肩まで伸ばし、透き通るような白い肌。瞳は大きな黒曜石のようです。


そんな、愛らしいお嬢様が、私をまっすぐ見つめていた。



「は、はい……香里奈と申します」



か細い私の声に、瑠璃子様はふふっと笑った。



「ふふ、そんなに怖がらなくてもいいのよ。私は瑠璃子。よろしくね、香里奈さん」



その瞬間、私の心の氷が溶けるのを感じた。



それからの日々は、全てが瑠璃子様と共にあった。


私は瑠璃子様のお相手役として、学問、作法、芸術、そして日常のすべてを共にした。


朝は目覚めから夜は寝かしつけまで、文字通り、片時も離れることなく。彼女の成長は、そのまま私の成長でもあった。


私が厳しく躾け、時には涙を流させたこともあった。



「香里奈なんて嫌い!鬼!」



そう言って泣きじゃくる瑠璃子様を、私は決して甘やかさなかった。



「お嬢様。侯爵家の淑女たるもの、そのようなわがままは許されません。涙は拭き、再び書物に向かってください」



そう言いながらも、私の胸中は常に、幼い彼女への深い愛情に満たされていた。



私は瑠璃子様にとって、単なる女中ではなかった。


友人であり、姉であり、そしてもう一人の母のような存在だったのかもしれない。私を深く信頼し、公私にわたり、誰よりも私を頼ってくれた。



私が松島家へ嫁ぐ日、瑠璃子様はめずらしく、人目を憚らず号泣された。



「寂しくなるわ」



あの時の瑠璃子様の悲痛な声は、今でも私の耳の奥に残っています。


嫁いでからは、手紙でのやり取りが続きました。



やがて、子宝に恵まれず悩んだ末、松島の家を出て、実家に身を寄せようかと思っていたときです。瑠璃子お嬢様から返事が届いたのです。



『あなたの実家は、藤堂家ではなくて?』



端正な美しい字が、涙で滲んでしまいました。



瑠璃子様は、今や見事な淑女となられた。教養深く、聡明で、そして何よりも慈愛に満ちているのです。




――次回、第8話へ続きます。


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