第6話 百年前の影
七度目の八月十二日。
私は夜明け前に目を覚ました。
なぜか胸がざわつき、眠りの底から誰かの泣き声が追いかけてきた気がした。
朝、北の塔で再び手紙を読み返していると、不意に視界が白く霞んだ。
立っているはずの足元が消え、目の前にまったく別の光景が広がる。
――百年前のこの屋敷。
長い黒髪の少女が、月明かりの廊下を駆けていた。
純白のドレスは裾が裂け、血の跡がぽつぽつとついている。
追いかけるのは、金髪の青年。
その顔はリオネル様によく似ていた。
「エリシア、待て!」
「……あなたとは誓えない!」
少女――エリシアの瞳は琥珀色で、私と同じ色だった。
二人は中庭で立ち止まり、互いに息を荒くして向き合う。
「誓いを交わせば、この呪いは解ける!」
「嘘よ……! あの日、あなたは私を裏切ったじゃない!」
エリシアの声が震え、頬を涙が伝う。
青年は手を伸ばしかけたが、その手は宙で止まり――
次の瞬間、背後から鋭い刃が閃き、二人は同時に血に染まった。
視界が再び白くなり、私は北の塔の机の前に戻っていた。
息が乱れ、手は冷たく汗ばんでいる。
「……見たのか」
扉口に立つリオネル様が低く言った。
「俺も、同じ夢を見た。あの青年は……俺だ」
私はうなずく。
「あの少女は、私……」
黒猫アルタイルが窓辺に現れ、尾をゆっくり揺らした。
「二人が百年前に果たせなかった誓い――それを今、果たすことができるかどうかが、この日を終わらせる鍵だ」
けれど、その誓いの中身を誰も知らない。
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