第12話 剣と嘘の記憶
目の前の男は、確かに死んだはずだった。
百年前の最後の日、屋敷の裏庭で、僕は彼の亡骸を抱き締めていた。
それなのに――今、赤い空の下で、彼は生きて立っている。
「……久しいな」
その声は、当時のままだ。
低く、冷たく、しかしどこか笑っているような響き。
「どうしてお前が……」
僕の問いに、男はゆっくりと剣の柄に手を掛けた。
その仕草一つで、周囲の空気が張り詰める。
「理由など、もう要らぬ」
鞘走りの音と同時に、銀色の軌跡が迫った。
反射的に腰の短剣を抜き、刃を受け止める。
衝撃が腕を痺れさせ、石畳を踏みしめた足元に亀裂が走った。
彼の動きは速い。
百年前、僕と互角だったはずの剣速が、今は完全に凌駕している。
一太刀交わすたびに、腕が悲鳴を上げる。
背後で、彼女が小さく叫んだ。
「やめて! どうして戦うの!」
男は答えなかった。
その代わり、瞳に宿る光が強くなる。
まるで怒りでも憎しみでもない――もっと冷たい、義務のような何か。
「……命令だ」
短く呟いたその声が、戦いの理由を物語っていた。
剣戟が続く。
僕は防戦一方のまま、必死に頭を回転させた。
なぜ彼はここに? なぜ異形の都市で?
そして、誰の命令で?
刃が交錯する一瞬の隙に、男の左手首の刻印が目に入った。
それは、赤黒く輝く円環の紋章――アルタイルが言っていた、《時の核》を守護する者の印。
「……お前が、核の守り手……?」
問いかける僕を、男は無言で突き飛ばした。
背中が石壁にぶつかる。
息を整える間もなく、彼の剣先が喉元に迫った――その瞬間。
「やめろッ!」
鋭い声と共に、影が割って入る。
それは、白銀の槍を携えた少女だった。
年は十七、十八ほど。青白い光を帯びた瞳は、男を真っ直ぐに射抜いている。
「彼らはまだ選ばれていない。処分の権限はないはずだ」
「……お前は……案内人か」
男は剣を少し引き、少女を睨んだ。
その隙を逃さず、僕は呼吸を整えた。
「案内人」という単語で、アルタイルの言葉を思い出す。
迷宮都市には、中立を保ち旅人を導く存在がいる――それが案内人だと。
少女は僕たちに振り向き、短く告げた。
「立て。話す時間はない。核を安定させたければ、生き延びろ」
次の瞬間、地面が震えた。
石畳の下から、黒い腕のようなものが無数に伸び、通りを飲み込んでいく。
親友は一歩後退し、僕を見下ろした。
「次に会う時は――殺す」
そう言い残し、彼は黒い腕に飲まれるように姿を消した。
嵐のような戦闘の余韻が残る中、少女は槍を肩に担いだ。
「私はリリア。この都市で唯一、中立を保つ案内人だ」
彼女の声は澄んでいたが、その瞳には明らかな焦りが宿っていた。
「今の男は守護者の一人。核を狙う者たちに操られている」
「操られて……?」
僕が問うと、リリアは小さく頷いた。
「時の核が不安定な今、過去の記憶や感情が歪められる。君の知る彼は、もういない」
胸の奥が痛んだ。
百年前、救えなかった親友。
そして今、再び刃を交えることになった親友。
「……それでも、俺は諦めない」
拳を握る僕に、リリアは一瞬だけ微笑んだ。
「ならば、生き延びろ。迷宮は優しくない」