第11話 月光の裂け目
八月十二日、午前零時――
百年の呪いは解けた。
杯が砕け、月光が青白い波となって屋敷を包み込む。
足元に散らばる銀の破片は、夜風に舞い、光の粒子へと変わっていった。
「……終わった、の……?」
彼女の声は、震えていた。
百年間、歴史の同じ日を繰り返し続けたその足枷は、確かに外れた。
だが、安堵する間もなく――
世界が、裂けた。
空間の中央に、月の光が縦に引き裂かれたような亀裂が走る。
その向こうには、見たこともない赤い空と、逆さに浮かぶ都市。
重力の方向すら狂っているのか、破片が上へと落ちていく。
「駄目だ、近づくな――」
僕は咄嗟に彼女を抱き寄せた。
だが、遅かった。
亀裂は音もなく広がり、僕たちを丸ごと飲み込んだ。
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落下感覚はなかった。ただ、全身を冷たい水に沈められたような圧迫感だけが続く。
視界は闇と光が交互に入れ替わり、何度も瞬きをしたが、状況は変わらない。
やがて、耳の奥で低い声が響いた。
――還スカ、進ムカ、選ブノハ汝ラダ。
次の瞬間、重力が戻った。
僕は固い石畳に叩きつけられ、肺から空気を吐き出す。
隣で、彼女も呻き声を上げながら身を起こしていた。
そこは、見知らぬ街だった。
いや、“街”と呼ぶにはあまりにも歪だ。
大小さまざまな建物が積み木のように重なり、空中に浮かぶ階層へと階段が伸びている。
空は赤く、月は三つ――それぞれの色が異なり、青、金、そして血のような深紅。
「……ここは、どこ……?」
彼女が呟く。
答えられる者はいなかった――少なくとも、人間の声では。
「遅かったな、ようやく来たか」
低く擦れた声。
振り向くと、そこに黒猫がいた。
いや――アルタイルだ。
百年の儀式を見届けてくれた、あの黒猫。
ただし今は、彼の口が動き、はっきりと人の言葉を紡いでいた。
「驚くのも無理はない。ここは《迷宮都市オルディア》――時の狭間に生まれた、行き場を失った時代の寄せ集めだ」
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僕と彼女は、黒猫の案内で街を歩き始めた。
道の途中で、古めかしい甲冑の兵士と未来的な服装の少女が口論している。
露店には、百年前の硬貨と現代の紙幣が無造作に並べられている。
どうやら、この都市には異なる時代の住人が同時に存在しているらしい。
「百年分の時間が解放されたせいで、時空が歪んだ。
その結果、お前たちはこの都市に引き寄せられた」
アルタイルは淡々と説明する。
「だが安心はするな。ここから帰る道は一つ――《時の核》を安定させることだ」
聞き慣れない単語に眉をひそめたとき――
視界の端に、人影が立った。
古びた剣を腰に差し、鋭い眼光をこちらに向けている。
その顔を見た瞬間、僕の心臓は跳ね上がった。
「……お前は……」
百年前、僕を裏切り、そして死んだはずの――**親友**だった。