表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/36

第1話 紅茶の湯気と昨日の朝

 ――チチチチ……。

 窓の外で小鳥が鳴く。やわらかな陽光が、白いレースのカーテンを透かして部屋を満たす。


 私はゆっくりと身を起こし、枕元の目覚まし時計に目をやる。針は午前六時を指していた。

「……今日もいいお天気」


 髪を後ろでひとつにまとめ、エプロンを手に台所へ向かう。

 銀のポットと茶器が整然と並び、窓辺にはまだ朝露をまとったハーブの鉢。これらは、私の一日の始まりの儀式みたいなものだ。


 湯を沸かしながら茶葉の瓶を開ける。ふわっと広がるジャスミンの香りに、少しだけ眠気が溶けていく。

「今日は……ジャスミンティーにしよう」


 湯温は九十五度。ポットに湯を注ぎ、蓋をして三分。

 茶葉がゆっくりと水面で花開くのを見つめていると、不思議と心が落ち着く。


 この屋敷の主、リオネル様は香りに敏感な人だ。めったに笑わないけれど、好みの香りを淹れると、少しだけ眉の緊張がほどける。だから、機嫌を取るときは香りから――それが私なりの習慣だった。


 テーブルにカップを並べ、ポットからそっと注ぐ。湯気とともに甘やかな香りが部屋を満たす。


「ユイ、またやってくれたのか」

 背後から、低く落ち着いた声が響く。


「おはようございます、リオネル様」

 振り返った、その瞬間――視界が白くかすみ、足元の床がぐらりと揺れた。


 次に目を開けたとき、私は自分のベッドにいた。

 ……さっきまでいたはずの食堂ではない。


 カーテンの隙間から差し込む朝日。小鳥の声。

 そして、遠くで鐘が六回鳴る音。


「……え?」

 時計を見ると、午前六時ちょうど。

 ――昨日の朝と、まったく同じ。


 胸の奥がざわつく。

 さっきまで感じていたジャスミンティーの香りが、幻のように鼻先に残っていた。




 気のせいだと思い込もうと、いつも通り台所へ向かう。けれど、ポットも茶器も、昨夜片づけたはずの位置に最初から揃っている。

「……?」

 ハーブの鉢の朝露まで、昨日と寸分違わない。


 まるで時間が巻き戻ったみたいだ。

 頭の奥に薄い霧がかかったような感覚が広がる。


 ためらいながらも、湯を沸かし始める。瓶を開けると、やはり昨日と同じジャスミンの香りが広がる。

 ……いや、昨日というより“さっき”の香りだ。


 紅茶を淹れていると、また背後から声がした。

「ユイ、またやってくれたのか」

 振り返ると、そこには――やはりリオネル様が立っている。表情も、タイミングも、昨日と全く同じ。


 背筋に冷たいものが走った。

「……リオネル様。あの……今日は何日ですか?」

 思わず聞いてしまう。

「八月十二日だが……どうかしたか?」


 八月十二日――昨日と同じ日付だ。

 確信が、胸を締めつける。




 その日、私は何度も同じ場面に遭遇した。

 ミラが廊下で花瓶を落とすのも、料理長が塩を入れすぎるのも、執事が領主に報告を届けるのも、すべてが“昨日と同じ”順序で起こった。


 そして夜――ベッドに入った瞬間、また視界が白くかすんだ。

 次に目を開けると、やっぱり朝の小鳥の声。午前六時。八月十二日。


 繰り返している。

 どうして? 何のために?


 まだ答えは分からない。けれど、この奇妙な一日は、すでに二度目を迎えていた。


いいなと思ったら、リアクションやブックマークしてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ