第1話 紅茶の湯気と昨日の朝
――チチチチ……。
窓の外で小鳥が鳴く。やわらかな陽光が、白いレースのカーテンを透かして部屋を満たす。
私はゆっくりと身を起こし、枕元の目覚まし時計に目をやる。針は午前六時を指していた。
「……今日もいいお天気」
髪を後ろでひとつにまとめ、エプロンを手に台所へ向かう。
銀のポットと茶器が整然と並び、窓辺にはまだ朝露をまとったハーブの鉢。これらは、私の一日の始まりの儀式みたいなものだ。
湯を沸かしながら茶葉の瓶を開ける。ふわっと広がるジャスミンの香りに、少しだけ眠気が溶けていく。
「今日は……ジャスミンティーにしよう」
湯温は九十五度。ポットに湯を注ぎ、蓋をして三分。
茶葉がゆっくりと水面で花開くのを見つめていると、不思議と心が落ち着く。
この屋敷の主、リオネル様は香りに敏感な人だ。めったに笑わないけれど、好みの香りを淹れると、少しだけ眉の緊張がほどける。だから、機嫌を取るときは香りから――それが私なりの習慣だった。
テーブルにカップを並べ、ポットからそっと注ぐ。湯気とともに甘やかな香りが部屋を満たす。
「ユイ、またやってくれたのか」
背後から、低く落ち着いた声が響く。
「おはようございます、リオネル様」
振り返った、その瞬間――視界が白くかすみ、足元の床がぐらりと揺れた。
次に目を開けたとき、私は自分のベッドにいた。
……さっきまでいたはずの食堂ではない。
カーテンの隙間から差し込む朝日。小鳥の声。
そして、遠くで鐘が六回鳴る音。
「……え?」
時計を見ると、午前六時ちょうど。
――昨日の朝と、まったく同じ。
胸の奥がざわつく。
さっきまで感じていたジャスミンティーの香りが、幻のように鼻先に残っていた。
気のせいだと思い込もうと、いつも通り台所へ向かう。けれど、ポットも茶器も、昨夜片づけたはずの位置に最初から揃っている。
「……?」
ハーブの鉢の朝露まで、昨日と寸分違わない。
まるで時間が巻き戻ったみたいだ。
頭の奥に薄い霧がかかったような感覚が広がる。
ためらいながらも、湯を沸かし始める。瓶を開けると、やはり昨日と同じジャスミンの香りが広がる。
……いや、昨日というより“さっき”の香りだ。
紅茶を淹れていると、また背後から声がした。
「ユイ、またやってくれたのか」
振り返ると、そこには――やはりリオネル様が立っている。表情も、タイミングも、昨日と全く同じ。
背筋に冷たいものが走った。
「……リオネル様。あの……今日は何日ですか?」
思わず聞いてしまう。
「八月十二日だが……どうかしたか?」
八月十二日――昨日と同じ日付だ。
確信が、胸を締めつける。
その日、私は何度も同じ場面に遭遇した。
ミラが廊下で花瓶を落とすのも、料理長が塩を入れすぎるのも、執事が領主に報告を届けるのも、すべてが“昨日と同じ”順序で起こった。
そして夜――ベッドに入った瞬間、また視界が白くかすんだ。
次に目を開けると、やっぱり朝の小鳥の声。午前六時。八月十二日。
繰り返している。
どうして? 何のために?
まだ答えは分からない。けれど、この奇妙な一日は、すでに二度目を迎えていた。
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