5.異邦の青年(2)
僅か数瞬後、そうして人気のない細路一目散にどんどん走り行き、二人はついに件の人影が曲がった角まで辿り着いていた。
「あれ?!」
「あ、いない……」
――だがそこを左へ入った途端、思わずすっとんきょうとも言える声出したのはその両者。
「ずっと真っすぐなのに……」
むろんロイドが呆然と呟いたように、目の前に伸びるのはほぼ直線と言っても過言ではない一本道である。枝道となるとここからなら暗がりの中大分遠くにあるのが何となく確認できるくらいで、後はただひたすら遥か先まで延々と続いている。ましてや道の左右には一応細々と建物が軒を連ねていたが、それらもはたして住人がいるのかあるいは廃屋なのか確認しようがないほど、朝から不気味にひっそりしていたのだ。
まさにあの青年が確かに曲がったにせよ、その後どこへ行ったかとなると皆目見当もつかない状況であった。
「あれ、おかしいな、確かに見たんだけど」
「いや、多分ソフィーは間違いなく見かけたはずだよ。だからあの人もまだ近くに」
「でも、ここも本当人気がないよ。一体どこ行ったんだろ」
かくて寂れた、というか廃れた路上で道の先及び左右の光景まじまじと確認する二人。生まれて初めて入った道ゆえとにかくどうしようもなく戸惑いばかりが大きくなる。いつしか賑やかな大通りからも大分離れてしまっていたが、今は二人ともそんなことに気を配る余裕もないほどの呆然状態そのものであった。
「やっぱりどこかの家に入ったんだよ」
もちろんロイドとしても結局そうソフィー及び自分を納得させるのが今は関の山でしかない。
いずれにせよ、完全に相手見失ってしまったのだから。
何よりこうなってしまうと、もはや他の良い手段がいささかも浮かばぬ完全なる袋小路状態――。
「もう、今日はいいよ。ロイド帰ろう」
ゆえにやがてソフィーが疲労も露わにそう提案してきたのも、今は無理からぬことであったと言えよう。そう、そもそも衆生区へ来てから、もう大分長い時が経っていたのだ。
ここで一旦引き返したところで、特に間違った判断のはずもない。
「……うん」
その証しに当の少年自体、すでに諦めの表情明らかだった上は。
相当悔しげな風、たとえそこに色濃く含まれていたとしても。
「戻ろう、か」
そうしてロイドもとぼとぼと、無念さも露わにいつしかうつむきながら元来た裏道の方へ振り返ろうとした、
しかし、その刹那だった。
「……俺を探していたのか?」
――突然すぐ背後から、その冷たくも鋭い声は発されてきたのだった。
◇
「あ!」
そこ、角の入口の辺りにいつの間にか立っていたのは、紛れもなくロイドたちの探していた青年――昨日、あの霧に包まれた朝、通学途中だった少年をボルグから助けてくれた錬金術師だった。
何より見慣れぬ異国風の服装と、その美しい双眸がロイドの記憶の中にいまだ鋭く刻まれていたのだから、まず見間違いようがない。
短めだが前髪、襟足の長い銀髪、その長いまつ毛と煙るような紫色の瞳、すっと通った鼻筋。そして漆黒のマントに黒き胴衣と脚露わになった濃灰色の半袴、及び脚絆纏った、色白で引き締まった身体……。
かえってその映像が鮮明過ぎて、分かりやすく固まってしまったほどに。
「何か用でもあるのか?」
「えっと、その……」
「何もないなら――」
「あ、私たち、あなたへこれ返しに来たんです!」
それゆえしどろもどろにさえなってしまった少年だが、その様にあっさり踵返そうとした謎の青年を何とか呼び止めたのは、これまた彼の放つ雰囲気に圧倒されたような顔現わしていたソフィーの方だった。実際実物を眼にして驚き隠せなかったのだろう、かなり慌てたような口ぶりではあったのだが。
「返す?」
しかしその言葉は確かに効果てきめん、青年は奇跡的にもすっと立ち去ろうとする脚、静かに止めたのである。
「ハンカチです! 『新月亭』って記された。ほら、ロイド!」
「あ、そうだ、これを!」
「……」
すると突然話を振られたロイドの方はまたもやビックリ眼となったものの、それでもようやく自分の用事の一つ思い出し急いで制服の懐へ手を突っこんでいる。ガサゴソとあまりエレガントな動作とは言えなかったが、もちろんじっと青年が物言わず見つめる中取り出したのは、あの店名が入った青いハンカチに他ならないのだった。
いまだ震え止まらぬ状態だったロイドに、これで汗を拭えとさりげなく渡してくれた。
「昨日はありがとうございました!」
そうして少年は矢継ぎ早に深々とお辞儀までしてそのハンカチ、まるで進呈するがごとき丁寧さで差し出したのだが――。
「用事はそれだけか」
当の青年の方は相も変わらぬ声音でたったそれだけ応じると、あまりに素っ気ない動作で次にはその少年にとって至極大切なもの、何の感慨もなさそうに簡単に掴み取っていた。
しかもさっと後ろ振り向くや、もうここにいる意味はないとばかりにそのままあっさり向こうへ立ち去って行こうとさえしてしまう。
「あ、待って!」
むろんそれを見たロイドが途端慌ててその背中へ大声放っていたのは至極当然のこと。
そのあまりの必死さに耳にした青年、一瞬の間だけとはいえ立ち止まらせて。
「あの、すいません。――せめてお名前だけでも」
もっともそうして緊張で声あからさまに震わせつつ何とか絞り出せたのは、結局そのたった一つの言葉だけだったのだが。
「それを聞いてどうする?」
「え?」
「知ったところで、君たちにとっては何の意味もない名のはず」
「いや……」
むろん対する相手の反応は予想通りというべきかあまりににべもなく――。
「まあ、だが名前だけなら教えてやるか。……へファイスティオン、これでもういいか?」
それゆえ青年が前へ歩き出しつつこちら一瞥してふとそう告げた時、ロイドは、そしてソフィーもそれが彼の名前だとは、一瞬まるで理解できなかったのであった。