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44.殉教(1)

 それまでじっと両膝へ顔うずめ一人床に座していたロイドは、その時ふと牢屋へと通じる扉が開かれる音耳にして、その面を上げた。

 窓が一つもない部屋ゆえ今が一体いつ頃なのかは詳しくは分からないものの、恐らく漂う空気の冷ややかさから大分夜が深まり出した時刻には違いあるまい。だがそんな時間に、しかも先ほどあれだけ悲鳴上がっていた中はたして誰が来たのかと、扉の方向見やりつつ少年は瞬間訝しくも思ったのだが……。


 「!」

 「あら、元気だったかい?」


 そこにいたのは、なぜか予想外にもアーレムが執政、そう、あの銀髪のパミラその人に他ならないのだった。

 彼女はそうしていつも通り艶やかな赤いドレス纏っていたが、今はその上から赤茶色の長いマント羽織っている。なかなか丈夫そうな代物で、どう考えてもこれから外へと出かけて行くようないでたちだ。しかもよく見るとその息は妙に荒く、むしろ全体的には慌てた感さえ隠しようもなく漂わせている。

 だが、ではそう理解できたところでまさか別れの挨拶に来たはずもないと、ロイドがかえってさらに怪訝かつ不安な気持ちに陥ったのは当然のことなのだった。


 「どうしたんだい、そんなに怯えた顔して?」


 しかも加えて、パミラが艶然と微笑みながらそんな言葉掛けてきた上は。


 「これから一緒に長い旅をするんだ、そんなビクビクする必要はないよ」


 そうして変わらず笑みを浮かべたまま、ただし妙に忙しげな様相で鉄格子まで近づいてきた執政は、次には手にしていた鍵束前へと突き出している。ロイドならずともまず見間違いようがない、それは今まさに牢の扉を開け放とうとする動作以外の何物でもなかった。


 「え……?」


 当然ながらそのあまりの意外さに、少年はむしろポカンとしている。まさか無罪になったわけでもあるまいし、しかも当のシメオンの側近たるパミラがそんな真似をするなどおよそ思いもよらなかったのだ。

 それゆえおのずと鉄格子越しに、相手から距離取るような素振りも示し出し……。


 「さて、これでよし」


 しかしそうして少年が怯んでいる間も銀髪の女は慣れた手つきで鍵を操作し、次にはあっさり鉄格子の入口解錠してしまう。まったくロイドが逃げることなど想定していない、それは実に平常極まる動作であった。

 むろんそれを見つめる相手の甚だしき動揺など、まるで気づいていない風で。


 「さあ、さっさとそこから出な。出発だよ。時間がないんだ」

 「しゅ、出発?」

 「これから聖都へ発つから。お前を連れてね」


 かくて続けて放ったのは、さらにロイド仰天させる一言。もちろんだからと言ってはいそうですかと易々受け入れられるはずもなかったが、しかし執政はよほど急いでいるというのか、次の瞬間説明するのももどかしいと勢いよく鉄格子開け放っていた。

 その慌ただしくもある一連の流れはまさに少年にとっては急転直下、余りにも想像外の事態である。

 従って一体今何が起きているのかと、当然巨大な疑問が黒雲のごとく勢いよく心中へむくむく湧き上がってきたものの――。


 「ほら、何ぼさっとしているんだ、急ぐんだよ!」


 やはりパミラはまるで構わずさらなる荒々しさで一喝、そうしてその腕、外から決して逃さんとばかりにロイドへぐいと伸ばしてきて――。



 「早く立ちな!」

 「で、でも……」

 「いいから早く、そうしないとあいつが――」


 と、だがかくてパミラが嫌がるロイド無理矢理立たせようとした、その時だった。


 「!」


 刹那、そんな女の動きがピタリと止まった。何やら予想外の出来事がふいに起きた、明らかにそんな様相だった。

 その証しに、訝しげな顔現わした彼女は次の瞬間すかさず後ろ振り返っている。その動きからすると、どうやら別の第三者がこの部屋に入ってきたとも思われる。


 「誰だ?!」


 すなわち、途端パミラはそうした一言、木製の入口に向かって鋭く放っていたのだから。


 「……」


 はたしてそこに突如として姿現していた、一人の人物。服装だけなら、あの白い制服と青いケープ、ベレー帽身に着けた教会兵へと向かって。一方の相手は不思議と静かな相貌、崩すことはなかったものの。

 そうしてすぐ名乗ることもなく、その突然の来訪者はゆっくりと、そう静かに開け放たれたままの扉潜り部屋の中へと足を踏み入れてきて……。



 「……え?」


 ――だが、パミラとほぼ同時にそちらの方見やったロイドは、その謎めいた人影があまりに自分にとって見知った顔持つ存在だったのを見て、知らず驚愕の声洩らしていたのだった。


 「ポール……?」


 そう、そこにいたのは紛れもない、同級生のポールなのであった。ただし今はパルメニスの学生服ではなく、なぜかシメオンに仕える教会兵の姿だったが。その何とも言えぬ不可思議さも大だったのだろう、ロイドが知らずポカンと彼の名零していたのも無理はなく、そこにはむろん、どうにも表現し難い不安さすら少なからず含まれていたのである。


 「どうして、こんな所に――」

 「何だ、あんたか。何の用だい?」

 「パミラ様こそ、今の大変な状況の中、一体何をしておられるのですか?」


 だが、そんな混乱状態終わらぬロイドの疑問をひとまず置いてきぼりにして、まるで以前からの歴とした知己のように二人は普通に話を続けていく。しかもパミラ窺えばロイドのごとき驚きがほとんどない以上、どうやら彼女にとってはそこにポールが立っていたこと、さほど訝しむには当たらない事象だったらしい。

 特にポールの口調の方には、単なる目上の人物に対するというより、むしろ完全なる上司に当たる者への慇懃さ、忠実さがありありとこめられていたがゆえ。

 それゆえ当然のように、続く言葉にはもはや緊迫感認められぬパミラ。


 「ふん、決まっているじゃないか。このガキを、これからサイオニムまで連れて行くのさ」

 「ロイドを、ですか」

 「そう、何せシメオン様があの機械野郎に倒されちまったからね。もうアーレムはおしまい、そしてこのままじゃあたしも死刑確実だが、でも、せめてギルクリストの孫を連れて行けば……」


 加えてそう忌々しげに言いつつ、手にした鍵束弄ぶようにジャラジャラさせる。


 「なるほど、ロイドを秘師様の元へ差し出せば」

 「少なくとも、すぐに処刑ってことだけはないだろうね」


 むろん今や焦慮の相、身体全体で露わにさせているのは言うまでもなく。


 「だからあんたも早く手伝いな。あの錬金術師が来る前に、こいつをここから引っ張り出すんだ」

 「確かに今はシメオン様倒され混乱の極みです。あの戦士もいずれここへ来るかと」

 「そういうこと。かといってあたしらじゃあいつに敵いっこない。だからだよ」


 そうしてもう説明は充分と、女はせいたように背後再び振り返ろうとしたのだが……。


 「なるほど」

 「何、高が一人の子供。力尽くで出せば――ん?」

 「……」


 と、だがそこで、ふとパミラが動きを止めた。なぜならそれまでただ静かに眼前で話聞いていただけの相手が、ふいに惑わせるように奇妙な動き示したのだ。それも、何の予兆もない、唐突過ぎる様相で。


 「……何だい、急に?」


 むろん、その表情にもつとあからさまなほど怪訝さ出現している。

 それくらい、ポールの起こした動きはあまりに不自然なものだったのだから。

 その瞬間、彼らしくもない途轍もなく冷たい光、その緑の瞳に宿して。 

 その右手が掴んでいたものとともに、対する歴戦のパミラへ知らず怖気覚えさせたくらいに。

 その間、僅か数秒ながら。

 すなわち、彼は――。


 「! なっ――」


 その構えのまま音もなくパミラへ近づくと、

 はたして執政は眼を驚愕で見開き――。


 「ぐ、ぐあ!」


 そう、次の刹那、腰に差していた長剣するりと引き抜き、それをあろうことか何の躊躇もなく、すぐさま油断していた執政の腹へと勢いよく突き刺していたのである。


                  ◇


 「き、貴様……」


 僅かの後、怨念にみちたその言葉だけ何とか絞り出すと、腹と口からおびただしく血を流し、そしてパミラはその場にどうと崩れ落ちた。アーレムに名を馳せた執政の、しかしやけに呆気ない最期だった。


 「……」


 だがそれを見つめる、当の殺人者たるポールはまるで何も感じなかったように表情一つ変えない。むしろそうした些事より彼には他にやるべき重要なことがある、それはそんなこと言いたげな様相であった。

 そうしてしばしパミラの状態確かめ、ついに彼女が仰向けのままピクリともしなくなったこと確認すると、ようやく金髪の美少年は静かに眼差しの方向動かす。言うまでもなく執政の向こう、鉄格子の中、ロイドのいる方へと。

 そう、当然そこには、いまだ怯えと驚愕の表情ありありと映す少年が一人、ひたすら震えていて……。


 「ロイド……」


 かくてポールは、鉄格子の向こうにいる親友の少年久しぶりに認めると、余りにも儚い微笑で迎えていたのだった。

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