41.白と黒の決戦(2)
「ええい、曲者め! 早く奴を討ち取れ!」
城門突如として撃ち破り侵入してきた大胆不敵な黒き剣士前にして、ホムンクルスが声高らかに厳命下した。むろん彼の下に集うは教会の誇る精鋭、それも100人を優に越す規模である。そうして教会兵は神殿正殿の前に守るように建つ二つの建物、副殿と作務所の間にある道に固く陣取り、一歩たりと闖入者にそれ以上進ませないよう構え敷いている。まさしくそれは鉄壁の陣、たとえ相手がどんな強敵でも突破することは容易でないとも思われ、実際目の前の鎧の戦士は一瞬、その足をすっと止めたのだ。
その間、距離にして10マイスほど。
1人対100人、その勢力差は言うまでもなく先ほどの10倍。
いかに奇怪な技使うこの戦士=ファイでも、一体この先どうやって戦うというのか。特にいくら切れ味鋭いとはいえ、その剣一本で――。
「ふん、いくらお前のような怪しげな者でも、この部隊相手には手も足も出せまい。と言っても今さら降伏など許されん。さあ、潔く死の道を……ん?」
……だが、そうしてホムンクルスが威勢よく言い放った、その時だった。
ただ立ち尽くすだけに見えた黒の戦士が、ふいに動きを見せたのだ。ただし前方へ単身斬りかかって行ったわけではない。いや、それはむしろ余りに謎めいていて、意味など問いようのない行動でもあって。
「何をしている?」
すなわち彼は手にした剣を突然、聖域内の土の地面へ勢いよく突き刺したのだから。それも刀身の半分程度が埋まるくらい、深々と。しかしそれ以外には一切、何の行為見せることなく。
――まるで何かの儀式のように。
「どうした、恐怖の余り頭がおかしくなったか?」
それゆえその不可思議な様見た相手がいかにも揶揄こめて問うてきたのは、かえって至極当然のことなのだった。
「だが、容赦はせんぞ、さあ、討ち取ってしまえ!」
むろんそれは同時に大きな隙ができたということでもあり、兵率いるホムンクルスは途端大声で号令かけている。そしてそれを受けてたちまち白服の教会兵が一挙に戦意高めたのは言うまでもない。
かくして彼らは早速一番手柄立てようと、鋭利な剣手にじりじりと前進、相手との距離詰め始めて行ったのだ。
「……」
標的が相変わらず何も行動起こさぬ、その空隙突かんと。
瞳に獰猛な光宿らせて。
はたして次第に狭まっていく、彼我の間の距離。
何より、相手がいまだ一歩も動かない以上。
地面から剣引き抜くこともせず。
一心に、何かを強く念じるようにして――。
そう、それは一見、ファイにとってまさしく絶体絶命の状況で……。
「よし、捉えた!」
そうしていよいよ先頭に立つ数名が、後数歩で手の届くほどまで近づき、勢い剣振り上げようとした、
――だが、まさにその瞬間だった。
「!」
「何だ?!」
突如としてファイの身体を走る描線、彼の青い瞳の輝きが一層激しく鋭くなり、そして、刹那にしてそれは起こったのである。
◇
それは言うなれば八首の竜。それも全身、漆黒の色で覆われた。
――まさに太古の神話に出てくるような。
ファイを彩る青光がすべて眩くなるや、ふいに刀身が地面へ突き刺さった辺りから猛然と吹き出すがごとく出現したのは、すなわちその黒い八体の名状しがたき『何か』だった。狼煙の煙をも思わせるそれは実に奇怪極まる偉容で、特に先端の部分には大きく開かれた口や牙、上へ伸びた二本の角など生物的なものも見えている。まさに捕食者とでも呼ぶべきか、それらが表わすのは全てを貪り喰わんとする狂暴性以外の何物でもない。
そう、あまりに異質で、狂おしいまでの飢餓感に満ち溢れた。
「何だありゃ?!」
「化け物か?」
「不気味なっ!」
それゆえだろう、その唐突過ぎる出現は兵士たちをして一瞬で恐慌状態へと陥らせるに充分なほどだった。
しかも姿現した異形の竜たちは獲物を求めんと、剣の元から一斉に散開、つとそれぞれが教会兵目指し向かって行ったのだから。何よりも驚くべきはその速度、風と見紛うばかりの速さでぐんぐんその身体が延び、そして一気に兵士の元へ襲いかかる。むろん逃げる間僅かすら与えずに。畢竟、まずは最初の哀れな八人が不幸にも彼の者の餌食と選ばれ――。
「な? う、うわああああ!」
「ぐは!」
「か、身体が?!」
はたしてその黒い竜は狙い過たず犠牲者の首元へ一斉に飛びこんでいき、すぐさま情け容赦なくも恐るべき『食事』をし始め。
……次の瞬間そうして次々立ち昇っていたのは、この世のものとも思われぬげに凄まじき絶叫の数々、そのものなのであった。
「ぎゃ、ぎゃあああ!」
すなわちそれは喩えるなら、まさしく魂を喰らわれる時の地獄の苦しみ極まる声にも似て――。
◇
ロイドはふと聞こえたその音に、知らず耳をそばだてていた。
むろんそこはいまだ牢獄の中、しかし今は密やかと彼以外辺りには誰もいない。
そのあまりに閑散とした空気ゆえ、かえってそれがはっきりと耳にできたくらいに。
(叫び声……?)
当然ながらそうして俄然、胸を騒がすもの覚えたロイド。
かなり遠くで聞こえつつも、それがあまりに恐怖に満ちた声、悲鳴と思われたからだ。
そう、いまにも確実なる死を眼前に迎えつつあるような……。
(でも、ここは)
だが、この場所はまごうかたなき機密錬金術師住まう本拠地、アーレムでもっとも警戒が厳しい領域のはずである。まず、誰か反徒が入りこむこと自体が絶対にありえない。そもそも教会兵はみな精鋭揃いだし、それを率いる優秀なホムンクルスや執政のパミラ、そして何より、――あの偉大なる天使が鎮座しているのだから。
(まさか――)
しかし実際のところ、ここで今何かとんでもないことが起こっているのは確か。しかも人々が次々に悲鳴上げているような。加えてそれは、あるいは教会兵であるのかもしれず。
しかして以上のことを充分に考えるとすれば……。
(あの人が)
そう、ふいにその時脳裏にはっきりと浮かんだのは、はたしてあの紫瞳輝かせた美青年。
今の今までは、あくまで淡い希望の類でしかなかった。
同時に彼にとっては、あくなき憧憬の的でもある。
だがひょっとしたら、それが間もなく確かな現実に――。
(戦っている……)
そしてその想像はほんの僅かな時を経てどこまでも迫真性ある絵となり、
「ヘファイスティオンさん――」
知らず少年もその青瞳へ久しぶりに輝き取り戻し、かくて誰もいない牢屋の中、静かにただ一人呟き零していた。
すなわち、それが本当に彼なら、ロイドとしても決してまだ諦めるわけにはいかないのだ。それくらい、今の少年にとってあの青年の存在は大きくかつ重たかったがゆえに。
――いつしか何となく、胸の中に生きる気力さえ小さくも湧いてきたくらい。
むろんではたとえ本当に件の青年がやって来たとしても、だからといってあの機密錬金術師相手に必ず勝てるとは思えなかったものの。
だが、それでも。
(もしかしたら、ファイさんなら)
それはどこまでも切なく儚い願いで。
そしてそれゆえだろう、彼はいまだ止まぬ悲鳴の連鎖に全神経研ぎ澄ませながらも――
(あの導師を……)
静かに、じっとその時が来るのを諦めずに待つ、そう固く、揺るがぬ決意の元、自分へそっと言い聞かせてみるのだった。




