35.機密
アーレムの真の最高峰たる大神殿、荘厳な玉座の間。
黄金の玉座に腰深く座したシメオンに、目の前に恭しくひざまずき報告する一人の人物の姿があった。
「猊下、つい先ほど、あの鞭使いが息絶えました」
それは美しく長い黒髪と白い肌、ガラス玉のごとき青瞳、そして赤い寛衣身に着けた、彼に仕えるホムンクルスである。純白の衣纏ったいと麗しき機密錬金術師と向かい合うと何とも奇妙に釣り合いの取れた主従というべきか、不思議と違和感らしきものがない。むろんシメオンはシメオンでさもそれが当たり前と彼の者の言葉受け取り、まるで普通の会話のごとくその報告静かに耳へ入れていたのだった。
「最期は暴れ回るなど、凄まじい苦しみに苛まれていた模様」
ただしその内容自体は、普通の神経の持ち主が聞いたら間違いなく眉をひそめる類のものであったのだが。
「自白剤による結果か。致し方あるまい」
「ですが、必要な情報は十分得られたようですね」
「うむ、特に反乱の首謀者、キルヒトなる男の、な」
かくていかにも冷静かつ満足げにうなずいてみせる導師。要は拷問と薬ふんだんに使用して、件の鞭使い――シャックスから強引に自供させたのだろう。それはその口許に浮かんだ晴れやかな笑み見れば余りに明らか過ぎるほどだった。
「下卑ふぜいが、外で獣操る技身に着けた程度でうぬぼれおって」
しかも、どこまでも脳裡にある相手のこと、軽蔑し尽くした響きある声音で。
「シメオン様、それで、その男のことはどう致しますか?」
するとその笑みの合い間に、ホムンクルスが要領よく問いを放ってきた。その声色は妙に心情感じられぬ、まさしく無機質ともいえるものだった。
「男――キルヒトか?」
「はい。反乱軍の中では、唯一取り逃がした、しかもその首領たる人物です」
「構わん、放っておけ」
「よいのですか?」
「所詮はただの獣使い。正体も分かった以上、もはや恐れる必要はない」
対してシメオンはその声美しく、さらにそこへあからさまな嘲りと余裕乗せて答えている。それはまさしく勝利者の慢心。取るに足らない相手には、それ相応の反応示すだけで十分事足りるとでもいうような。
「今はむしろ、パミラに探らせているもう一人の方が重大だからな」
そう、そもそも、彼にとってはより大きな懸案がもう一つしかと存在していたのだから。
「それは、やはりあの」
「むろん黒鉄の剣士だ。どうやらボルコフもやられたらしい」
「! 何とっ」
――その心を占めるは、不吉極まりないアーレムを覆い始めた深い闇――聖都でも話題になっているという、あの錬金術師にして機械化された戦士。分かり易くもホムンクルスが今途端目に見えて怯え見せたように。
すなわち、あるいはそれは、古きギレアトの伝説に謳われる……。
「で、では、至急対策をとらねば」
「うむ、まあパミラにまずは任せるとするが。私には、何といってももう少し調べなくてはならないことがあるからな」
と、そこで皆まで機械の戦士のこと言う前にシメオンは声音へふと今までとはまた別の色を加えた。それは興奮とでも表現するべき、唐突なまでにげに不可思議な響き持つ声なのだった。
「すなわち突然の僥倖というべきか、あの子供、ロイド・ラクティについてだ。むろんあれはただの反乱助力者ごときではない、鞭使いの吐いた言葉が真実ならば」
そうしてアーレムしろしめす偉大なる光の天使は玉座の上よりぐっと身体を忠実なホムンクルスの方へ乗り出させる。その雰囲気は俄然怪しげな風も纏い始め……。
次いで彼は、なかば畏れのこもった表情見せるその者へと視線向けると、
「ギルクリスト。彼の祖父は、途轍もない人物だぞ」
――そう、刹那燃え滾るがごとき深紅の瞳、異様なまでに爛々と輝かせていたのである。
◇
ソフィーが目を醒ました時、そこはまるで見知らぬ真っ白な部屋のただ中だった。天井も、壁も、そして寝ていたベッドも、――いや、それどころか自分の身に着けているのさえも、白一色のローブめいた服だったのだ。
瞬間ここが現実の世界ではないと錯覚しかけたくらい、余りにも奇妙で清潔な空間。
そう、少なくとも馴染ある寮の自分の部屋ではあるはずもない……。
(どこなの、ここ……?)
すなわち、次の瞬間そんな疑問が勢いよく湧いて出てきたのも、さも当然のことだったと言えよう。
そしてたまらず、すぐさまどこか出口はないか、人はいないかとバッと上半身起こし辺り見回したソフィー。それは言うまでもなく、こんな怪しげな所からは早く出て行きたかったから。まるで純白の監獄のような、異様に静かすぎる部屋からは。
とはいえ余りに当たり前のごとく、室内はどこまでも限りなく森閑としていて、人の気配など一つもあるはずがない。畢竟もちろん彼女も、たちどころにその方の期待となるとほとんど抱くことできないと思いかけたのだが――。
「……ソフィー、眼が醒めたんだね」
「わ!」
――しかし、突如背後の方から聞こえたその声が、少女をして刹那いたく驚愕させていたのだった。
それは聞き覚えの、しかも親しみさえある少年の声音。彼女が慌てて後ろを振り向いたのは言うまでもない。
そうして急ぎ振り向けられた視線の先、変わらず真っ白な床の上、出入口とおぼしきこれまた白の扉のすぐ前には……。
「ポール……?」
そう、確かにソフィーにとっては実に馴染のある、金髪の美少年が微かな笑みを口許へ浮かべて、そこに静かに佇んでいたのである。
◇
それはいつも通り、清潔な学生服に身を包んだ同級生、ポール・ラファールだった。
級友の中でも飛び抜けて優秀で、何より優しくて思いやりのある――。
かくてやっと人、しかも頼りがいのある知り合いに会えた安堵感から、ソフィーが知らずホッと胸撫で下ろしたのも無理はない。彼女はすかさず、何の警戒感もなく少年へ余りにも大きすぎる疑問投げかけていたのだ。
「ポール、どうしてこんな所に! ……ていうか、ここはどこなの?」
「安心して。別に君は囚われたわけじゃない。ただちょっと僕たちに協力してほしかっただけさ」
「協力……?」
だが、対してポールの返した答えは妙に意味が掴みにくかった。いや、ただ訳の分からないことを語っているということではなく、彼はちゃんと穏やかに真実を述べているのだろうが、しかしそれが今のソフィーにとっては全く入ってこないというか……。
むろんこちら見やるポールのその様相には、相手がそんなこと感じているなど、何ひとつ思っているようには見受けられなかったというのに。
まさしく、至って真摯な風で。
少女にしっかりと、それも正面から何ごとかを説明しようと――。
(……あれ?)
だが、ふとした、その時だった。
瞬間、ようやく覚醒したソフィーの脳裡を微かに過っていった何かがあった。
それは言うなれば記憶の残像、あるいは欠片の類。
とにかく、やたらと俄然、彼女の胸騒がせ始めた嫌に異質なるもの。
つと、ざわり、ざわりとまこと遠慮なく……。
(そう言えば私、あの時ポールと一緒にいて)
そう、それは女子寮の前庭、大きなリンゴの木の下で、昼下がり、二人は密やかに語り合い。
そもそもそれは何より、ポールの方が二人で話したいと突然持ちかけてきたからだったので。
そして話の途中で彼はふいに、その懐から何か白いものを取り出し――。
そのままこちらへ伸ばされて来る、少年の手。
綺麗な布なのか、いずれにせよそれが何かよく確かめようと少女が怪訝に思った、――しかし、その刹那。
(あの後、急に目の前が真っ暗になって――)
……はたして何となく憶えているのはそこまでで、そしてふと気がつけばかように白い部屋で眠りについていた、そういうわけだった。
つまりは、その間の記憶がまるでない。
ぽっかりと、遥かなる深淵のごとく。
そしてそれがなくなる前と後、そのどちらともにポールが傍にいたとなれば、そうした状況からしてほぼ確実に言えるのは……。
「え、ポール、まさか……?」
「どうしたの?」
「……あ、あなたが連れてきたの、ここへ?」
すなわち、答えは、あろうことかもはやそのたったひとつしかあり得るはずもないのだった。
「……」
瞬間、二人の間に走る、緊張と沈黙。
特にポールは、何か言い淀んでいるのかなかなか口を開こうとしない。その様子がいつもの快活な彼とは余りに違い過ぎて、ひょっとして別人物かと思ってしまったほどに。
むろんソフィーはソフィーでこの後どう言葉を継げばよいのか全く分からなかったのだが。
――かくてどうしようもなく時だけが過ぎ。それは数秒か、あるいは数分か。
少女はじりじりと、ただ答えが返って来るのをベッドの上で待ち続け。
「――そうさ」
そして、ようやくポールが語り出したのはそのしばし後のことだった。だがそれはやはり一見いつも通りの彼らしく穏やかで、静かで、しかし同時に、どことなく夢見がちで。
「僕が、この神殿へと君を運んだんだ、眠らせてから」
「! どうして、そんなことを?」
「だって」
そうして彼はそのどこか熱情的な眼差し少女へ向けたまま、次にはまるでそれが唯一の真実のごとく、ふいに語調強くして言い放っていたのである……。
「ロイドを捕えるには、君の力が絶対必要だから。――そう、あの子は、途轍もない罪を犯してしまったんだ。だから、教会の下でちゃんと償ってもらわなくてはならない。賢い君ならよく分かるだろ、ソフィー?」




