33.対決
「畜生、逃げやがったか!」
「だがどこへ?」
「とにかく虱潰しに探すぞ、まだこの辺りにいるはずだ!」
ガイサの家にノックもなく突然乱暴に押し入り、数十分の徹底的な家探しの後そこにはもう誰もいないことを悟った教会兵たちは、口々に罵りの言葉上げながらやがてその小さな小屋後にしていった。来た時と同様、いやそれ以上に荒々しさ感じられる引き際だ。むろん捜索の際壊したり倒したりした家具類は捨て置いたまま、弁償の意志などそもそもあるはずもなく、去った後は嵐通過後のごとき惨憺たる有様である。
すなわち後に残されたのは見るもの全て滅茶苦茶にされた、もう家としては成立しようがない光景だったのだから。今さら寝床を確保するのさえ難しいほどの。
かくてつかの間のはた迷惑な狂騒を置いて、再び静謐さ取り戻した室内――。もう兵たちが戻ってくることも、少なくとも今しばらくはないはずだ。むろん住人の方もいまだ姿見せず、はたして件のガイサたちが戻ってきたらこの状況にどんな感情抱くのか分かったものではない。
あるいは、これも予想通りの事態だったと嘆息零すのかもしれぬが。
――いずれにせよ、そうして嵐はひとまず去り、次いで何も起きようのない時間が戻ってくる。ただ、静かに経過していくだけの数分が。
その間も、窓からは昼の陽光輝かしく射しこみ。
それだけ見れば、単なるのどかな一情景。
教会兵たちの存在が残した暴力的な余韻も、幾分次第に薄れ始め……。
カチャリ。
――と、ふとした、その時だった。
部屋のどこかから、鍵が外されるような、軽やかな音がした。
だがそれは玄関の扉ではない。そこは兵士たちが出て行ったあと、ピクリともせずずっと閉ざされたままだ。しかも音は下、つまりは床の方から控えめに届いてくる。
今や箪笥や棚、食器などが乱雑にぶちまけられた、見るも無残な木製の家床。
そんな所から、しかし今まさに開かれるような気配がしたとすれば……。
「ふう、奴らやっと出て行ったか。……まったく、礼儀知らずにもほどがあるぜ」
そう、刹那、床の一部がカタっと方形に開かれ、そして間もなくしてその中の暗い地下室から、見覚えのある人影がそっと顔出してきたのである。
かくて大工のガイサは室内の状況じっくり検分しながら、同じように外へ出てきたロイドへ呼びかけていた。それは幾分諦めの籠もったような、気落ちした声音だった。
「居場所が分かっちまったか。しかしこりゃ当分ここには住めないな……。いや、それよりさっさと家を替えるか」
「すいません、僕なんかを匿ってしまったばかりに……」
「おっと、謝るのは絶対に無しだ。それよりも、奴らがまた戻って来る前に別の避難場所へ移動せねばならん」
だが彼自身ここでそんな悠長にため息吐いている場合ではないと気づいたのだろう、早くも自分よりさらに落胆した感のある少年へ発破をかける。実際今はまさしく緊急事態の真っただ中、それは間違いなく冷静で正しい判断といえた。
早速彼は窓から外の状況確かめ安全を確認、背後で青い顔しているロイドへ力強く手招きしていたのだから。
「おい、今が好機だ。早く出るぞ!」
そして次の瞬間には、さっとドアノブに手を掛け押し開き、
「何、下卑区にはいくらでも隠れ処がある。まだ大丈夫だっ」
そんな威勢の良い声とともに、身体の方も素早く扉を潜っており――。
「な、何?!」
だが、彼らがそうして急ぎ足で家の外へと出た刹那。
「……待っていたぞ」
――たちまちガイサの家の真向かいにある、似たような構えの家屋から一人の堂々たる巨漢が姿現してきて、一瞬の間に二人の前へ立ちはだかっていたのだった。
◇
ボルコフは愕然とするばかりのロイドたちを見ると、さも余裕ありげに長剣引き抜いた。青白く輝く特殊な金属だろうか、かなり鋭利な風だ。
その剣を威嚇するように掲げながら、至って威圧的な声で告げてくる。
「兵たちが去って安心したか? だが生憎だったな、お前らの策などお見通しだ。――さあ、ロイド・ラクティ、俺と一緒に神殿まで来てもらおう」
そしてそのまま、まずは少年の前に立つガイサへにじり寄り始めた執政。そのいかにも平静に見えながら実際は一つも隙の無い計算し尽くされた動作は、二人をして途端恐怖させるに十分過ぎるほどだった。
「ま、待て、そう簡単には……」
むろんだからといってガイサはガイサで、ならば仕方なしと簡単にロイド渡すわけにはいかなかったのだが。
「まずは、俺を倒してからだ!」
「ほう? たかが下卑風情が俺に立ち向かうのか? ふん、エーテルも使えないような奴に挑まれるとは、アーレムの執政もえらく舐められたものだ」
その証拠に短刀引き抜き決死の形相で構えた大工の男。だがボルコフはあくまで氷のように冷めきった視線で応じる。それはあたかも、取るに足らない虫を見つめる者の瞳の如く。それゆえ彼はすぐさま斬りかかることはせず、ただその男越しに後ろで怯えているロイド、じっと見据えた。
「そして後ろの子供はもう戦意喪失。――全く、楽な仕事だ」
そんな一言、知らず傲岸と呟きつつ。
はたして一歩ずつ、確実にガイサとの間合い詰めていくボルコフ。むろんそのあらゆるもの凍てつかせる魔剣の力もってすればそこまで近づかなくてもすぐさま余裕で始末できただろうが、要は力なき者痛ぶる気満々であったらしい。まさしく蛇の生殺しのごとく、それは完全な悪趣味の極みというやつであった。
「く……」
そして対する二人――特にガイサの方がもはや金縛りにあったかのごとく動けなくなっていたのは今さら言うまでもない。それくらい、強烈過ぎる威圧感が相手からは発されていたのだから。
畢竟、彼は短刀持って飛びかかることも出来ず、ただひたすらボルコフが近づいてくるのを待つのみ。おのずと身体が震え、全身おびただしい汗もかいている。もちろんロイド背後にしている手前逃げ出すわけにはいかなかったが、しかし何かきっかけがあればそうなってもおかしくないくらい、すなわちその表情へ現れた緊張感には甚だしいものがあったのである。
(まずい、このままだと……)
そうして、その目の前の状況はロイドをして深すぎる絶望の淵へとどこまでも叩き落とし、
(こうなったら、せめてガイサさんの命だけは)
……彼は次の瞬間、ある決意とともに小さくも一歩、前へ踏み出そうとしたのだった。
そう、ボルコフの元へこの身自ら差し出そうと。
それで人が一人助けられるなら、実に容易な行為であった以上。
しかもこの、取るに足らぬ錬金術師志望でしかないちっぽけな自分程度の身で――。
「ふ、ではせめて一撃で殺してやろう」
ボルコフは怯懦で身体震わすばかりの男を見て、どこまでも軽蔑的な笑み浮かべた。どうやらこの分なら、<力>を使うまでもない相手のようだ。もはや構えた短刀にも戦意まるで感じられなくなっている。
すなわちたったの一太刀で、勝敗ははや決定してしまうだろう。
確かに先日のボルグ戦を思えば、あくびの洩れるような仕事……。
「もう戦う意味もないとは思うが」
かくて剣の間合いに捉えんと、その足は段々距離を詰めて行き――。
対するは恐れのあまり、大きく眼見開かせた男。
短刀握る手もあからさまにわなわなと震え。
まるで狼に睨まれた小動物のように。
またその背後からロイドが、何か思いつめた顔で歩き出そうという素振りも見せていたが。
(ふ、何のつもりか知らんが)
そんなこと全く歯牙にもかけず余裕綽々、ただまずは立ちはだかる下卑の男から屠らんと、執政は剣持つ手に更なる力こめ――。
「!」
そしていよいよ、鋭き一刀のもとにガイサ斬りつけようとした、
――だが、まさにその瞬間。
「く、何者だ!」
ボルコフは突如右手から放たれた飛槍の如き青の光に研ぎ澄まされた反射神経で反応せざるを得ず、知らずその動きも直前で止められていたのだった。
◇
道の先、距離にしておよそ10マイス。
さほど幅のない路上の、その真ん中。
漆黒のマント、黒色の胴衣、橙色の腰帯、小豆色の脚絆。
両腕には手甲をつけた、それはまぎれもなくファイの姿だった。
煙るような紫の瞳持った錬金術師。
ボルグですら追い払える、エーテルの使い手。
そして何よりも――。
「貴様は――」
「また、会ったな」
「おのれ……」
はたして突然の、かつ異様なまでの存在感放つ闖入者登場にボルコフが知らず呆然と呟いた。いつしか標的たるロイドたちのこと見向きもしていなかったくらい、それは彼にとって強烈過ぎる衝撃であったようだ。
特に、すかさずその剣の切っ先、しかと相手へ向けざるを得なかったのを見れば。
(ファイさん……?)
そして突如として対峙し始めたその二人のただならぬ錬金術師は、ロイドにも我知らず驚愕の眼差し向けさせている。しかも今はあのボルグと遭遇した霧の朝、いやそれ以上に絶望的な危急時なのだ。おのずとファイへ向かって祈るような想い、ぶつけていたのも無理はない。そう、この状況を救ってくれるのは、もはや彼一人しか存在しないとばかりに。
いつしか人気の絶えた、貧民街の細路の上で。
かくて、そんな少年の前で両者の火花散らす睨み合いは瞬時続き。
「だが、これからが本当の勝負だ」
「な、何だと?!」
「え?」
――そしてそれゆえだろう。件のファイが突然手にした輝く正八面体の物質=エーテルを結晶化させた<賢者の石>高く天に掲げ何ごとか短く言い放つや、青年の全身が眩いばかりの青光で包みこまれていった時、ロイドにはまるでそれが自分の祈りついに届いたがゆえの奇跡的事象、まさしくそうとしか思えなかったのである。
すなわち、光おさまり数瞬後そこに忽然と出現したのは、再びの黒き鎧の戦士。
身体中を青く明滅する描線が奔り、手には恐ろしく切れ味鋭そうな剣握られた。
その無機質で不気味な偉容はまさに人外の存在=機械、を思わせ……。
「貴様、一体何者なんだ……」
そう、刹那、恐怖に耐え切れずボルコフがコールド・ブレイド握ったままそう呟いた時点で、怯えに満ちたその表情見るまでもなく、かくて勝敗の行方などもはや完全なまでに決まっていたのだから。




