21.機械の戦士(1)
粗悪な酒の匂いが、その広場ではまるで霧のように濃厚に漂っていた。
迷路のように複雑に入り組んだ路地のさらに先、下卑区の中でもかなり奥の方。
幾つも並んだ、大小様々な屋台。
吊るされた数々の得体の知れない獣肉。
でこぼこでまるで整備されていない、剥き出しの土の地面。
そしてそこを行き交う、男女問わずボロ服纏ったガラの悪い連中。
<裏の酒場>。
下卑区において、そこはそう昔から呼び習わされている場所である。
すなわち、飲食の場では確かにあるものの、しかし出てくるのは相当劣悪な料理と酒ばかりの、さらには市の許可も得ず勝手に営業している、無法極まる店々――。
むろんそれでも、いやむしろそれゆえにか、日々まともな働き口のない下卑の民にとっては実に貴重な憩いの場となっており、要は甚だしく低い質にさえ我慢すれば安い金でそれなりの満足得られる、確かに都市最下層には相応しい酒の店でもあるのだった。
「かあっ、こいつは効くぜ!」
――かように、今日の午後もそうした屋台の一つで、曇り空の下三人のまだ年若い男たちが声も大きく気ままに杯、交わし合っていたように。
「おおドギ、最初から飛ばすなあ」
「へへへ、何この程度、いくらでもいける」
「だがそれは相当強烈な火酒だぞ」
かくてそんな三人組の一人、頭の後ろで結んだ黒髪と広い額、ギョロリとした三白眼が特徴の男は、他の二人の言葉にも関わらず、目の前にあった酒を勢いよく一息で喉に流しこんでいった。灰服に白いケープ纏った、かなりずんぐりとした背も低いであろう体形だ。
またそのまま、続いては皿の上の塊肉へとすかさず手を伸ばしたのを見れば、相当な大食漢でもあるのだろう。
「――まったく、よく昼間からそんなに食えるぜ」
さも呆れて、隣の席に座る青色の長いジャケット姿でカマキリのように細い男――茶色い短髪に、細く青い眼、そして面長で尖った顎――が零したように。
「これから何があるか分からんからな。前もって食えるだけ喰うのが俺の主義だ。というかシャックス、お前も少しは腹に入れておけよ」
「……いや、俺はまだいい」
「マジか? それでよくあんな長い鞭操れるな」
対してずんぐりはずんぐりでこちらも相当呆れたような反応。
……もっとも、などと言いつつまた酒を図太くお代わりしたところ見れば、どうやらこの二人、まさに水と油の性質持つ者同士のようだった。
「だが、確かにドギの言う通りだ。ついに計画は動き始めたのだから」
そして、そんな凸凹コンビのやり取りを一番左の席から酒杯片手に静かに見守るのが誰かといえば、
「これからは、いつ、何が起きてもおかしくはないぞ。特にあの子が協力してくれるならば」
それは全身漆黒の衣装の若者、先ほどロイドを獣舎の中へと導いていた、あのキルヒト以外の何物でもない。
彼はあれから少年を下卑区の外まで送り届けると、すぐにまた自らの領域たるここへ戻り、すぐ二人の仲間――すなわち先日裏路地でファイを襲った鞭使いとブーメラン使い――と合流、次なる作戦会議、この店で酒宴伴い始めることと相成ったのだった。
しかもその中心となる議題は他でもない、件の神学院生ロイドについてであり。
「何より、もう十分手を打った上は」
瞬間、その黒曜石の瞳を鋭く、さらには妖しくも輝かせて。
「お前が霧の中見つけたロイド・ラクティか。だが本当に俺たちの言うことを聞いてくれるのか?」
するともう結構とばかりにずんぐりのドギから視線離し、カマキリ――鞭使いシャックスはキルヒトの方へと問いかけた。それはあからさまなまでに懐疑的な、まだ信用するには足りないと言っているに等しい言い方だった。
「確かにまだ確証はない。ボルグの秘密は教えてやったんだが」
「それだけじゃまだ足りない、と?」
「ああ、後一押しなんだ。後、ほんの少し」
対してキルヒトの方も、その言の通りさほど自信のない表情。酒の方も、先ほどからほとんど進んでいないのを見れば、よほどあの少年のことが気に掛かっているのだろう。
特に別れ際彼が見せた、さも怯えた顔色思い出せば。
「……だが、その一押しはちゃんと仕掛けたんだろ?」
そこで肉を運ぶ手を止めて、一番右からドギも話に入ってくる。
「まあな。偽造許可証も与えたし、だから、後は彼次第なんだ。ちゃんと俺の言った通りあそこへ行って、さらなる真実を知ってくるのかどうか……」
「うむ、あの子供にそんな度胸があるのかってわけか」
「何にせよ、母親に関することだ。気にはなると思うんだが」
「へ、あいつが協力しないってなら、他の手段を考えるまでだ。そんな深刻に考えなくても」
「だが、あの子は俺たちと同じ――」
と、そうして彼がシャックスの不敵な言に知らず異を唱えようとした、
――しかし、その時だった。
「キャアアアア!」
「!」
突如として彼らの話を中断させたのは、絹を裂くような女性の叫び声だった。
「な、何だ?!」
「向こうからだ!」
途端バッと席から立ち上がり、外の様子確かめるため後ろ振り返る三人。
卓の向こうでは呆然と突っ立った店の主人が怯えに満ちた表情露わにしていたが、そんなことにはまるでお構いなしに。
そうして彼らが見つめた、悲鳴の聞こえた方、幾つもの屋台店並ぶ広場の入口付近には――。
「な、何だと……?」
「まさか――」
「教会……兵」
そう、ズラリと並んだ白衣の兵士たちと、それを率いる巨漢の執政、ボルコフが傲然と、完全に逃げ道を塞いで立ちはだかっていたのである。




