18.使命
ポールは何とも怪訝かつ驚きの念抱いたまま、何も言えずその場に立ち尽くしていた。
そこは神学院の応接間、実に豪華な設えで彩られた一室だ。むろん掃除行き届いた床には塵一つ落ちていない。
まさに学院における来客専用室。洗練された調度品も一揃えとなり、特に重要な人物迎えるに相応しい設備といえよう。
そしてそんなげに厳かな部屋の中では、今まさに自分のことをある人物が笑み浮かべ待ち構えてもおり――。
「ふふ、よく来たね。さあ、座りな」
かくてその長い銀髪なびかせた女――アーレムの執政が一人たるパミラは、やや低い声音に蠱惑的な響き乗せ、訪れた少年へ向け大らかに宣ったのだった。
――それはまさしく突然のこと。
ポールが執政から呼ばれているという知らせが聖家区の自宅へもたらされたのは、昨日の一件のため学院が突如休みとなった、その日の朝のことだった。しかもご丁寧にも、緊急を要するゆえ必ずや来るように、との念押しつきで。
よほどの用事なのか、そうして急ぎ準備した後慌てて駆けつけ、教会兵たちまでもが門前に十数名集まる中、学院の門潜り抜け通されたのが、この応接間――。
平日の朝だというのに、誰一人姿のない学び舎の中。
まさにポールにとってそれは、めくるめくような、そして何一つ訳の分からない奇妙な事態だった。一体、執政の任にある者が自分と何の話があるというのか、身に覚えが一欠片もなかったのであるから。
むろん、ではだからといって彼に不審感露わな態度示すことなどできるはずもなく、そう、結局ポールは言われるがまま、あの時のロイドのように椅子に座すと正面から彼女の話伺うことと相成ったのだが。
しかも、実にしっかりとした礼儀正しい作法伴って。
「さて、話は他でもない」
かくてぐっと前へ身を乗り出してくると、パミラは瞳の色に妖しさ宿らせ告げた。その派手ないでたちもあり、市の有力者たる親に連れられ幾度か会ったことあるにも関わらず、しかしいまだとても慣れることのできない人物だ。
「あんたにちょっと協力してほしくてね」
だがむろん相手はそんな少年の内心など知ったことではない。当然ながら続けての言葉にも、あからさまな強気さが窺えたのだった。
「協力、僕にですか?」
「ああ、級友の一人について」
「級友?」
そうして唐突に告げられた、だがあまりにも意外な単語。一瞬、ポールは自分が聞き間違えたのかと思ったほどだ。そう、執政が自分のクラスメイトのことを訪ねるなど、教職でもあるまいしおよそあり得ないことだったのだから。
しかも、続けて彼女が言うには……。
「ロイドって子さ、あの灰色の髪をした。彼に関して、あんたの手が是非借りたいんだ」
「ロイド――?」
すなわちその一言はあまりに意外、というか衝撃的ですらあった。
教会の権力者とはおよそ一番縁遠そうな名前が、突然出てきたのである。
力はまだ弱いが、しかし才能は確かにあり、何より聖職者になっても何らおかしくない本当の優しさ持った、あのロイドの名が。
「えっと、ロイドが何か……」
「おっと、そんな心配はしなくていい。別にあの子が何か大層なことしでかしたわけじゃないんだ。ただ、どうしても気になることがあってね」
「……はい」
もちろんそう言われると言下に否定するのも憚られる。何よりも、一体彼女が自分に何をしてほしいのか、それがまだ皆目分からないというのが大きい。
そしてその疑問が思いきり顔に出てしまっていたのだろう、パミラはすかさず大きな瞳輝かせて、なだめるような口ぶりで話継いできたのである。
「だからそんな大したことじゃない。要は、少しあの子の動向探ってほしいってだけ。特に学院外の、見知らぬ人間と会っていたら。もちろん学院ではいつも通り普通に接しながらだよ」
「……見知らぬ、人間」
「そう、商人でも旅人でも、とにかくあんたが知らないような」
しかしそう告げられたところでそのどこか剣呑な内容は決してポールの好む事柄ではなかった。まるで密偵のような嫌な仕事と感じられたのだ。しかもあろうことか大事な友達に対しての。――だが同時に、教会に仕える者としての義務感がつと頭もたげてきたのも決して否定できない事実ではあった。すなわち、ついに自分が聖職を預かる人の手助けとなる時が来たのかもしれない、そんな敬虔な思いも抱き始めていたのだから。
(僕が、執政様のために、役立てる……こんな機会は)
当然ながら、逡巡する気持ちがいつしか胸の中芽生えてきている。
はたして友と信仰、どちらを取るべきなのか、という……。
「まあ、すぐにとは言わないよ。あんたがやる気になったその時でいい」
「あ、はい……」
「でも、教会のために働くんだ。決して悪い話じゃないと思うよ」
――するとその数秒後、ふいにポールの様子見つめていたパミラが、そんな相手の惑う心読んだかのように勢い落ち着けて宣ってきた。艶やかな笑みまで付け加えて。
「その気になったら、神殿まで使いを寄越しておくれよ」
そしてふっと、その表情が猫の目のようにまた違うものへと変わった。
「それにしてもあんた、ラファール家の跡取り息子だろ?」
「え? そうですが」
「教師からも聞いているよ、才能に恵まれた超秀才だって」
「そ、そんな」
そうして続けられたのは、さもポールの自尊心くすぐる言葉。一つ二つ大きくうなずきつつも、実に開けっ広げな称賛というやつだったのである。
「僕はただ普通の――」
少年が当然の如く慌てて首を横に振ったのには、まるで頓着することなく。
「いや、あんたは本当特別な存在だよ。それも教会の未来を背負うことできるような。ラファールもあんたみたいな跡取り持てて、羨ましいもんだ。それに――」
しかも外ではいまだ小雨しとしとと降り続く中、そんな甘い砂糖を乗せた言葉はしばし、止まることなく滔々と続いてゆき――。