14.堅信
遥かなる古代、ミデア人が語った神話にはこうある。
歴史以前、神はこの世界を創造した時、同時に生み出した森羅万象、ありとあらゆるものたちへ自らの息を吹きこんだ。
しかも生命非生命何ら分け隔てなく、祝福するように、と。
すなわち、それは悦ばしき力の分与。
比喩を超えた、世界内存在に対する至高にして限りなき愛。そして天上界とのまさしく微かなるも、いと堅固なる繋がり――。
それゆえ聖なる息吹は今も、この世界に遍く存在している。
エーテルと名を変えて、全ての対象、何一つ例外とすることなく。
人、虫、石、花、獣、木……。
まさにそれは無限のごとく、尽きることもない。
ただ神からの篤き恩恵が、明らかにそこへ示されているとばかりに、ひたすら悠久と輪廻を繰り返していくだけなのだ。
――エーテル。
万能にして燦然と輝く、不可知のエネルギー体。
それは揺るぎなき信仰心抱く者のみが唯一手に入れる可能性持った、そう、真に神聖なる光。
何よりあの畏怖すべき錬金術、あらゆる物質を支配する神秘の技がその聖光より生み出された、何一つ汚れのない……。
◇
体育場はパルメニス神学院の外側に設けられた、縦100マイス(メートル)、横60マイスほどの大きさ持った広場様の施設である。端の方に小さな建屋が一つぽつねんとあるきりの、要は整地された土の地面を、ぐるりと長方形の壁で囲った場所と思えば分かり易い。すなわち体操や徒競走、はては極めて実践的な格闘術から錬金術の源たるエーテル操作まで、身体を使う訓練には必ず使用される場なのだ。
とはいえ授業が全て終わった放課後、もはや家路に着く学生多い中、わざわざその体育場で汗を流す者など本来いるはずもなく、当然辺りは極めて寂しく閑散としている。従ってその時珍しくも隅っこの方から聞こえてきたその子供の掛け声はむしろより一層目立って響き、ゆえに誰かの耳を引きつけて仕方なかったのだった。
「あれ、ロイド……」
そう、たとえば偶然その近辺を通りかかっていた、金髪と緑瞳麗しい、一人の学生服着た少年のように。
ロイドは木製の台上に置かれた<的>を見つめると、何とか気を落ち着けるように大きく息を吐いた。
それは小さな四角錐――白色に輝くピラミッド状の物体だ。何の素材で作られているかは分からないが、どことなく金属的な光沢もある。
位置は少年の腰と同じ高さ、あくまで静かに鎮座し、だがまるで動かされるのを待っているかのような、不思議と集中力集めやすい存在感も同時に放っており。
「エル・アルセスト・ラウム!」
すなわち次の瞬間には、ロイドは右手よりその四角錐目掛け、緑色の閃光一気に解き放っていたのである。
まるで矢を思わせる、そう、規模では遥か劣るが以前ファイが見せた青光の槍と同じような。その瞳に常にはない真剣さ、ありありと漲らせて。
まごうかたなき、エーテルの光を。
刹那視界も、鮮やかな緑に強く彩られてゆき――。
「あ……」
……だがむろんそんな気迫にも関わらず、そう、彼が次に見たのは確かに狙い過たず光で直撃したものの、結局台から落とすことの叶わなかった、少し動いただけの的なのであった。
(何で、力がまだ足りないのかな……?)
そのすぐ後、台を前にして畢竟これでもう何度目かの物思いに沈むロイドの姿があった。
もちろん、それはいつも通りのこと。
確かにエーテルは取り出し放つことも出来るが、しかし余りに力が弱すぎる……。
何とももどかしい、まさに一向に答えが見つからない模索状態というやつだ。
何より、真理値が示す通り自分の中に確かに存在感じ取られるそれを、どうしてもうまく全解放できないのだから。
学院の授業や教科書で学んだ知識、出来うる限り総動員しているというのに。
自ずと湧き上がってくる焦りの心。
はたして、もう五年生のロイドにとっては、そろそろ錬金術師になれるかどうかという人生の岐路がもう間近まで迫っており――。
「ロイド、居残りかい?」
「!」
と、そうして洩れ出てくる深いため息止められず、さらに気が落ちこんでいく一方となった、その時だった。
「フフ、熱心だね、相変わらず」
彼は背後より、自分の名を呼ぶ涼やかな声を聞いたのだった。
◇
そこにいたのは同級生のポールだった。
相変わらず眩しい金髪ときりりと高い鼻梁が美しい、端正な顔立ちした美少年だ。しかもその面に、爽やかで可憐な笑顔現わして。
むろん、彼も聖家区にある自宅へ帰る途中だったのだろう。その手には鞄が下げられ、もう今日は休めるという隠しようのない解放感がそこからは漂っていた。
ポール・ラファール。
5年の、いや学年全体で見ても間違いなくトップクラスに入る優等生。しかも頭が良いだけではなく、運動神経にも優れ、何よりエーテルの扱いに飛び抜けて卓越している。当然ながらロイドとはあらゆる面で対照的な学生だが、しかし同時に優しく面倒見の良い性格でもあり、困った生徒がいると必ず声を掛けてくれるという思いやりも持っていた。そう、先日ロイドがイザークと揉めていた時、すかさず止めに入ってきたように。
要するにポールは家柄も良い、何もかも完璧なエリート候補生であり、まだ5年生の身でありながら、将来優秀な錬金術師となるのはほぼ確実と言われていたのだ。
常に気さくに話しかけてくれるというのに、ロイドがいつも彼を前にするとなぜか気おくれしてしまうのは、それゆえむしろ仕方のないことと言えよう。
今も突然声を掛けられて、思わず慌てた反応返してしまっていたのだから。
同時にそっと、背後にある四角錐視線から隠すようにして。
「基本のエーテル照射か。なるほど、解放は出来ているようだけど」
だが、同級生越しに目敏く的が動いていないことを逃さず見て取ると、ポールは優しい笑み浮かべたまま次にはそう言葉継いできたのだった。
嫌味でも皮肉でもない、まさに率直な意見というやつだ。しかも紛れもなく、ロイドのことを心から気に掛けている。ゆえに対する、最初マズい所を見られたと逡巡した少年としても、結局すぐ彼に素直な言葉返していたのは当然のことだった。
「……うん。何だかどうしても動いてくれないんだ。エーテルは当たっているのに」
「聖句は淀みなく言えているよね?」
「もちろん。それも大きな声で」
そうしていつしかエーテルに関する基本的な問答が人気のない体育場で始まったが、もちろんその構図はいつも通り教えるポールと教わるロイド、というものだったのである。
「だとすると、後は同期、だな」
「同期?」
「自らの裡にあるエーテルをしっかり感じ取り、それをイメージ化、自分の物とすることさ。そうして心の目でちゃんと確かめられれば、エーテルの完璧な操作まではもう後一歩だ。つまりは、賢者の石の作成までは」
「へえ……」
むろんポールはそう解説するも、だからと言ってすぐさま実践できればそもそも苦労などしていない。当然ながらそれは相手も重々承知のはずで、はたしてにっこりと笑み示すと、なだめるように結局最後は締め括ったのだ。
「まあ、何にしても大事なのは自分のペースと方法だ。エーテルを極める一番近い道は、自分と合ったやり方を早く取り入れること。とにかくそれまでは時間がかかるけど、得てしまえば後は上達もすぐなんだから」
――そう、それこそが、まごうかたなき錬金術会得へと至る道だったのだから。
◇
……かくてそれから3分の1刻(1時間)ほど、雲一つなき夏空の下彼らの密やかな訓練は熱心に続き。
「ハアッ、ハアッ……」
かなりの精神力使ったロイドは、もう限界と地面の上に腰を下ろし荒い息繰り返していた。まさしく全身汗まみれの、疲労困憊状態だ。やはり、エーテルを使いこなすということは並大抵の技ではないのだろう。
「ふう、よく頑張ったね。やっと的を落とすこともできたし」
もっとも、立ったまま相手を見下ろすポールの方は、付き合ってくれたにも関わらず軽く息乱す程度で汗ほとんどかいていなかったのだが。
「う、うん。初めてかもしれない、こんなに弾き飛ばせたのは」
「アスリウムの的は正確にエーテル力を表わすからね。これでロイドはもう初級クラス卒業さ」
「……まだ初級なのか」
はたしてそんな優等生の言に、結局また肩を落とさざるを得ない少年。そう、いくら進歩が見られたとはいえ、これはまだ序の口中の序の口。これからの険しい道のりを思うと、どうしても深いため息ひとつ吐きたくなる……。
「大丈夫。何事も最初は小さな一歩から。とにかく焦るのが一番の大敵なんだから」
だがポールは変わらぬ穏やかさで優しくなぐさめると、さっとロイドへその手伸ばしてきたのだった。
「さあ、そろそろ帰ろう。さすがに寮の人たちが心配するよ?」
そんな気遣いの言葉放つとともに。
「うん……」
むろんロイドはすぐその手掴もうとしたものの、しかし寸前、思いとどまったように腕が止まる。しかも何か思いつめた顔まで示して来たので、ポールとしてはつと不思議そうな顔とならざるをえない。
当然ながら彼は僅かに首傾げながら、それでもそっと物問うていた。
「どうしたの、どこか怪我でもした?」
「い、いや、そうじゃないよ。ただ、ポールに一つ聞きたいことがあって。もちろんエーテルのこと以外で」
「エーテル以外?」
そうして返ってきたのは、いかにも神妙な顔したロイドからの問い。彼にしては珍しいほどの、何かありげな雰囲気だ。
ポールが知らずまた質問したのは言うまでもなかった。
「何だい? それって」
「その、ポールは優等生だからもう決まっていると思うんだけど、要は進路のことさ」
「進路……」
「錬金術師となるのは確実だろうけど、一体どこに仕えるつもりなのかって」
そして置かれる、一拍ほどの間。
――それはまさにこの年頃の神学生なら必ず抱く疑問だった。
すなわち、パルメニス神学院は錬金術師となるための養成施設だが、しかし皆が皆その憧れの的となれるわけではなく、中には当然落ちこぼれも出てくる。またたとえ卒業して晴れて錬金術師となれても、その先の道が一つということは決してない。特に最高級のエリートたる教会に行ける者はほんの一握りに過ぎず、残りの大多数は貴族や大商人に仕えるなど、他の選択肢を必然的に選ぶこととなるのだ。
そう、齢14にして、既に弱肉強食の容赦ない競争は始まっている。
もはや逃れる術どこにもなき、切磋琢磨という名の残り僅かな戦いの日々。
要はそれが、ロイドたちを今まさに取り巻いている状況というやつだった。
「そうか、進路か」
そんな友人の素朴な問いに、やがてポールが静かに言う。気づけばその瞳に明々と情熱の火灯して。ロイドが果たしてそれに気づいたかどうかは定かでないが。
「もちろん決まっているよ。そう、僕には一つしか道はない」
「へえ、そうなんだ……」
「僕は必ず教会に仕える錬金術師となる。そして、天使様の近くで、自分の身も心も全て捧げるんだ。何があろうと、絶対に」
そして次に放たれたのは、どこまでも真剣で、そして信仰心に溢れた言葉。ロイドが今まで、学院の内外問わず誰からも耳にしたことのないような。
何よりもその瞳はうっとりと、そう、目の前に限りなき憧憬寄せる機密錬金術師がいるかのように美しく、かつ強く輝き――。
「そのために、僕はこの世に生を受けたんだから」
最後に彼は、艶然たる笑み、ポカンとするロイドへ示していたのである。