10.教会からの使い(1)
……だが、結局ロイドのそんな儚い願いは、違う理由で叶わないこととなった。
「ロイド、ちょっといいか」
クレオナの小屋で休憩後とりあえず様子を見に教室へ戻ると、そこにいた教師のマイヤーが妙に緊張した面持ちで話しかけてきたのだ。おまけにそれは彼のみならず席に着いていた他の生徒たちも同様。加えてイザークなどは、なぜか怯えたような面持ちまで見せていたほどである。
結果ロイドが、そして一緒に来たソフィーも刹那知らず怪訝な表情示してしまったのは、状況からしてしごく当然のことなのだった。
「あの、どうしたんです……?」
「君に来客だ。急ぎ応接間へ行きたまえ」
「来客?」
むろんそうしてロイドの目が白黒していたとしても、対する黒髪に白いもの混じった教師がいささかなりと配慮見せる気配はない。彼はむしろロイド急き立てるかのように、その語調より強くさえしてきたのだから。
「とにかく急ぐんだ! ご客人は首を長くして君を待っておられる!」
そう、今にもロイドの身体外へ押し出すかのごとき凄い勢い、まざまざと現わして。
◇
応接間は神学院でも日当たりの良い場所にあった。
それなりに広さ持った室内はむろん掃除がどこまでも行き届き、そんな絨毯敷かれた綺麗な床の上には長方形の卓を挟んで、背もたれ付きの豪勢な椅子が向かい合って二脚ずつ置かれている。ご丁寧にも鮮やかなタペストリーまで掛かっており、さすがは来客用に設えられた場所といえた。
とはいえもちろんただの一学生に過ぎないロイドにとってはまず入る機会のない無関係の部屋でしかなく、彼は教師に言われるまま辿り着くや、途端ただならぬ緊張感で心臓の音激しくせざるを得ない。そうして中に入っても相手からお声が掛かるまで、結局これから罰を言い渡される者のようにただ立ち尽くしていたのだ。
「お、来た来た。早く座りなよ」
すなわち何とも気安いというか緊張感のない、その女の声を聞くまでは。
「――あんたがロイド・ラクティだね。だからそんなに固くなる必要ないよ」
と。
むろん、言われた通り椅子に座したロイドが正対したのは、全く見たこともない人物だった。
銀髪がまずは目を引くが、それは腰まで届くかなり長いものだ。悪戯っぽく、またどこか妖艶な赤瞳と合わせ、まだ子供と言ってもいいロイドにとってはいささか刺激が強すぎるくらい。しかも着ている服に至っては、もはや蠱惑的ともいえる、目のやり場に困る深紅鮮やかなドレス――。
少年が知らずまごついた態度取ってしまっていたのも、まさにむべなるかな、というものでしかなかった。
「ハハ、授業中だったかしら? 忙しいところ悪かったね」
「あ、いえ、大丈夫です……」
「少し時間を取らせてもらうよ」
とはいえ相手はそんなロイドの内心まるで慮ることなくやはり軽めに告げてくる。その軽薄な様や身なりからするに、酒場で働いている踊り子か何かなのだろうか、しかしだとすればなぜ自分なんかに用が……などと少年はますます怪訝さと警戒心ないまぜになった気持ち、瞬間抱いてしまった。
「おっと、自己紹介がまだだったね。あたしはパミラ、導師シメオン猊下に仕えている、執政の一人さ」
「!」
――だが、そこで突如女が述べた言葉が、ロイドをして途端いたく隠れなき驚愕覚えさせていたのだった。
導師に仕える執政――すなわちそれは、このアーレム市において紛れもなく上から二番目に当たる役職である。つまりは錬金術師としても相当抜きん出た実力持った、政治力のみならず戦闘力においてもげに凄まじき存在。何より外部との戦争などが起これば、教会軍率いて指揮する立場にある……。
「執政……様?」
はたして当然ながら、ロイドの応じた声はいつしかあからさまに震え隠せなくなっている。先程までの訝しさが嘘のような、それはまさしく畏敬の念というやつだった。
「ハハハ、だから緊張する必要はないよ。用事は本当に簡単なものでしかないんだから」
対して相変わらず口調も態度も変わらないパミラ。相手が子供だから、というわけではなく、それが彼女の誰にでも基本的に見せる姿なのはまず想像に難くない。性格上フレンドリーというべきか、または無頓着というべきか。
「用事……ぼ、僕にですか?」
「そう。ちょっと聞きたいことがあってね……」
そうしてロイドがあまりのことに驚きと戸惑いに包まれたままそう質問すると、ふいにパミラはぐっと身体を卓の上、前へ乗り出し、その猫のごとき瞳一瞬妖しく細めてきたのだった。
「二日前の朝、あんたをボルグから救った、ある錬金術師について」
「え……?」
「報告にはなかったけど、あの場には錬金術師が絶対にいたはず。かなりの量のエーテル、神殿で確かに感じ取ったからね。そして他に確認できる存在といえばロイド、あんたとボルグだけ――こうなると、答えはたった一つしかない」
そんなにじり寄りは、はたしてロイドを思わず怯えさせる。
むろん相手の迫力がにわか増したことに驚いたからでもあるが、その大半を占めたのはやはりあの紫瞳の青年――ファイが瞬間はっきりと脳裡を過ったからだ。
どこから来たとも知れぬ、異国生まれの錬金術師。何より確かにあの日、ロイドの絶体絶命の窮地を鮮やかに救ってくれた……。
「いえ、僕には分かりませんが……、そんな人、見たこともありません」
従って次には何とか動揺悟られぬように努めながら、彼としてもそう慎重に答えるしか術はなかった。特に相手がアーレムを管理する導師の右腕とくれば、迂闊なことは口にしないのが一番の選択、とにかくファイのことはあくまで隠し通すのが上策というものだろう――。
「あの日は霧が凄く深かったので」
「ふうん、そう。それでボルグのことだけ警吏に伝えたわけか」
するとその回答をどう捉えたか、パミラは一瞬だけ妙な間を置いたものの、むろん様相変わらぬまますぐに小さくうなずいていた。傍目からは納得の度合いを全く推し量れぬ、どうとでも取れる風だ。
ゆえにその平静さはかえってロイドをしてかなり不安な感むくむくと湧き上がらせてもいたのだが。
しかし。
「――分かった。そういうことなら、もういいよ」
しばしの後、唐突に、そしてあっさりとパミラは話し合いの打ち切り告げてきたのだった。
「え、あ、はい……」
「会ってもない子にいくら聞いたって、得られるものは何もないからね」
それもやけに穏やかな笑み、その妖艶な赤い唇の端へそっと霞のように乗せて。
もちろん少し呆気に取られた少年だったが、しかしまさかわざわざ本当ですかと問い返すわけにもいかず、またパミラも目顔で示して来たので、彼は一礼すると緊張した面残し椅子から立ち上がった。そしてそのまま、特に言い残したこともないのでくるりと背後へ振り返ろうとする。
「おっと、最後に一つだけ」
――だが、その時、ふと何かを思い出したように銀髪の女が口を開いた。
ようやく外へ出られると安堵したロイドに生じた一瞬の隙を突いたかのような、絶妙なタイミングで。
「は、はい」
「ロイド。あんたの父親は確かアベル・ラクティだったね? あの将来を嘱望されていた錬金術師の」
「……そうですが」
「それで、ちなみに母親の名前は何て言うんだっけ? いや、嫌なことを聞くようで悪いが、一応気になったものでね」
「母さん、ですか?」
その問いは確かにあまり良い印象を受けるものではなかったが、しかし父の名前が出た時点で当然予想されたものでもあり、またパミラも決して自分の母の出自を軽蔑する風は見えなかったので、結局僅かの間の後、ロイドは素直に答えた。もちろんそれはその名にさほど重要性があるとは露ほども思っていない口ぶりだった。
「……カテリナです。もう亡くなっていますが」
「そう、確かアベルよりも先に、だったか。いずれにしてもその年で両親を亡くしたなんて、運命とはあまりに非情なもんさ……」
一方応じた言葉とは裏腹にやけに軽々しい様子のパミラ。だがだとしても単なる不遜や礼儀知らずとは微妙に違う感じもして、要するに全体的に見て妙に捉えどころのない不思議な人物である。しかもこれがまごうかたなき導師の右腕だとは……。
そうしてしばし顎に手を当て、珍しく物思いに沈んだような素振り見せると、
「まあいい。さあ、これで話は全部終わりだよ。早く帰りな」
いずれにせよそんな彼女は一人納得したように再び、しかし今度は深くうなずくや、そして今度は本当に用事が済んだ、その証しとばかりににっと魅惑的な笑み、ロイドへふと示していたのである。




