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破戒の騎士 ー白銀の光と黒鉄の剣ー  作者: 水落 舜
第一章 忍び寄る影
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1.プロローグ 霧の中の邂逅

 辺りを包むどこまでも深く分厚い朝霧が、その忍び寄る気配を寸前まで覆い隠していたのだろう。

 

 「え……?」


 瞬間視界のほとんど利かない広場を進んでいたロイドが目にしたのは、まさしく灰色の幕の中からのっそりと前に現れた、二足歩行するトカゲにも似た恐るべき魔獣の巨躯だった。

 全身は緑色した鎧の如き厳めしくゴツゴツした表皮で覆われ、筋肉で盛り上がった腕と脚が荒々しい。そして少年の頭よりも遥かな高みから、黄色い輝き放つギョロリとした双眸が傲岸かつ不気味に見下ろしている。

 知らず、その偉容にランタン持ったまま呆然としてしまったのも当然の反応だった。

 むろんアーレムの市民ながら今までほとんど直に見る機会なかったが、しかし巷に流れている噂通りの迫力だ。

 すなわちそれはこの街を守るべく錬金術の秘法で生み出された、戦うことしか知らぬ人工の怪物。どんな強い敵を前にしても、決して退くことも怯えることもない、狂戦士にも比肩すべき獰猛さ。何より見ただけではっきりと分かる、人間などとは比較するべくもないその圧倒的戦闘力。

 ――ボルグ。

 それが究極戦闘生物たる、そいつの種族名だった。


 (でも、何でこんな所に?)


 だが、そうして湧き上がる恐怖とともに相手の正体しかと悟っても、ロイドはどうしてもそう心の内で疑問呟かざるをえない。

 そう、街を守るという任務与えられたボルグたちは市街地の中でも一番外側、<下卑区>の専用施設に基本皆集められており、そこから出て町中へ入るなど絶対にありえなかったのだ。もちろん市民にとっても獰猛な兵士たるボルグがあまりに危険すぎる存在だから、であるのは言うまでもない。

 すなわち本来ならば、特にこんな場所――アーレム市の中でもエリート階級たちが住まう<貴種区>――では遭遇するはずもない、人の手によって造られし魔獣……。


 「グオウッ」

 「わっ」


 だというのに否定しようのない現実としてそいつは厳然と目の前に立ちはだかっている。しかも数瞬の静かな睨み合いの後、いよいよさらに少年との距離を詰めようとゆっくり足まで踏み出させて。

 何より憎らしげにもそれはまるで相手の怯えを存分に堪能するがごとき、実に余裕ありげな動作だったのだ。


 (しまった……)


 当然ロイドとしてもこうなる前に遭遇後すぐ何らかの行動起こしてしかるべきだったのだが、しかし突発的事態に対する驚愕の方があまりに大きすぎたということなのだろう。棒立ちのまま、彼はその時になってようやく自分がいかに危険な状態に陥っているかをはっきり実感した。

 そうハッとさせるくらい、今まさに怪物は獲物を捕らえんと最接近しつつあったのだから。

 姿を獣じみた体臭が漂ってくるほど間近へ置き、もう逃げ出す暇さえほとんどないくらいに。


 (そ、そんな――)


 途端眼光ギラリ光らせ伸ばされてくる、ボルグの丸太のような太き右腕。

 間違いなく、人の頭程度ならば簡単に握り潰せそうな凄まじい力感の。その一掴み受けた瞬間が自分の最期となっても、何らおかしくはないくらい。ましてや闘争心旺盛な怪物が子供相手だからといささかも容赦するはずなく……。

 そうして当然ロイドはその人間離れした剛腕我知らず見開いた青瞳で直視すると、


(殺される……!)


 数瞬後の悲惨な未来がしかと予感され、時置かずして霧の広場のまっただ中背後へよろけるとともに、正真正銘絶望で彩られた面現わしていたのである。

 まだ年若い身ながら、本当の恐怖もう味わい尽くしたとでもいうように。

 ――すなわちこれが、人生最後の記憶になるのかと。


 そして。



 「グルオオオウ!」


 それは、あからさまなまでの苦痛で全音塗れた、まさに苦鳴としか表現しようのない凄惨極まる響き。

 むしろ聞いた方が、思わずぞっと怖気催してしまったような。

 周囲の深々とした濃霧さえ、たちまち震わせて。


 そう、はたして決定事項のごとく辺りへそんなげに凄まじき絶叫轟き渡っていたのは、聞き耳立てるまでもなく、それから僅か数秒後のことだったのである。


 ……突如霧を貫いて、どこかからその青く鋭い光線燦然と発された中。


                  ◇


 ――刹那、ロイドは余りの驚愕に目を丸くしていた。

 それくらい、目の前で起きたのは何とも予想外過ぎる現象だった。


 「光?」


 そう、魔獣の餌食となる直前突如として彼の背後から強い青光が放たれ、一本の槍の如きそれはボルグをまっすぐ射抜いていたのだ。そして叫声狂おしく上げたのはむろん魔獣の方。しかも途端激しく身悶えまでし始めている。

 もちろん謎めいた光で相手がただならぬダメージ受けたのは確実すぎるほどだ。

そして当然ながら、瞬間繰り広げられた何とも形容し難きその異常事態にロイドはしばし呆然とするばかりだった。

 すなわち逃げるにはこれ以上ない絶好の好機だったというのに、かえって知らず身体が金縛り的に硬直してしまっていたほどに。何より今は驚きで冷静にほとんどうまく考えることすらできず――。


 「!」


 と、そんな大いなる惑乱に包まれていた、その時。


 「笛……?」


 ボルグからは明らかに離れた場所、いずれにせよ静けさの中瞬間どこかで鳴り響いたか細く高い音が、少年の耳をハッとそばだたせた。

 むろん周りは相変わらず濃い霧の支配する世界。誰の姿も確認できない。

 そうした中確かにふいに耳へと入ってきたどことなく哀切で、かつ朧げな、だが明らかに笛の音とも思われる響き。

 むしろそれがすぐさま消え去ってしまわなかったのが不思議なくらいの――。

 

 「何で、一体どこから?」


 かくてそれからもなお、戸惑う少年よそに密やかながら10秒ほどその奏者分からぬ不可思議な演奏は続いていたのだが。


 「グルル……」


 ……やがてそれに対する反応らしく、突然目の前のボルグはいまだ苦しげながら鳴き声上げた。加えてもう指呼の間にある獲物の方に対してはもはやひと時も目をやることがない。他の何かがよほど気になるのか見開いた眼を数瞬しばたたかせつつしばし周囲見回すと、やがて躰の向きさえ疾くあさっての方向へ変えてしまう。


 「アッ」


 そうして次の瞬間、見る間にパッと太い脚で駆け出し、あっさり霧に隠された奥の方、灰色濃いどこかへと一気に巨体隠し去って行ってしまったのだ。

 むろん後には、ただポカンとするばかりだったひ弱げな少年を一人だけ取り残して。


 「どうしたん……だ?」


 その声に言うまでもなく隠しようのない訝しさと混乱、満々と湛えさせたまま。


 「!」


 そんな訳の分からない突発的事態にただ立ち尽くすばかりだった少年。だが彼はふいに背後から確かな気配を感じた。

 直に見ずとも分かる、間違いなくそれは人のもの。

 むろん状況が状況なだけにその相手も慌てていておかしくないはずだが、しかしそれにしては騒ぐなどそこまでの緊迫感伝わってこない風もある。自分とは比べ物にならない、侮り難き経験値持っているかのような。

 いずれにせよ突然背後に立ったその人影に、ロイドが知らず慌てて振り返ったのは言うまでもなかった。


 「……何をしている。まだ油断するには早い」


 そして驚きと安心のない交ぜとなった思いで見つめたその先には――。


 「今は霧が濃すぎる。この光も完璧に効いたわけじゃないんだ」


 予想通り一人の若者、それも静かな様相持つ、短めの銀髪に燻るような紫瞳した美しい青年がすっと立っていたのである。


 「あなたは……」

 「名乗り合いなど今はどうでもいい。とにかく警戒は怠るな」

 「え?」


 だがそうして彼は素っ気なく言うと、そのまま少年から視線外し、魔獣の去った霧の彼方見つめる。その細めの体躯には似合わぬ、存外に力強い眼光で。


 「で、でもボルグに一体何が……」

 「エーテルの光を喰らわせた。そしてあの様子なら、間もなく下へ逃げ出すはず。だからそれまでは余計な動きをするな。かえって刺激して危険だ」

 「は、はい」


 むろんボルグのこと良く知らぬロイドとしては、緊急事態ゆえその見知らぬ青年放った言葉のまま今はただ従うしかない。いずれにせよ、自分としては現状何をしていいのかまったく分からなかったのだから。

 畢竟(ひっきょう)、謎の青年に言われるまま慎重な素振りでじっと周囲の様子観察し始めたロイド。むろん、だからといって灰壁のごとき濃霧の中ではもはやあの巨体確認する術などなかった。鳴き声さえも今はまるで届いてこない。

 そう、どう考えても、この目の前の青年が光の槍で追い払ってしまったのだ。

 それも<エーテル>の持つ神秘的な力によって、鮮やかと。

 ――そしてそれゆえだろう。


 「あ、まさか、あなたは――」


 その突然の到来者が当然のごとく少年をしてハッとある記憶呼び覚まし、疾く次の刹那真剣極まる質問までさせていたとしても、そこに何ら訝しむ点などありはしなかったのだった。


 「錬金術師、なのですか?」


 ……そう、その畏怖で完全に満ち満ちた、たった一つだけの問いを。

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