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「ワインを制する者は宮廷を制す」

 後世、物質豊かな時代においては一笑に付される文句だ。

 けれど、少なくとも、当時の貿易大国ラコルデールでは実際に起きたことだ。


 酒は、限られた選択肢のうち嗜好品というよりも生活になくてはならないものとして位置づけられている。古には、給与として神官に酒が下げ渡されることもあったという。

 そんな酒の中でもワインは洗練されたものとして認識されていた。


 ラコルデールではコンテ・ワインにあらずば特級品ではないとまで認識された時代もあった。

 コンテ・ワインは文字通り伯爵領で造られるワインであったが、その領地はラコルデールとは別国にあり、そこから輸入したものだった。ラコルデールではワイン醸造には土壌や気候が適さないため、輸入に頼っている。


 社交界において客を楽しませる饗宴。

 多種多様な食材を用い、料理の種類も多い。

 とある晩餐で供されたのは、ポタージュ四種、ルルヴェ四種、アントレ十二種、肉と魚料理四種、アントルメ八種である。肉と魚料理と言っても、その前に供されるアントレにも肉も魚も使われる。


 ワインは供される料理とマッチングし、饗宴を彩るのに必要不可欠なものだった。美味しい食事に旨い酒は古来よりつきものだ。特に、文化が花開こうとしている今、珍しいものや一級品を手に入れたがった。

 どれほど良質なワインを用意するか、飲むことができるかに貴族や富裕層は血道を上げた。


 ラコルデールの宮廷で催されたその饗宴で出されたワインが好評を博した。

「タンニンは強いもののやや丸みを帯びている」

「凝縮した果実感にこれは……スパイシーさがかすかに加わっているな」

「複雑なワインを構成している」

 この構成力が大きくタンニンが強いからこそしっかりとしたボディを持つワインは丸身を帯びているため、料理のパートナーとなり得た。特に、肉料理を好む宮廷では、口の中に残った濃厚な脂にワインが負けず、そして勝つこともなく、調和が取れた。

 食べ物を口の中にいれたままワインを飲むことは作法(マナー)違反だとされた。だから、嚥下したあとの調和が重要視される。

 タンニンの渋味に動物性脂肪が混ざると甘味に転換される。しっかりしたワインは宮廷料理に堂々と渡り合える逸品だ。


 贅を凝らした食事に寄り添い、心地よい酩酊をもたらすワインに、招待客はしばし会話を忘れて夢中になった。

 宮廷にどこのワインかと問い合わせが殺到した。ワインを提供した王室は鼻高々で応える。

 コンテ(伯爵)・ワインだと。


 実は、そのワインは国王の寵愛を受ける愛人が推挙した。彼女の言う通り料理長の作る料理ともとても相性が良く、採用された。この裏には、国王の愛人におもねる一派と愛人の存在が面白くない王妃との一派とで複雑な人間関係が渦巻いていた。

 けれど、コンテ・ワインはそれらを一変させた。

 予想以上に多くの者たちが求めたことから、どちらがそれを手に入れるか、ということに戦いの場は移ったのだ。


 そして人気ぶりから、一時的な品薄は当然予想された。王室からすれば、愛人派、王妃派の区別なく、まず、貴族たちよりも早く量を抑えておきたい。

 ところが、買い付けしようとした際、横やりが入った。


「またベクレルか!」

 単なる商人一族に過ぎないというのに、以前からなにかとラコルデールの商取引きを邪魔する度し難い者たちだ。

 よりにもよって、こんなときに。王室の威信をかけて、貴族連中よりも先んじる必要があるというのに。


「豪商がなんだ。こっちは貿易大国だぞ!」

「しかも、レイモン・ベクレルだと?!」

 いかんともしがたい一族のうち、最もいけすかない男が大量注文すると言い出したのだ。

 今までの鬱憤が後押しし、ラコルデールは躍起になってコンテ・ワインをなんとしてでも一手に買い付けようとした。

 こうして、一国と一豪商のワインの購入権争いが勃発した。

 最初はどちらがより多くを購入するかと競い合っていたが、最終的にはその年のカディオ・コンテ・ワインすべてをかけての戦いにまでなっていた。


 愛人派と王妃派に二分化された王室内では冷静な判断をすることができないでいた。情報収集を怠り、拙速となった。

 所詮はどこぞの田舎貴族よとばかりに、金で解決できるものと頭から信じ込んでいた。

 貿易大国の威信をかけ、ラコルデールは金貨を積み上げた。

「なんなら、希少な香辛料をつけても良い」

 醸造主である伯爵の係累という貴族の少年にそう囁きもした。田舎貴族のそのまた子供だから、大国の役人が要求すれば簡単に応じると思っていた。

 ところがである。

 そこまでしたというのに、レイモン・ベクレルがその年のカディオ・ワイン購入を独占したという。


「なぜだ?!」

 ラコルデール側が詰め寄った十代前半の少年は妙に落ち着き払って言った。

「レイモン氏は我がカディオ家に船会社と船を下さるとおっしゃったからです」

 カディオ家では一級河川であるアシャール運河に繋がる水路が今にも完成しようというところだという。

 金茶色の髪の下から覗く濃い緑の瞳は活き活きとしており、ラコルデールの資材調達の役人に対してもまったく物おじしないで理路整然と述べた。

「カディオ家が真実必要としているものを、レイモン氏は用意して下さるというのです」

 船大工と船員もつけようという。香辛料を付加しようと言ったラコルデールとはまったく違う方向性の提案だ。しかし、カディオ家はそれこそを欲しているのだという。


 ラコルデールは切歯扼腕した。それこそ、歯や腕が砕けるほど、悔しがった。

 貿易大国であるのだから、ラコルデールには優れた造船技術や優秀な人員がある。カディオ家の要求を満たすものを有しているというのに、それを提示することができなかった。結果、あのレイモン・ベクレルに敗れることとなったのだ。


「次の年だ! レイモン・ベクレルは一年独占契約を得ただけだ!」

「そうだ。次の年は我らが手に入れれば良い」

「豪商とはいえ、目先のことしか見えておらんのだ。あのワインのポテンシャルに気づいていない。実績がないから、来年の出来は確約されないと判断したのだろう」

 ならば、次の年の契約をこちらが事前に締結すれば良い。なんなら、その次もまたその次の年の分も。

 こちらが買い占めて、いざレイモン・ベクレルが手に入れようとしたときは、思う通りにいかなくて吠え面かくのだ。想像するだけで胸がすく。

 ラコルデールはそう、負け犬の遠吠えをしたという。自身たちこそが吠えるしかなかったというのに気づかないまま。





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