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カディオ家の優秀な使用人たちが総力を挙げて調べ上げたところ、ラコスト侯爵令嬢オレリアの境遇は悲惨なものであることが判明した。
端的に言えば、オレリアはラコスト侯爵の庶子である。
当主が使用人に手をつけてできた子だ。侯爵家において、オレリアは侯爵夫人からいびられ、その子供たちからいじめられた。
「オレリア嬢は実母さまとはほとんど接する機会がないようです」
学院は基本的に寮生活を送る。オレリアは学院に入学して、ようやく温かい食事を腹いっぱい食べることができるようになったという。
制服などの必要用品一式は入学当初から揃える必要がある。
侯爵家としても家門の子女が学院に入学できるというのは一種のステータスである。現に、オレリアの腹違いの兄は入学することができなかった。だから、高位貴族の面子を保つためにもいくら憎いとはいえ、用品をそろえるほかなかっただろう。
「なお、侯爵家のご息女メリザンド嬢の振る舞いによる被害者の会ができてしまっています」
「まだデビュタント前だろう? そんなに方々でやらかしているのか」
貴族の子女は社交界に正式にデビューする前から茶会などの昼の催しに出席する。そうしてデビュタントの準備を整えていくのだ。
アリスティドはアルカン子爵セドリックに連れまわされ、すでに多くの貴族たちと知遇を得てカディオ・ワインの売り込みをしている。セドリックのワイングラスを傾ける角度すらうつくしい様に、同席した者からため息を漏れる。
セドリックに指南され、アリスティドは洗練された物腰を身に付けた。
誠実な態度、穏やかな微笑み、落ち着いた物腰と相まって、相手の信頼を得やすい。年齢にそぐわない立ち居振る舞い、貫禄を身に付けていた。
社交界の華と称されるセドリックに同行しているせいか、「おや、カディオ伯爵子息はまだ社交界デビューを果たされてはおらなんだか」と意外そうに言われる。
「早く夜会でお会いしたいものです」
そんな風に言われ、アリスティドはすかさず「そのときは、カディオ・ワインで祝杯をあげましょう」と応える。
カディオ・ワインの事業で中核をなすと言われている伯爵子息アリスティドのデビューを祝うワインである。どんな逸品が味わえるのかと、すでに今から心躍らせる貴族は少なくない。
「さすがはレイモン仕込みの手腕だね。抜かりない」
「レイモン師匠だけではありませんよ。セドリックおじさまの教えも加味されています」
「わたしは師匠その二だからね」
自分でそう言って、セドリックはうつくしい相貌をほころばせる。
このセドリックと商人であるレイモン、そして良質な木材を算出する領地を持つシェロン男爵ニコラは父クロヴィスの学院時代の友人たちだ。
彼らには幼いころから可愛がられ、なにかと教わることが多かった。
カディオ伯爵家ではぶどうの収穫を、その年の様々事情にもよるが、大体、八月から十月にかけて終え、十一月の初旬に収穫祭を行う。その際、ほとんど毎回訪れては痛飲するレイモンをアリスティドは「ワイン好きのおじさん」だとばかり思っていた。
「レイモンさまのお力をお借りしますか?」
「うん。まずは自分たちでやってみて、難しそうならこだわらずに頼ろう」
執事の問いかけに、アリスティドは気負わず答えた。
アリスティドはすでにオレリアの気持ちを確かめるためにアプローチを試みていた。放課後、温室でヴィスカントの演奏を聞くのは習慣となっている。
なんとなく覚えのある旋律をハミングしたら、オレリアはすぐさまそれを演奏してくれる。わずかなフレーズでなんの曲か分かるのだ。指が覚えている。
透明感のある音、疾走感のある楽曲、すべてはアリスティドの心を捉えて離さない。
音楽を通じて、アリスティドはオレリアとここではないどこかを共有していた。ふたりだけのひみつだ。それは得も言われぬ甘美さをもたらした。
オレリアが弓を下ろした際、アリスティドは口火を切る。
「オレリア嬢、お話がございます」
ヴィスカントをケースに仕舞ったオレリアの手を取ってひたと見つめる。
「わたしはこの世界での暮らしがどこか借り物のような気がしていました。ここは、自分の居場所ではないという気持ちから、一定以上の成果をあげなければならないと思っていた」
オレリアは黙ってアリスティドの言葉に耳を傾けている。
「でも、今は違う。そんなことが吹き飛んだのです。君の奏でるのはここではないどこかの、なつかしい旋律です。ずっとその音を聞いていたい。君に傍にいてほしい。君を愛しているんです」
自分にこんな情熱があったとは初めて知る。腹の底から湧き上がる熱に浮かされるようにして言い募った。それでいて、握った手には力を加減した。植物の世話をしたり楽器を弾くオレリアの手は小さい。
「お気持ちは嬉しいのですが、受け入れられません」
オレリアはうつむき加減になる。
「どうしてですか?」
責める口調にならないように気を付ける。
「ラコスト侯爵家はわたくしが学院を卒業したらすぐにでも有利な縁談を持ち込むでしょう。侯爵家のためになるように」
アリスティドは密かにため息を飲みこんだ。
カディオ家が調べた通りだ。
オレリアは詳細を語らなかったが、ラコスト侯爵家、特に夫人はわざと条件が悪い縁談を持ち込もうとしている。オレリアの嫁ぎ先として、父親どころか祖父くらいにも年上か、醜悪な外見か、あるいは唾棄すべき性癖の持ち主などに打診している。
「さようにございますか。ラコスト侯爵家の意向は承知しました。ではあなたは?」
「わたくし?」
オレリアが顔を上げると、真っすぐにアリスティドが見つめていた。眉がやや太めで唇が大きい。そして、濃い緑色の瞳。穏やかな物腰に、誠実な表情。莫大な財をなすと言われているカディオ伯爵の嫡男でありながら、やっかみ以外に彼を悪く言う者はいない。
「そう。オレリア嬢のお気持ちを聞かせていただけますでしょうか?」
「わたくしは、」
濃い緑色に意識が吸い込まれるように、オレリアは唇をわななかせた。
オレリアの返事を聞いてアリスティドは破願し、そっと抱き締めた。
障害があるなら乗り越えれば良い。彼女の憂いを晴らそう。
彼女を手に入れるためなら、彼女の側にいるためなら、彼女の安全を確保するためなら、今まで培ったものをすべて使おう。