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さまざまなことがあった第二学年の後期は試験も終わり、ところどころで学院生の悲鳴が上がる。卒業生を送り出した後は長期休暇に入る。
後期の後の帰省では、学院生たちは自領の収穫やそれに類する事柄を手伝うことになる。カディオ伯爵領では醸造である。アリスティドはそこに加え、ワインの出荷先に関することなど手配することがたくさんある。
アリスティドは早々にオレリアをカディオ伯爵領地へ招待した。そこへロドルフとフランシーヌも加わる。
ロドルフは父からなにを置いてもアリスティドの帰省について行くように申し付けられている。言われなくても望むところである。
「アシャール運河に開通した運河も見たいものだ」
「だったら、途中で馬車から船に乗り換えようか」
「ぜひ!」
なにげなく言った言葉に気軽にアリスティドが応じ、ロドルフは飛びついた。アリスティドは早速手配するよう指示を出す。
出発当日の早朝、集合場所である学院の正門前にアリスティドが到着すると、すでにオレリアたちはやって来ていた。オレリアたちは寮で過ごしたが、アリスティドは領地へ戻る前に片付けておく執務があった。夜半まで行っていたことを悟らせない爽やかさでみなに挨拶をする。彼もまたオレリアとの小旅行を楽しみにしていたのだ。
カディオ伯爵家は馬車をもう一台仕立てており、そちらに荷物を運びこみ、従僕が同乗する。
船旅をするのならばとアリスティドは如才なくオレリアとフランシーヌに帽子と日傘を用意した。
馬車の中でオレリアとフランシーヌは座席だけでなく膝の上にも広げて手に取って眺める。
「まあ、可愛らしい!」
「お揃いのデザインですわ。オレリアさまはどのお色がよろしくて?」
友人とはしゃぎながら自分が用意した小物を選ぶオレリアを微笑まし気に見つめていたアリスティドに、ロドルフは言う。
「女性というのは揃いの小物が好きなものだな」
やさしい瞳でオレリアを見つめるアリスティドに、ロドルフは唐突に思いつく。アリスティドがフランシーヌを誘ったのはオレリアが遠慮せず受け取れるようにではないか。アリスティドはなんでもしてやりたいと思うが、謙虚なオレリアは度が過ぎれば荷が重く感じるだろう。それでなくとも、今までがあまりにひどい境遇だったのだ。
それは単なるロドルフの予想に過ぎない。けれど、現に今、オレリアは友人といっしょに選ぶ楽しみを得た。アリスティドの贈り物を受け取って嬉しそうに礼を言う。
「だったら、俺も添え物に過ぎないかな。まあ、ふたりの邪魔をしていないだけ良いか」
「そんなことはないさ。両親に学友を紹介したくてね」
ロドルフの呟きを拾ったアリスティドがそんな風に言うものだから、有頂天になる。
「君、本当にアルカン子爵の薫陶を受けだけあるな」
言葉ひとつ、笑みひとつでこんなにも人の心を掴むのだから。
馬車の中で、話は途切れることなく弾んだ。
「そうか、あれは引っかけ問題だったんだな!」
「設問が曖昧で、ちょっとばかり意地悪な出題だったね」
アリスティドはロドルフに試験のことを聞かれて答えた。
「実は他領にお招きいただくのは初めてなのです」
「わたくしもです。長期休暇はずっと寮で過ごしておりました」
そわそわするフランシーヌは何気なく言ったオレリアに、はっとしてほっそりした手を取る。
「知らぬこととはいえ、わたくしの故郷へお誘いすれば良かったですわ」
「ありがとうございます。でも、温室の世話がありましたし、このときばかりは図書館で人気の高い本を借りられるので、楽しいひと時でしたわ」
温室の世話は教授と早めに戻って来る学院生がすることになっている。カディオ伯爵家の革手袋の使い心地の良さに喜んでいた。
「急なお誘いを受けていただき、ありがとうございます」
「いいえ、いいえ、わたくしの方こそ、旅程に必要なものをすべてご用意していただいた上、実家にまで、」
アリスティドがにこやかに言うのに、フランシーヌは首を左右に振った。アリスティドはデュナン男爵家にカディオ・ワインをたくさん送ったのだ。そう父から連絡がきて、フランシーヌは驚いた。
「我がバシュレ伯爵家にもカディオ・ワインが届いたそうで、自分たちで飲みたいものの、これ以上ない手土産となると言って悩んでいる様子です」
「どこででも喜ばれますものね。父は日ごろお世話になっている方々に飲んでいただきたいと申しておりました」
肩をすくめるロドルフにフランシーヌは笑う。
その様子に知らないのだろうなとロドルフは思う。今まで伝手を持たなかったデュナン男爵が急にたくさんのカディオ・ワインを手に入れたということは、振る舞われた方はカディオ伯爵家と誼を持ったと理解する。そうなれば、デュナン男爵は自然と丁重に遇されることになる。こんな風にして、アリスティドはオレリアの周囲の者に恩恵をもたらし、力をつけさせようとする。
話に夢中になっていると、いつの間にか王都を抜けていた。昼前には運河の傍にある街に到着する。
アシャール運河の強みはここにある。クールナン王都からそう離れていない場所に船着き場がある。クールナンだけでなく数か国を繋ぎ、その雄大な流れの脇には大きな都市が点在する。
街は人々で街は溢れかえっていた。運河の乗船場はまるで波止場のようであり、船が並んでいる。
「これが運河なのですね」
冷たい川風にさらわれそうになり、オレリアが帽子のつばを掴む。アリスティドは自分の見立てに密かに満足していた。
「河岸があんなに向こうに霞んで見えますわ」
フランシーヌが日傘をくるりと回してはしゃぐ。
「この辺りは河幅が広い方だけれど、狭まっているところでも大型船が何艘も並行して航行することができるよ」
カディオ伯爵領から何度も運河を航行しているアリスティドが説明する。
「夏なのに風が冷たくて心地よいな」
ロドルフが陽光を反射する川面を、片手で額に庇を作って眺める。
「だから避暑目的でもやって来る者が多いんだ。せっかくだからこの街で食事をしよう」
運河の支流で取れる川魚や肥沃な土壌が育む野菜や果物で調理される料理はこの街の名物のひとつだ。
アリスティドにそう説明され、オレリアたちは期待に弾む足どりで街を歩いた。
オレリアとフランシーヌは初めて訪れる街に、物珍しそうにあれこれ見て指さしては楽し気に話し合う。アリスティドはオレリアと並んで歩けなくても、彼女が友だちとはしゃいでいるのを見て嬉しく思う。
ロドルフは商取引きを学ぶだけあって、この街に訪れたことがあるという。
「船にも乗ったが、わずかな距離を航行しただけだよ」
船で数日過ごすことが楽しみで仕方がないと笑う。
レストランに到着すると、一行に付き従っていた従僕がするりと前へ出て扉を開ける。
「これはこれはカディオ伯爵ご令息さま! ようこそいらっしゃいました」
料理店に入ったとたん、下にも置かないもてなしを受け、一行は二階の奥まった席に案内された。吹き抜けで、手すりの向こうから一階席を見下ろすことができる。昼前だがほどよく賑わっている。大声で話したり笑い声を上げる者はおらず、活気があるものの上品な雰囲気がある。
「この店にはよく来るのかい?」
ロドルフが席につきながら小さく尋ねる。
「うん。この街に来たらこの店で食事を摂ることが多いんだ。カディオ・ワインを卸すに当たってまずは食事をしたんだけれど、とても美味しくてね」
「まずはご自身の舌で確かめられるとは、さすがはカディオ伯爵ご令息さまでいらっしゃいます」
案内からバトンタッチした年配の店員がメニューをひとつずつ手渡しながら如才なく言う。
「いつも給仕をしてくださりありがとうございます。我が友人たちを紹介します」
アリスティドはオレリアたちの名を告げた後、今度は友人たちにかいがいしく世話を焼く店の人間を紹介した。
「こちらはこの店のオーナーだよ」
「まあ! オーナー自ら給仕を……!」
フランシーヌが思わず声を上げる。オレリアとロドルフも驚く。
「このレストランが名店と言われるに至ったのもカディオ・ワインを卸していただいているからこそ。こうしてカディオ伯爵ご令息に料理の味やサービスの質が落ちていないかを視察されていると思えば、身が引き締まる思いです」
そう言ったオーナーはアリスティドの耳にささやく。
「実は隣国の貴族のご令嬢がご挨拶をなさりたいとおっしゃっています」
「断ってくださいますか?」
アリスティドは穏やかにほほ笑みながら即答する。
「かしこまりました。いえ、わたくしもカディオ伯爵ご令息はご婚約をなさったと申し上げたのですが、」
それでも面識を得たいという者は引きも切らないのだという。
「元々、カディオ伯爵ご令息は身持ちの堅いお方で、どんな誘いもお断りになっておられました」
オーナーは一行の女性ふたりのうちどちらかが婚約者であるのだろうと当たりをつけて、そんな風にフォローした。
年月を経て、妻を伴ったアリスティドが来店した際、オーナーは自分の予想が正しかったことを知る。
※フィリップの解説および宣伝
「アリスティドさまは学院の長期休暇のたびに領地へ戻られます」
「途中、領地内、特にアギヨンの視察をなされます」
「アリスティドさまが学院に入学されてからは、カディオ伯爵さまはほとんどカントリーハウスにおいでで、タウンハウスの一切のことはご子息に一任されておられます」
「微力ながら、わたくしやほかの使用人一同がお力添えしております」
「アリスティドさまがご不在の折には、わたくしどもが留守を預かります」
「アリスティドさまは今回のご帰省をいつになく楽しみにされておられました」
「わたくしどもも旅程が万事滞ることないよう、十全に準備を整えてまいりました」
「きっと、オレリアさまもカディオ伯爵領でのひとときを楽しんでいただけることでしょう」
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