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昼食後、午後から受ける植物学のために温室へ向かっている最中のことだった。
遠くからざわめきが聞こえてくる。ふだんの昼休憩特有の騒がしさとは少々異なるような気がして、アリスティドは情報を得ようと思っていたときのことだった。
「アリスティド!」
ちょうど、顔が広いロドルフがやって来る。
アリスティドは気を引き締めた。ロドルフとは昼食を共にして別れたばかりだ。その際、オレリアとフランシーヌもいっしょだった。そのオレリアは次に同じ植物学を取っていたのだが、学院の事務員に呼ばれ、アリスティドは先に行くことにしたのだ。
「なにがあった?」
「ラコスト侯爵令嬢メリザンドが来ている」
アリスティドはさすがに顔色を変える。ロドルフが慌てるはずだ。メリザンドはオレリアの異母妹である。
「彼女は学院に入学できなかったのでは?」
学院は二期制であり、後期の終わりも近い今時分にはすでに次年度入学者の合格発表がされている。アリスティドはオレリアの係累の同行を掴むべく、ラコスト侯爵家の情報を調べさせていた。オレリアのふたつ年下のメリザンドは不合格であった。
「そうだ。たとえ合格していたとしても、まだ入学してもいない人間が学院に許可なく入ることはできない」
ロドルフもまた、情報を掴んでいた。彼の言う通り、関係者以外が学院の敷地内に入るのには許可を必要とする。
「オレリア嬢の下へ行ってくる」
言って、アリスティドは足早に歩き出す。メリザンドの思惑がどこにあれど、まず、オレリアの安全を確保すべきだ。
「分かった。わたしは正門へ行く」
ロドルフが隣を歩きながら言う。そこでメリザンドは足止めされているらしい。
「入れろとわめいているんだそうだ」
顔をしかめてみせたロドルフはすぐに表情を引き締め、アリスティドと別れて正門へ向かった。
アリスティドが事務室へ行くと、そこにはオレリアの姿はなかった。
「失礼、こちらにデサネル公爵家のオレリア嬢が呼び出されたと存じますが」
事務員へ聞けば、当惑を隠せない様子で「用事ができたのでそちらへ向かわれました」と言う。
「どちらへ行かれました?」
「それは、その、」
重ねて尋ねるアリスティドに事務員は口ごもる。
「おお、これはカディオ伯爵子息さま!」
横合いからかかった声に事務員はぎょっとする。
「し、失礼しました! カ、カディオ伯爵家の方とは存じ上げず、」
しどろもどろに謝罪する事務員の声にかぶせるようにして言うのは事務長だ。
「なにかのお問合せか申請でしょうかな。不備があって申し訳ない。大いに便宜を図りますゆえ、」
揉み手をせんばかりの様子で事務長が飛んでくる。
「いつもお気遣いありがとう存じます。ところで、こちらにいらしたデサネル公爵家のオレリア嬢を探しているのです」
金に物を言わせている構図だが、実際、カディオ伯爵家は学院に多額の寄付をしている。そして、今は時間が惜しい。特にこだわらずに便宜を図ってもらうことにした。
「かしこまりました。君、なにか知っているのならお話して差し上げろ」
アリスティドに恭しく頷いた事務長は、事務員に横柄に申し付ける。
「お呼び出しした件は滞りなく終了いたしました。ただ、その後にラコスト侯爵家の方がどうしてもお会いしたいとのことで、」
オレリアは呼ばれて正門へ行ったという。
「オレリア嬢はご自身から向かわれるとおっしゃったのですか?」
「いいえ、その、ラコスト侯爵家の方が許可なく入門されようとしたのでお止めしたのですが、」
どうにも歯切れが悪いと思えば、ラコスト侯爵家の名を持ち出されては強く退けることができなく、ならばオレリアを連れてこいという譲歩とも言えない言葉を鵜呑みにしたのだという。
「なるほど」
アリスティドは常と同じ穏やかな物腰だった。それで、事務員も事務長も彼が納得したと思って安堵した。けれど、続く言葉に息を呑む。
「それで、学院の怠慢をオレリア嬢に押し付けたということですね?」
「そ、そういう訳では!」
「誰であろうと許可なき者の横紙破りは通用しないとせず、要求を受け入れることで事を納めさせようとしているではありませんか。それは、いち学院生に押し付けたということに他ならない」
とっさに反発した事務員は、続くアリスティドの淡々とした言葉に封殺される。
「そ、そんなことは、」
「押し問答をしている間が惜しい。途中ではありますが、失礼します」
「お、お待ちくだされ」
事務長の言葉を振り切って、アリスティドは事務室を飛び出した。
大きい歩幅で廊下を渡り、正門を目指す。可能な限り近道をして先を急ぐ。
幸いと言っていいかどうか、先にロドルフが向かっている。
もし、オレリアがメリザンドになにかされたらロドルフが止めに入ってくれるだろう。なにかされる前に間に合ってくれることを祈った。
しかし、メリザンドと対峙していたのはロドルフではなく、オードラン侯爵令嬢ベアトリスだった。




