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3-8

 

 侯爵夫人が気づくのが遅れたのは、オレリアが学院の寮で生活していたからだ。オレリアが公爵家の養女となったということを社交界で聞いて逆上した。事後報告すらなかった夫に詰め寄る。

「結局、デサネル公爵家の養女になったとおっしゃるの?!」

「わたくしがなりたかったわ!」

 メリザンドが甲高い声で自分の尻馬に乗るのに、夫人は眉をしかめる。お前の尻拭いのせいでどれほど散財したか、と怒鳴り付けてやりたくなったがかろうじて呑み込む。そんなだから、デサネル公爵家でも長女は不要だと突っぱねられたのだ。


 侯爵夫人はそこで諦めず、ならば次女をと推薦するも、こちらも断られた。ほかの縁談も難航している。

 自分がお腹を痛めて生んだ子供たちが箸にも棒にも掛からないというのに、あの憎い女の汚らわしい子供は公爵家の一員となったという。自分の下にいて当然だったのに、上の身分を手に入れたのだ。

 こんなことが許されていいはずはない。


「だから早く「相応しい縁談」をと再三申し上げておりましたのに!」

「俺が持ってくる縁談をことごとく「立派過ぎる」といって蹴ったのはお前だろう!」

 当たり前だ。もっと年上でもっと醜悪な容姿で、もっといやらしい性癖の持ち主の下で苦しんで苦しみ抜かなければならない。幸せになどならせるものか。正妻である自分をこれほどまでに苦しめた女とその子供だ。


 侯爵夫人ははたと気づく。

 子供はいなくなったが、あの女はここにいる。

 子供を苦しめることができなくなった分、あの女をそうしてやろう。そうするべきだ。

 侯爵夫人は上手くいかないだらけの現状の鬱憤を、すべてぶつけた。


 暴力を振るうことを、初めは躊躇する。けれど、すぐにエスカレートし、折檻は苛烈なものとなった。倒れ伏し、動かなくなっても、執拗に鞭を振るい続けた。

 館の女主人が躾のために鞭を振るうことはあるが、咎なくそれをするのは、もはや精神が常軌を逸していると言えた。女主人の狂気の沙汰に、止める者は誰もいなかった。矛先が自分に向くのを恐れたのだ。執事は侯爵に陳情したが、妻の怒りを恐れて取り上げられることはなかった。




 ラコスト侯爵は長年取引があった仕入先から唐突に契約を打ち切られた後、ようやく新しい仕入先を見つけたのは良いものの、以前とは比べ物にならない高額な支払いを迫られていた。

 それがひとつではない。複数個所で同時に起こったものだから、もともと目立つ産業を持たない領地経営の財政はひっ迫した。

 矢のように届く領地からの連絡に、家宰任せの侯爵も精神的に追い詰められていた。貴族は労働をしないが、さすがにこれはまずいのではないかと思い始めていた。


 そんな折、救いの手が差し伸べられた。

 デサネル公爵が金銭の貸与を申し出たのだ。

 オレリアを養子にするに当たり、ラコスト侯爵家のことを調べ、窮状を知ったのだという。


「妻を甲高くわめかせるだけの小娘だと思っていたが、なかなかどうして、役に立ってくれたではないか」

「しかし、あくまでも貸与です。いずれ返さねばならぬものです」

 執事が忠告する。さすがに高位貴族に仕えるだけあって頭が回り、かつ、必要なときに主に注意を促すことができる人材だ。


 借りた金銭はそのまま支払いに回り、一時的に凌げたとしても次の請求が待っている。財政が火の車であるのには変わりはない。

 なのに、追いつめられていた侯爵はひと息ついたお陰か、なんとなく危難を乗り越えた気分でいた。

「なに、支払いができないのならば、また借りれば良いではないか。向こうから望まれて娘を養子に出したのだ。当然のことだ」

 執事は明確に不安を覚えたが、目を伏せ恭しさを出すことで押し隠した。


「ところで、所在不明の使用人がひとりおりまして」

「給金の前借をしていたか借金のカタに雇用していたのか?」

 侯爵は行方不明であることを心配せず、金銭の回収の有無を真っ先に尋ねた。

「いえ、そのようなことはございません」

「では、良いように図らってくれ」

 もうそれ以上は聞きたくないという侯爵に、執事はふたたび無言で目線を下げた。

 侯爵に報告は上げたので執事のすべきことは済ませた。だが、これだけでは済まないだろうことは容易に予想がついた。


「あの女はどこへ行ったの?!」

 侯爵夫人が金切声をあげた。

「あの女とはグレースのことでしょうか?」

 ほかの使用人に耳打ちされた執事が大慌てでサロンに行くと、侯爵夫人がすっくと立っていた。壁際には使用人が控えており、みな一様に顔を青くし、中には震える者もいる。


「そうよ! どこへやったの? さっさと連れて来てちょうだい!」

 自身の手を傷つけないように革手袋をつけ、鞭を持った侯爵夫人は両目をらんらんと光らせていた。

「実はグレースは少し前から行方が知れず、」

「どういうことよ! 逃げたの? 逃げたのね?!」

 執事の言葉の途中で侯爵夫人が激昂する。自分が言った言葉でさらにヒートアップしていく。


「侯爵にはご報告しましたが、」

「探しなさい! 今すぐにここへ連れて来て!」

 無茶なことを言う。匿っているわけでもないのに、居場所が分からない者をどうやって連れてくるというのか。


 しかし、侯爵夫人にはもはや道理は通じなかった。思い通りにならなければ、自分の邪魔をされていると感じ、言う通りにしない者は敵とみなした。

 甲高い声でわめきたて、髪を振り乱し、鞭を振るう。サロンは来客をもてなす場でもあり、置かれている家具や装飾品は高価なものだ。その家の品格を表すものだからだ。それらが見る間に破壊されて行く。

 それは、逼迫する侯爵家の財政をさらに圧迫する行為だった。今までなんの罪もないひとりの女性に押し付けていた暴力は、とうとう侯爵家へ向けられたのだ。


 最初からそうしていれば良かったものを。元はと言えば、侯爵のしでかしたことなのだから、そちらに責任を問うべきなのだ。

 それまで仕える家のために尽力していた執事は、感情を抑制することなく行われる狂態に、自分が守ってきたものをことごとく壊されて行くのを目の当たりにし、見限ることにした。


 有能な執事はすぐに次の職場をみつけ、辞職を願い出た。引き留められたが、給与支給が滞っていることを盾に去って行った。タウンハウスの要であった執事がいなくなったこと、王都で囁かれる侯爵家の失態の数々、そしてなにより、狂気じみた侯爵夫人の振る舞いによって、使用人たちは次々に辞めて行った。


 数日後、近くの水路で女性の死体が上がったという噂を聞きつけた侯爵夫人の侍女が、使用人グレースは逃げ出した後、ろくな職に就くことができず、結果、水に浮かぶことになったのだと話した。それを聞いてようやく侯爵夫人は溜飲を下げたのだった。







※フィリップの解説および宣伝

「貴族の夫人は家政を取り仕切ります」

「実務は使用人が行い、その管理報告を受け、統制します」

「ときに、躾のために鞭をふるうこともございましょう」

「けれど、決してそれは理不尽かつ一方的であってはならないのです」

「なぜなら、いわれなき暴力は人を委縮させます」

「ほかの使用人たちもいつ自分たちが鞭を受けるかと恐れます」

「感情に任せた暴力と躾はまったく別のものなのです」

「カディオ家では決してそのようなことはございません」

「よろしければ、評価、ブックマーク、いいね、ご感想をいただけると幸いです」





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