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3-7

 

 オレリアがデサネル公爵家の一員となれるよう、アリスティドたちは精力的に動いた。

「まずは外堀を埋める」

 誠実なニコラが、そして発信力のあるセドリックが身分ある令嬢が不遇をかこつことを憂いてみせた。


「親と引き離されてしまったのです。貴族とはそういうものだとはいえ、自身が思えばすぐに会えるはずです。しかし、同じ邸内に暮らすというのに、滅多に姿を見ることすらないというのです」

 沈痛な表情のニコラに、家族思いの貴族は大いに賛同する。

「シェロン男爵は確か、お子が四人、五人でしたかな?」

「はい。妻との間に四人子供がおり、カディオ伯爵家に息子同然のアリスティドさまがおられます」

「そうでした、そうでした」

 五人の子供を持っている気分だというニコラに、貴族は表情を明るくする。


「わたしも妻もあまりうるさく言わずに済みました。カディオ伯爵子息アリスティドさまという模範が身近にいたからです。兄のように慕っているから、自然と見習おうとするのですよ」

「それは重畳ですね。子育ての難しさといったら!」

 親が思うほどに子供は動いてはくれないものなのだ。

「本当に、感謝してもしきれないですよ」

 だからこそ、不遇な身の上の令嬢のことは心が痛むというニコラの言葉は、家族思いの貴族に強い印象を与えた。


 違う時間、社交の場でセドリックは憂い顔で言う。

「生まれてきたのはその令嬢になんの咎もないと思うのですがね。令嬢がしたことでもないことで、どうしようもない部分のことで責められ続けるのです。わたしはね、いっそ、彼女はずっと学院生であり続ければ良いとすら思ってしまうのですよ」


 社交界の華のいつにない沈んだ様子に、周囲の貴婦人たちの注意が大いにひかれる。互いにさっと目配せし合う。

 セドリックは誰とは言わなかった。しかし、「現在学院生である令嬢」「生まれによって不遇をかこつ貴族の係累」となれば、自ずと判明する。

 噂とは駆け巡るものであり、情報収集するのは貴族の習いでもあった。


 貴婦人たちは社交界の華に同調した。

「ありがとうございます。女性は笑顔がいちばん似合う。最もうつくしく見せるものですからね」

 そう言う当の本人こそが麗しい笑みを浮かべたものだから、周囲の貴婦人たちが色めきだつ。

「まあ!」

「そのご令嬢も笑顔になれると良いですわね」


「現在学院生である令嬢」「生まれによって不遇をかこつ貴族の係累」に同情が集まると同時に、彼女をその境遇に追いやっている者たちには嫌悪が向けられた。

 厳しい目によって、その者たちの噂が集まる。どこぞの夜会で無作法な振る舞いをした、はしたない物言いをした、おおよそ品があるとは言いかねる、そんな噂はたちまち広まった。


「気分が悪いですわ!」

「俺に言うな!」

 今にも扇をへし折らんばかりに憤る上の娘に、ラコスト侯爵は苛立つ。


「しかし、なんとかしなくては、このままでは侯爵家の沽券にかかわりますよ、父上」

「そうですわ、早急にあんな根も葉もない噂を消し去ってしまわなければなりません」

 息子の尻馬に乗る侯爵夫人はだが、結局はふたりとも誰かがどうにかすべきだ、と思っている。それが分かり、ラコスト侯爵は苛立ちが一層強くなり、カトラリーを乱暴に放り投げる。

「ひっ」

 末娘が悲鳴を上げる。

 侯爵の機嫌の悪さを見て取った夫人と長男長女は口をつぐむほかなかった。


 社交界での噂は一向に衰えることなく、それどころか、悪化する一方だった。

「挨拶をしたのに、聞こえないふりをされましたわ!」

「目が合ったとたん、遠ざかられました」

「いやな目つきで遠回しにあれこれ言われましてよ」

「俺に言うな! 自分たちでなんとかしろ!」

「ですから! わたくしの方から! 挨拶をしたのですわ! なのに! なのに!」

 特に長女メリザンドの騒乱ぶりはひどかった。


 今まで無視してもされることはなかった。非常に気分が悪い。

 夫が、あるいは父が頼りにならないと知った夫人、息子、そして娘は周囲に当たり散らした。


 子供らの悪行がクローズアップされ、嘲笑されるに至った侯爵夫人は危機感を覚え始めた。息子は男だからまだなんとかなる。けれど、メリザンドは駄目だ。令嬢として良縁を望むことは難しいだろう。では、次女の結婚に賭けるしかない。まだ十二歳の年端もいかない少女を、なんとしてでも良い相手に縁付かせようと夫人は早々に動き始めた。


 さて、そちらに取り掛かりきりとなり、ラコスト侯爵家ではオレリアの養女問題は忘れ去られていた。卑しい女の子供に「ふさわしい結婚相手」を探すどころではない。

 再三の催促にようやく思い出したラコスト侯爵は、窮状を少しでも改善しようと公爵家の申し出を受けた。


 オレリアはデサネル公爵家へ身一つで向かわされた。

 学院に仕立ての良い馬車が迎えに来て向かった公爵家で思いもかけず歓待され、オレリアは面食らう。

「さあ、ここが君の部屋だよ。学院の寮に飽きたらいつでも戻っておいで」

 案内された部屋はカディオ伯爵家から届いたという支度品の数々に彩られていた。


「オレリア嬢、いえ、妹なのですもの。オレリアと呼びますわね。わたくしのことはどうかジョゼットと呼んでちょうだい。わたくし、もうじき外国へ嫁ぎますの。短い間ですが仲良くして下さるとうれしいわ」

 公爵の孫娘ジョゼットはオレリアよりもふたつ年上で、高位令嬢の習いとして鍵盤楽器を演奏するという。

「カディオ伯爵子息からオレリア嬢はヴィスカントの名手だと聞いているよ。娘といっしょに演奏してみないかい?」

 公爵子息の発案で、家族だけのこぢんまりした演奏会が開かれた。


 ガラスの音階を転がり落ちるように透明感と硬質さを持った鍵盤楽器の音に合わせ、ヴィスカント音色が高く低く疾走していく。

 オレリアはこのとき初めて、伴奏を得てヴィスカントを演奏した。ほかの楽器とともに奏でる旋律はまた多彩なものとなるのだと知った。


 公爵一家もふたりの合奏を非常に気に入り、オレリアは頻繁に寮から呼ばれ、ジョゼットとともに演奏した。それは、外国へ嫁ぐ孫娘への哀惜もあったが、オレリアを公爵家の一員として迎えるためでもあった。


 オレリアはジョゼットとともに嫁ぎ先の国のことを調べたり、その国の言語で会話したりした。

「妹ができて嬉しいわ。手紙を書くからお返事をちょうだいね。きっとよ?」

 こんなに愛らしくねだるということを、初めてできた姉から教わった。


 なにかの折、公爵とふたりで話した際、そのことを伝えたら気難し気な表情で言った。

「君は本当に聡い。それが賢い令嬢の手法というものだよ」

 愛らしくねだるというのも令嬢の手練手管なのだという。

 公爵から一連の話をその子息が聞き、オレリアに向けて両手を広げて見せた。

「さあ、試しにお父さまにおねだりしてごらん!」

 誇り高く気難し気な公爵とは異なり、その子息はとても親しみやすく茶目っ気のある人物だった。


 公爵夫人は故人であり、家内のことは公爵子息夫人が取り仕切っている。

「ピアノを置いている部屋は湿度温度管理もしておりますのよ。ヴィスカントの練習をするならそこでなさると良いですわ」

 オレリアに対して厄介者扱いすることなく、かといって家族のように接することなく一定の距離を置いて丁重に扱った。


 こうして、オレリアは学院から一度も侯爵家へ戻ることはなかった。それにどこか安堵していた。

 最大の懸念は母のことだ。

 ほとんど顔を合わせたこともない人だが、唯一の肉親と言っても良い。

 アリスティドは手を打つと請け負ってくれた。とはいえ、他家の内部のことだ。そうそう手出しはできないのではないだろうか。


 伯爵家が公爵家に金銭貸与をしているというのには耳を疑った。いわばその優位な札をオレリアのために使わせてしまうというのに申し訳なさを覚えた。けれど、そうでもしなければ、ラコスト侯爵家から逃れることはできなかった。デサネル公爵家がオレリアを温かく迎えてくれたのも、その手札があったからこそだ。でも、母にはそれがない。


 オレリアは自身が恵まれた環境を与えられれば与えられるほど、言い知れぬ不安が喉元にせり上がって来るのを感じずにはいられなかった。




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