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1-2

 

 アリスティドの通う学院は十六歳から十八歳の三年間において学ぶ。二学期制で秋から冬にかけて前期、春から夏にかけてが後期となる。

 学院の生徒は貴族の子弟がほとんどだ。身分にかかわらず合格者に門戸が開かれているが、試験に受かる学力を身に付けるためには財力が必要となる。貴族や一部裕福な市民のように家庭教師について学ぶことができない市井の者たちはなかなか突破することができない。


 優秀な学者が招かれ教鞭を取っているので、アリスティドは植物学や動物学、経済学など多岐にわたって授業を受けている。歴史や語学は入学前にひと通り領地で学んでいる。植物学で実際に土をいじり、動物学で家畜の世話をすることを実習で経験した。


 貴族の子女はそういったことに縁遠く、嫌がる者もいた。積極的なアリスティドは同じく果敢に挑戦する者とペアを組むことが多い。それがラコスト侯爵令嬢オレリアだ。

 その同級生のことは以前から気になっていた。

 入学当初はとても小柄で、同学年生には見えなかった。けれど、学院で暮らすうちにどんどん明るくなり、成長して行った。友だちと身長が伸びただのなんだの話しているのが聞こえてきたことがある。


 寮住まいで、長期休暇にも家に帰らないという彼女は温室の植物の世話を請け負った。

「学院の温室は設備が整っていますので、さほど重労働というほどではありませんわ」

 そうは言っても、水はまだ冷たくてかじかむ手で世話をするのは大変だっただろう。

 アリスティドは領地から持ち帰った様々な物品を土産として渡した。同じく寮に残って動物の世話をしていた男子学生にも用意している。


「こんなに沢山頂くわけにはまいりません」

 恐縮する彼女に、そうなるだろうと予想していたアリスティドは本を取り出す。

「そうそう、カントリーハウスでこれを見つけてお持ちしました」

「まあ! 「マリウスの動物誌」と「ベルスデン修道院薬草の扱い手引き」!」

 アリスティドがオレリアと急速に親しくなったのは、実習のときにペアを組んだ際、この二冊の本について話したことがきっかけだ。領地でそれを思い出して休暇が終わるのに合わせて持ってきた。


「「マリウスの動物誌」は読まれましたか?」

「はい。でも、まだ一度きりなんですの」

「では、あれは? 「ベルスデン修道院薬草の扱い手引き」はご存知ですか?」

「「ベルナデッド薬草学」の参考資料として記載を拝見しましたわ。いつか読みたいと思っておりました」

 オレリアもまた、植物学と動物学の授業を取っていた。そして、彼女もアリスティドと同じく動植物についてせっせと知識を溜めこんでいた。


 オレリアは沢山の土産の品に困惑したが、読みたかった本を前に興味を隠せない様子だ。アリスティドはとどめとばかりに革手袋を取り出す。

「こちらは我が領で改良を重ねている手袋です。薄く伸縮性に富んでいるので、作業をするのに邪魔になりにくいですよ」

「素晴らしいですわね!」

 植物は鋭利な葉や棘があったり硬かったり、なにより毒を持つものがある。そういった植物を扱うには手袋は必須だ。しかし、分厚くて硬いものを着用すれば、作業しにくい。思うようにいかず、じれったくなって思わず手袋を取り去ってしまい、手指を怪我する者が後を絶たない。


 アリスティドはカディオ伯爵領の職人に頼み、伸縮性のある皮をなるべく薄くなめして手袋を作った。

「この臭いがきついのはどうにもならないのですがね」

 革独特の鼻をつく臭いに、アリスティドは苦笑する。

「こればかりは。手袋を外して手を洗っても、ずっと後まで臭いますわ」

「だから、友人たちに植物学か動物学の授業を受けたとすぐに知られてしまいます」

 同じ悩みを抱えていたらしきオレリアが同意し、アリスティドも軽口を叩く。


「試用してみて、ぜひご意見をください」

 そんな風な物言いでアリスティドはオレリアに受け取らせようとする。

「使い勝手についてですわね。かしこまりました」

 オレリアは手袋を両手に持ち、真面目な表情で頷いた。

 その表情と似たものを以前見たことをふと思い出す。


 あれは確か、オレリアが一学年上の男子学院生に告白されていたときのことだ。長期休暇に入る前の裏庭は寒さのせいか人気がなかった。温室に向かっていたアリスティドは近道しようとしてそこへ足を踏み入れた。

「好きな人がいるんです」

 その声は聞き覚えのあるものだった。ラコスト侯爵令嬢オレリアだ。耳に飛び込んできた言葉に、思わず足を止めた。


 そっと建物の角から向こうを窺うと、やはりオレリアがいる。その横顔には真面目で真摯な表情が浮かんでいた。対峙する学院生は不機嫌そうに眉をしかめている。

 アリスティドはすぐに告白の場面に遭遇したのだと察した。

 そして、断りを入れたオレリアに相手が逆上しそうに思えたため、そのままその場に待機した。


「ふん、侯爵令嬢などとは名ばかりの庶子のくせに、偉そうに。どうせ誰を好きになろうと選ばれないのだから、俺の告白を素直に受け入れば良いものを」

 断られた腹いせとはいえ、ひどい言葉を投げつけたので、割って入ることにした。


「ああ、オレリア嬢、こちらにいらしたのですか。休暇の間の温室ついてお話したいことがあります」

 さも、今通りかかった風情を装いながら、アリスティドが足早に近づくと、オレリアは明らかに安堵する様子を見せた。


 対する男子学生は鼻に皺を寄せる。

「なんだよ、俺が今話しているんだぞ。うん? あんた、カディオ伯爵子息?」

「いかにも。カディオ伯爵家のアリスティドにございます」

 手のひらを胸に置き、会釈する礼を取る。


 父の友人である、社交界の華と称されるアルカン子爵セドリック仕込みの礼儀作法は、このときも威力を発揮した。セドリックは微笑みひとつで貴婦人たちの心をさらっていくと言われている。アリスティドはそこまで必要とはしていないのだが、セドリックは覚えておくに越したことはないといろんなことを教えてくれる。


「こ、これは、失礼いたした。わたしはバイヨ子爵子息アンリにございます」

 あたふたと取り繕うせいか、アンリは礼を返すことを忘れていた。

 バイヨ子爵とは多少のワインの取引きがあったことをアリスティドは即座に思い出す。取引き量を増やしたいという打診を受けているが、同時に値下げの要望も出ている。

「どれほど支払ってもほしいとおっしゃる方々は沢山いらっしゃいます」

 と言った領地の家宰の口ぶりからすれば、バイヨ子爵との取引きは打ち切られそうであった。


「カディオ・ワインの次回の出荷についてお伺いしたい」

「申し訳ありません。わたしはその件には関わっておりませんので」

 この場を切り抜ける方便であり、関わっているどころか、裁量を任されている。大量のワインが流通するに至ったのはアリスティドの手腕によるものだからだ。ただし、バイヨ子爵のような小口の取引きに関しては「アリスティドさまのお手を煩わせるほどのものではございませんゆえ」と言って家宰が処理する。


「なんだ、噂は誇張か」

 アリスティドが浮かべた柔和な笑みを見て侮ったアンリは鼻を鳴らして立ち去った。


「ここは寒い。温室の中へ入りましょう」

 取り残されたアリスティドは何事もなかったかのようにオレリアを促した。所在なげにしていたオレリアも、長期休暇中の植物の世話について話しているとふだんの活き活きとした様子を取り戻した。

 アリスティドにとっては友人であるオレリアがひどい言葉を浴びせかけられるのを止めようとしただけだ。

 少し後にふたたび同じような場面に遭遇したとき、状況は一変する。




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